スクーターで地べたに這いつくばるような格好でのんびり走っていると、地面には親しみが出る。見慣れぬ景色も食物も、酒も空気も、なんの抵抗もなく素直に入って来る。まるで子供の時からヨーロッパで育った人間みたいに。美人もよく目についたが、気おくれなど全然感じない。大げさに言えば、美人が皆ぼくのために存在しているようにさえ思えた。音楽に対してもそうだ。自然の中での、人間全体の中での、また長い歴史の中での音楽が素直に見られるようになった。
これはぼくにとっては大きなプラスだ。貨物船とスクーターで旅行をしたのは、いろんな意味でよかったと思う。
(小澤征爾『ボクの音楽武者修行』新潮文庫、1981)
こんばんは。先週、雪が降ったときに自宅の庭木数本が柳のようになってヤバイ感じだったので、今日は脚立に上って朝から昼すぎまでせっせと剪定作業をしていました。正直、重労働です。地面には親しみが出るものの、ボクの剪定武者修行とは全く思えません。こんなとき、我が子が男の子だったら一緒に庭仕事ができるのに。そんなパパの思いをよそに、娘二人はせっせとチョコレートづくり。
パパ、ひとつ食べる?
優しい(涙)。6日前に亡くなってしまった小澤征爾さんも優しかったそうです。小澤さんの『ボクの音楽武者修行』に解説を書いている萩元晴彦さん(1930-2001)曰く《私が何よりも心打たれたのは、彼の家族に対する優しい思いやりだ。優しさは小澤征爾を理解する、重要な手がかりである》云々。
優しい子には旅をさせよ。
小澤征爾さんの自伝的エッセイ『ボクの音楽武者修行』を再読しました。沢木耕太郎さんの『深夜特急』、それから星野道夫さんの『旅をする木』と同じくらい大好きな一冊です。クラスの子どもたち(小学5年生)にも、いつか読んでねって、紹介したい。2学期の国語で学習した「伝記」の復習をかねて、明日にでも授業の中で少しだけ取り上げようと思います。
小澤征爾って、知っていますか?
小澤征爾さんの『ボクの音楽武者修行』再読。24歳だった著者のスクーターでのヨーロッパ一人旅。沢木耕太郎さんの『深夜特急』や、星野道夫さんの『旅をする木』と同じくらい好き。《日本を出てから帰ってくるまで、二年余り、いくつかのゾクゾクに出会った》。続々とゾクゾクに出会えます。#読了 pic.twitter.com/hWbLjoANqQ
— CountryTeacher (@HereticsStar) February 11, 2024
小澤さんは、「世界のオザワ」と呼ばれた、日本を代表する指揮者です。でも、先週、亡くなってしまったんです。ニュース、見ましたか?
ぼくは昭和10年9月1日、満州国の奉天で生まれた。ぼくのおやじの開作さんは、ぼくが生まれる何年か前までは長春で歯医者をしていたが、満州事変の勃発とともに医者をやめて、協和会の創立委員として奉天に移り住んでいた。そしてそのころ親交のあった板垣征四郎の征、石原莞爾の爾をもらって三番目に生まれた赤ん坊に征爾という名をつけたのだそうだ。
満州国ってどこだと思いますか(?)。満州事変って何だと思いますか(?)。石原莞爾って誰だと思いますか(?)。6年生の歴史の授業で学習するので、楽しみにしていてください。気になる人は休み時間にググってみましょう。
ボクの歴史武者修行です。
試験となれば、やはりあがってしまう。そのうえ言葉がうまく通じないときている。だから的確な指示をあたえたくとも、ふさわしい言葉が浮かんでこない。そこでぼくは思った。よし、五体でぶつかってやれと。これが通ぜず落選したらしかたがない。その時にはスイスにでもゆっくり遊びに行こうとクソ度胸を固めた。ぼくは腕だめしのつもりで大胆に棒を振っていった。誰にもわかるように派手な身ぶり、手ぶり表情を見せて……。これだけはぼくもよく知っている世界共通の音楽用語「アレグロ」「フォルテ」などを連発しながら……。
小澤さんは24歳のときにヨーロッパへと旅立って、半年後にブザンソンの国際指揮者コンクール(フランス)で優勝します。それがきっかけとなって「世界のオザワ」へと変身を遂げていくわけですが、コンクールに出場するに当たってのエピソードがふるっているんです。なんと、コンクールに参加するための書類を提出したのに、締め切りが過ぎていたんです。
でも、小澤さんは諦めなかった。
アメリカ大使館の中にある音楽部に足を運んで《日本へ帰る前に一つの経験としてブザンソンのコンクールを受けたいのだが、今からなんとか便宜をはかってもらえないだろうか》って頼み込むんです。それこそ《クソ度胸》ですよね。なぜアメリカの大使館なのかはよくわかりませんが、これって、以前みなさんに話したことのある星野道夫さんのエピソードと似ていますよね。覚えていますか(?)。えっ、覚えていない(?)。では、もう一度話しますね。星野さんは、アラスカ大学の野生動物学部の入学試験を受けて、落ちるんです。
でも、星野さんは諦めなかった。
学部長のところに足を運んで《わずか30点の違いで1年を棒にふることは出来ない》って頼み込んで、入学を認めてもらうんです。小澤さん同様に《クソ度胸》ですよね。度胸って、クソ大事ということです。
それから後はシャンペンが出て乾杯になった。その間もぼくはひっきりなしにカメラでパチパチとやられ、また新聞記者のインタビューぜめにあった。大変なことになったと思った。なにしろぼくにとっては初めての外国のオーケストラだし、曲はむずかしいし、フランス音楽が主なので、ぼくにはかなりの難関だった。けれども新聞記者の問いに対しては、「この程度のことは、日本の音楽教育の過程ではほとんど基礎的なことに過ぎない」と言ってやった。記者たちは驚いていた。
ブザンソンの国際指揮者コンクールで優勝した際、小澤さんは新聞記者に問いに対してどのような答えを返したと思いますか(?)。よく聞きましょうね。小澤さんは「この程度のことは、日本の音楽教育の過程ではほとんど基礎的なことに過ぎない」って言ったんです。わかりますか(?)。音楽の授業でやっている基礎的なことは、世界に通用するんです。だから音楽の先生の話をしっかりと聞きましょう。
リハーサル終了です。
おやすみなさい。