歳出のカットか新財源か、どちらしかない。どちらでもなければ、赤字国債は雪だるま式に増える。
「今度、この特例法さえ出せば、歳入欠陥があれば赤字公債を出せるというような方向性へ進もうとしているのです。こういうときにはよほど強い歯止めを幾つかかけておかないと、とんでもない、それこそあの財政制度審議会が中間報告で言ったように、五年後には(80年度には建設国債と赤字国債の合計が)六十兆円にもなるような国債を発行しなければならなくなるかもしれない」
正木議員の危惧はあたった。
(猪瀬直樹『日本国の研究』文春文庫、1999)
こんにちは。上記の文章を読んで、教員ならこう思うのではないでしょうか。似ているって。仕事のカットか人員増か、どちらしかないって。どちらでもなければ、残業時間は雪だるま式に増えるって。
「今度、この給特法さえ出せば、仕事があれば残業代なしでいくらでも教員を使えるというような方向性へ進もうとしているのです。こういうときにはよほど強い歯止めを幾つかかけておかないと、とんでもない、それこそ日教組が批判声明を出したように、教師の生活と健康はますます害され、その人権は蹂躙され、さらには教育活動を低下させ、学校教育そのものに深刻な結果をもたらすかもしれない」
日教組の危惧はあたった。
給特法が成立してから50年、教員採用試験の倍率は過去最低に落ち込み、精神疾患を理由に退職した教員は過去最多を記録している。だからこそ、給特法が成立した1971年の出発点に《こういう議論があったことを忘れてはならない》。
猪瀬直樹さんの『日本国の研究』を再読しました。2回目の東京オリンピックを目にすることなく、4月30日に亡くなってしまった立花隆さんの代表作『田中角栄研究』に匹敵すると言われている一冊です。『ミカドの肖像』や『昭和16年夏の敗戦』、それから『ペルソナ』などと並ぶ、猪瀬さんの代表作のひとつでもあります。
特筆すべきは、立花隆さんの『田中角栄研究』がリアルな世界、猪瀬さんいうところの「公の時間」に変化をもたらしたように、この『日本国の研究』も「公の時間」に変化をもたらしたことでしょう。もしもこの『日本国の研究』が書かれなかったら、本日、閉会式を迎える東京オリンピックもなかったかもしれません。続編にあたる『続・日本国の研究』に《僕が小泉政権に協力することになったのは、五年ほど前に「文藝春秋」に「日本国の研究」を連載(96年11月号、12月号、97年1月号)したからである》とあるように、この『日本国の研究』がきっかけとなって、作家・猪瀬直樹が政治の舞台に登場したからです。
では、なぜ「きっかけ」となり得たのか。
複雑すぎて誰も触れることができなかった日本の権力構造と危機の実態を満天下に知らしめたからです。具体的には《独自の構成力と草の根の情報を積み上げるというかたちで》「財投(財政投融資)」のことを暴いた。ファクトとロジックを武器にして書かれた『日本国の研究』を徹底的に分析すれば、行財政改革ができるかもしれない(!)と政治家さんたちに思わせたというわけです。
独自の構成力 = ロジック
草の根の情報 = ファクト
以下は、竹中平蔵さんの解説より。
日本の行政府には「財政投融資」という固有の仕組みがあって、これが政府の ”内ポケット” として、小さな政府を作る際の隠れ蓑のような役割を果たしてきたことである。一見すると予算を減らし小さな政府を作っているようでいながら、実は、複雑で見えにくい ”内ポケット” を肥大化させてきた。猪瀬直樹『日本国の研究』が果敢に挑んだのは、まさにこの ”財政投融資”という名の、日本政府の伏魔殿の解明だったのである。
国家予算 = 一般会計 + 特別会計
一般会計が税収と国債発行からなる外ポケットで、特別会計の中に位置づけられる財政投融資が内ポケットです。96年度の予算は一般会計が75兆円、特別会計が260兆円。特別会計の方が予算規模が大きいのにもかかわらず、財政投融資は内ポケットになっているために何に使われているのかよくわからない。よくわからないことをいいことに、虎ノ門にある特殊法人やら認可法人やら公益法人やらが《寄生虫のように国家財政を喰い荒らしている》という実態がある。そのお金が教育に使われていれば「#教師のバトン」が明らかにしたような過酷な労働実態は生まれなかったかもしれないのに。敵は永田町と霞ヶ関だけではなく、虎ノ門にもあり。
だから虎ノ門にも注目しよう。
注目しつつ、上流からも攻めよう。上流 ≒ 特別会計 ≒《財投とは、かんたんに述べれば、二百十二兆円もたまった郵便貯金のこと》だから、郵政民営化さえできれば、下流にある特殊法人(道路公団、住都公団など)は自動的に干上がるかもしれない。干上がらないためには「内ポケット」に頼ることなくまともな経営をするしかないのだから。
なるほど。
だから郵政民営化だったのか。だから小泉政権に協力することになったのか。上流から攻めるという「ロジック」のベースとなる「ファクト」を得るべく、猪瀬さんは下流に赴き、山林に寄生する森林開発公団やら、ダムに寄生する水資源開発公団やら、住宅に寄生する住都公団やら、国家財政を食い荒らす《寄生虫》の姿を、つまり危機の実態を「主体的・対話的に深く」つまびらかにしていきます。結果《計算の途中で数字を一桁、間違えたのではないかとすら思った》というくらいひどい実態が露わに。
以下は、住都公団を「探究」するくだり。猪瀬さんによる「文庫本へのあとがき」からの引用です。
住都公団が発表している数字はパズルのようで、いくら考えても理解しにくい。そこで僕は現地に足を運んでヒントをつかむことにした。港北ニュータウンを歩いた。夜になると電灯がついている部屋と真っ暗な部屋のコントラストがはっきりする。ほんとうに不在なのかどうか郵便受けも一軒、一軒、調べ数えた。そんなことをしているうちに謎が解けた。
学校教育でいうところの「目指す児童像」って、こういうことです。「探究」もそう、「主体的・対話的で深い学び」もそう、そして教員の「研究」もそうです。勉強になるなぁ。ホント、毎日のようにサービス残業を強いられている場合ではありません。仕事を精選して時間をつくって本を読んだり人と会ったり町を歩いたりしていかないと、学校教育が干上がってしまいます。そのためにも、無駄を省いて教育にお金を回してほしい。猪瀬さんに『日本国・教育の研究』を書いてほしい。
とはいえ、世界一カネのかからないオリンピックを世界一カネのかかるオリンピックに変えてしまうような「敵」がいることを考えると、それから日本国の公財政教育支出の対GDP費が相変わらずOECD平均を下回っていることを考えると、今なお、国家財政は「形を変えたよからぬ仕組み」によって食い荒らされているのではないかと思ってしまいます。実際のところは、どうなのでしょうか。
さて、今日はオリンピックの閉会式です。コロナ禍でどこにも出かけられない中、家族で五輪観戦を楽しめたこと、アスリートの活躍にパートナーも長女も次女も「キャーキャー」はしゃいでいたこと、
猪瀬さんに感謝です。
心より。