さらにいえば、このような旅行をしていると必ず「若いうちだけだよ」とか「思い出作りにね」とかいう言葉をはげましとして言われのだが、これもあたいは、イヤだ。旅行をいつまで続けるかということではなく、このようなやり方・精神で、三百年の人生を生きていく、そのためのむしろ準備体操の、そのまたアキレス腱のばしにすぎない小旅行において、このような言葉は実に退行的に聞こえる。
(小川てつオ『このようなやり方で300年の人生を生きていく[新版]あたいの沖縄旅日記』)
こんばんは。昨日、豆腐ようという沖縄の珍味を食べました。ちょうど小川てつオさんの沖縄旅日記を読んでいたので、うん、timely。後学のために書いておくと、豆腐ようというのは島豆腐を米麹、紅麹、泡盛により発酵熟成させたもので、東洋のチーズと呼ばれることもある(らしい)。当然、泡盛との相性がよく、ワインやビール、焼酎にも合う(らしい)。
そんなわけで、ビール。
味覚がお子さまの私にとって、豆腐ようの味はちょっと大人すぎました。残してしまって申し訳なかったなぁ、豆腐ようの写真を撮ればよかったなぁ、泡盛を飲めばよかったなぁ。
後悔先に立たず。
あたいは、「やりたい事をやる」ということだけが、社会や他人のためになる行為だと思っている。
やりたいことをやる。うん、correctly。実に進行的に聞こえます。《退行的》の反対という意味です。泡盛を飲みながら豆腐ようを食べる。その旨、バケットリスト(生きているうちに自分がやりたいことリスト)に追記しました。やりたいことはバケットリストに書いておく。このようなやり方で、
残りの人生を生きていく。
小川てつオさんの『このようなやり方で300年の人生を生きていく[新版]あたいの沖縄旅日記』を読みました。メインとなる前半には、著者(1970-)が19歳だったときの沖縄旅日記が、後半にはその10年後の沖縄再訪録が収められています。小池陽慈さんが編者を務めている『つながる読書』の中で、美術家の藤本なほ子さんが勧めていたのがきっかけで読みました。前回のブログでも同じような書き方をしましたが、この本も、
アタリです。
小池陽慈 編『つながる読書』で紹介されていた、小川てつオさんの『このようなやり方で300年の人生を生きていく[新版]あたいの沖縄旅日記』を読み始める。最初のページを開いた途端に「青」が飛び込んできて、まるで横道誠さんの『みんな水の中』のよう。小川さんもきっとニューロマイノリティ。 pic.twitter.com/T3dxu3mdDl
— CountryTeacher (@HereticsStar) August 21, 2024
小川てつオさんの『このようなやり方で300年の人生を生きていく』読了。19歳の沖縄旅日記+10年後の再訪記。あとがきに《「やりたいことをやる」ということは「人に支えられている」ということ》とある。《このようなやり方》を支える人の存在に気づく旅。結局、人。やっぱり、生き方。#読了 pic.twitter.com/Xe7pzfEkNM
— CountryTeacher (@HereticsStar) August 23, 2024
19歳の「あたい」こと小川さんは、テントを背負って「あたいの沖縄あっちこっちめぐり」をします。似顔絵を描いて小銭を稼いだり、野宿をして出費を切り詰めたり。さくらももこさんの「ももこの世界あっちこっちめぐり」とは違って太っ腹の旅の反対です。
さくらさんとの共通点は、子供心を失っていないということでしょう。小川さんは、好奇心全開で旅を楽しみます。まるで鳥かごから抜け出した鳥が、
はばたくように。
19歳の時のぼくは、全くもって、はばたきたかった。それも当然のこととして。なぜなら、「学校」というところで息を詰めるような数年間を送っていたから。この沖縄旅行を通じてぼくは、社会の肌合いの多様さを感じていた。人の顔が見えてきたのだ。ああ、全く似顔絵とは、人の顔を見るということだ。ぼくが無意識に選んだ似顔絵とは、社会へのぼくなりの踏み出し方だった。社会とは、人が作っているのだから、隙間やデコボコが常にあるし、一つの社会ではなく無数の社会がある。
あとがきより。似顔絵を描きながら、小川さんは老若男女、さまざまな人たちと交流して、リアルな社会の姿を学びとっていきます。小川さんの出会った無数の社会のおもしろいことおもしろいこと。そのおもしろさを象徴する隙間やデコボコが、唯一無二のエピソードを形づくりながら、例えば《畑の方でスケッチしていると、オートバイの兄ちゃんが、サトウキビを倒しているところまで乗っけてやると言い、サトウキビをとりいれしているおばあさんたちを描く。とてもファンキーとしか表現できないノリで、サトウキビのとりいれを手伝うとおばさんたちに次々と求婚される。サトウキビとやモチを大量にもらう》といった感じで、まるでロードムービーのように展開していきます。
学び多き旅。
で、いち教員として、疑問に思うんです。なぜこの小川さんのような学びを、学校では提供することができないのか。なぜ「学校」というところは息を詰めるような数年間を子どもたちに送らせているのか。
写真家の故・星野道夫さん(1952-1996)が『旅をする木』に《知り合いも、今夜泊まる場所もなく、何ひとつ予定を立てなかったぼくは、これから北へ行こうと南へ行こうと、サイコロを振るように今決めればよかった。今夜どこにも帰る必要がない、そして誰もぼくの居場所を知らない。それは子ども心にどれほど新鮮な体験だったろう。不安などかけらもなく、ぼくは叫びだしたいような自由に胸がつまりそうだった》と書いています。アメリカに渡ったときの心境です。小川さんもきっと、同じような心境だったのでしょう。学校は、一部の子どもたちにとって、叫びだしたいような不自由な場所になっている可能性があるということです。
また、太田さんが怒っている間、あたいは、中学三年の時、担任が「お前は最低だ」と言って、「お前のほうが最低だ」と言い返した後の二時間にも及んだ不毛な議論を、これまたうんざり思い出していたのだが、それを書くと長くなるので、やっぱり止めておこう。
ちょっとニューロマイノリティーの匂いがします。それはさておき、おそらくは担任も不毛な議論にうんざりしていたことでしょう。担任も生徒も、共にうんざり。この不毛な構造にメスを入れるためには、小川さんが旅先で出会ったような無数の社会を、換言すると「人」を、学校に、授業に、混ぜていくしかありません。そんなわけで、もうすぐ始まる2学期も、1学期と同様に、たくさんの大人とコラボしていきたいと思います。9月から12月までの4ヶ月間で、生き方を語ってくれるおもしろい大人を10人以上呼ぶ。仕事編のバケットリストに追記しました。
結局、人。やっぱり、生き方。
おやすみなさい。