田舎教師ときどき都会教師

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猪瀬直樹 著『ニュースの考古学 Ⅲ』より。ちょっと未来を見てくるだけでよい。それだけで、なるほど、と思うことがいっぱいある。

 ちょっと歴史を遡るだけでよい。それだけで、なるほど、と思うことがいっぱいある。ところがどうしても "現在" しか見ようとしない傾向が日本のジャーナリズムにあるようだ。
(猪瀬直樹『ニュースの考古学 Ⅲ』文藝春秋、1994)

 

 こんばんは。明日は始業式だというのに、気持ちの準備が整わないまま8月の最終日を迎えてしまいました。憂鬱でなければ仕事じゃない(!)とはいうものの、ちょっと歴史を遡って、7月末くらいにタイプスリップしたいところです。大人でも憂鬱なのだから、

 

 いわんや子どもをや。

 

 ひと昔前には、具体的には93年には、学校に行きたくないあまり「男に包丁で脅され、縛られた」って、狂言強盗を演じるような小学4年生がいたそうです。B級ニュースとして、スポーツ紙にも取り上げられたとのこと。担任だけでなく、警察も巻き込むほどの演技力をもっていたというのだから、学芸会では主役クラスでしょう。子どもたちの未来をつくる仕事をしている教員としては、アラフォーになっているはずのその男の子の現在が気になります。

 

 未来から逆算して「今の子どもたち」を見る。

 

 ちょっと未来を見てくるだけでよい。それだけで、なるほど、と思うことがいっぱいある。ところがどうしても "現在" しか見ようとしない傾向が日本の学校現場にあるようだ。

 

 なるほど。

 

 教え子巡りの旅をした8月が終わります。真面目だったあの子が、真面目に不真面目な大人になっていたり、やんちゃをしていたあの子が、健康優良児のその後をイメージさせるようなスマートな大人になっていたり。なるほど、と思うことがたくさんあった夏でした。

 

 歴史と未来をつなぐ旅ができること。

 

 教師冥利に尽きます。

 

 

 猪瀬直樹さんの『ニュースの考古学 Ⅲ』を読みました。週刊文春に掲載されていた「ニュースの考古学」を4つに分冊化したうちの「その3」です。ⅠとⅡとⅣにあたる『ニュースの考古学』『禁忌の領域』『瀕死のジャーナリズム』はすでに読み終えたので、

 

 これでコンプリート。

 

 ちょっと歴史を遡ることができて、具体的には90年代の前半を遡ることができて、「なるほど」というか、「あっ、そんな時代だったんだ」と思うことが多々ありました。自分が生きてきた子ども時代の解像度が「飛躍的に」アップしたことは間違いありません。「ニュースの考古学」の考古学という意味で、シリーズの全てがお勧めです。

 

www.countryteacher.tokyo

 

『ニュースの考古学 Ⅲ』には、93年の8月から94年の8月までのニュースを対象にした49本のコラムが載っています。明日から2学期ということで、以下、教育に関係する2つのコラムより。

 1つ目は93年9月30日付けの「寺山修司と『B級ニュース』について」というコラムです。最初に書いた狂言強盗云々という話はこのコラムで紹介されていたもので、著者曰く《だが小学四年生の ”迷案” が、このところ社会面を大きく飾った「甲府信金OL誘拐殺人事件」に触発されたのは明らかである》云々。冒頭に《だが》とついているのは、スポーツ紙には取り上げられたものの、誘因をつくった全国紙には無視されたという意味での《だが》です。

 

 学校がいやで狂言強盗を演じた小学四年の坊主よ、おまえもおもしろいヤツだが、他人が忘れようと自分は忘れることができないものなのだぞ。自分の行為がメディアの二次的産物であったと痛切に感じる時期が必ずやってくるのさ。

 

 ここ数年、9月1日は「18歳未満の子どもの自殺者が最も増える日」として、ニュースでもよく話題に上るようになりました。話題に上ること自体が「誘因」になっていないかどうか、二次的副産物を生んでいないかどうか、メディアにはそのことをよく考えてほしいものです。

 

 考古学はさらに歴史を遡ります。

 

 同コラムの主役を担っているのは、その小学四年生ではなく、72年に郵便局強盗を企てた三人組の中学生です。あさま山荘事件にヒントを得ての「企て」とみなされたその強盗事件は、全国紙の社会面を賑わせ、寺山修司の興味・関心をも勝ち得たとのこと。

 

 首謀者のH少年は、つかまったときナイフを取り出して抵抗しようとしたが、「ふざけるな!」と一喝されると「すみません、冗談です」とナイフをしまった、などと週刊誌も続報で伝えた。

 

 子どものイタズラとして有耶無耶にされてしまったこの事件について、寺山修司は次のように述べます。

 

「事件はほんうに白昼夢にすぎなかったのだろうか? それはHの少年時代の自己形成期のほんの一寸した試行錯誤だったのか?・・・・・・いい子にまい戻ってしまったHは、革命という名のペスト菌を流行させることもできず、ただの転向した健康優良児になって、ふとりながら受験勉強をはげむのだろうか?」

 

 寺山の「?」に猪瀬さんが答えます。大人になったHと、偶然、ロンドンで出会うんですよね。ロンドンで、です。もはや必然でしょう。

 

 そして自分はじつは「あの林少年である」と初めて洩らしたのだった。

 

 H少年は、どんな大人になっていたと思いますか。ちょっと未来を見てくるだけでよい。それだけで、なるほど、と思うことがいっぱいある。答えは本の中に。

 

教え子巡りの途中、廃校になった初任校にて(2022.8.12)

 

 もう一つ。93年9月16日付けの「置き去りにされた『曖昧な証言』について」というコラムについて。90年に起きた「校門圧死事件」のことが書かれています。私の初任校のように、校門がない、牧歌的な学校では起こりえない事件。事件の内容はよく知られているし、痛ましいので書きませんが、校門を閉めた細井敏彦元教諭が本を書いているんですよね。これは知りませんでした。タイトルは『校門の時計だけが知っている――私の〔校門圧死事件〕』です。この本も読んだ上で、猪瀬さんは次のように書いています。

 

 校門指導は三人一組であたる。ハンドマイクで怒鳴り門扉を閉める細井に対して、他の二人の教諭は校門の外で生徒を制止させる役割があったはずだ。だが処分されたのは細井一人で、校長も教頭も訓戒などの軽い処分で終わった。マスメディアも、すべては凶悪な一人の教諭の仕業という単純な勧善懲悪の物語に手を貸した。

 

 コラムのタイトルの「曖昧な証言」というのは子どもたちのそれのことです。子どもの証言を杜撰に処理し、細部まできちんと取材しなかったがために《単純な勧善懲悪の物語》ができあがったというわけです。そしてそのことがまた別の事件の「曖昧な証言」につながります。別の事件とは何か。答えは本の中に。

 

 明日は2学期の始業式です。

 

 全員、来てくれますように。