田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

阿川佐和子、村上春樹、吉田直哉、他『おいしいアンソロジー ビール』より。子どもに任せるって、難しい。

 クリント・イーストウッドの映画『グラン・トリノ』で主人公の、超頑固でタフな元自動車組み立て工のおっさんが、常に国旗を掲げた自宅のポーチで飲むのも、常に缶入りのブルー・リボンだった。手すりに足を載せ、狭い前庭を面白くもなさそうに眺めながら、缶のまま飲み、飲み終えると片手でくしゃっと握りつぶす。そのつぶれた空き缶が足もとに積もっていく。デトロイトのいかにもブルーカラーが居を構えそうな一角の風景に、ブルー・リボン・ビールはよく似合っていた。
(阿川佐和子、村上春樹、吉田直哉、他『おいしいアンソロジー  ビール』だいわ文庫、2023)

 

 こんばんは。超頑固でタフな元自動車組み立て工のおっさんが静かにプッツンしてしまうシーンの惨たらしさといったらそれはもう、はっきりいって、私の中の『グラン・トリノ』は、あのシーンだけでNGです。みなさんは、

 

 観ましたか?

 

 しかし、そこはさすがの村上春樹さんです。愛好するブランドのひとつであるというブルー・リボンに着目し、映画『グラン・トリノ』を別の視点から語ると同時に《以前小澤征爾さんがうちに遊びに見えたとき、冷蔵庫からその四種類のビールを取り出して、「どれがいいですか?」と尋ねたら》って、世界のマエストロとの思い出につなげる、

 

 見事すぎる合わせ技。

 

「おお、ブルー・リボンがあるじゃないか!」

 

 すごく感動してくれたそうです、小澤征爾さんが。冷蔵庫の中のビールも驚いたことでしょう。だって、ハルキムラカミとセイジオザワですよ。

 

 私も驚きました。

 

 冷蔵庫の中ではなく、これから紹介する本の中の執筆者たちに。だって、阿川佐和子と村上春樹ですよ。さらに恩田陸と星新一ですよ。さらにさらに開高健と遠藤周作ですよ。切りがないのでもうこれ以上挙げるのはやめますが、総勢44名、いったいどうなっているのでしょうか。

 

 

 ビール、美味しいですよね。喉がなるし、腹もでる。もとい、泡もでる。というわけで、今日はもうこれ以上働くのをやめて、少しだけ『おいしいアンソロジー  ビール』を語って寝ます。 

 

 

 阿川佐和子さん、その他『おいしいアンソロジー  ビール』を読みました。古今東西の作家さんが綴った、ビールにまつわる選集です。その数なんと44篇。冒頭の引用は村上春樹さんの「ブルー・リボン・ビールのある風景」からとりました。それにしても、村上春樹さんが「その他」だなんて、抗えない黄金色より、

 

 贅沢。

 

 村上春樹さん以外にも、川上弘美さんや角田光代さんなどのビッグネームが名を連ね、さらに小学6年生の国語の教科書に出てくる『海の命』の立松和平(1947-2010)も登場し、さらにさらに《ペルリ渡来時代のビールを爆烈弾と思ひ違いをして地を掘って埋めたという逸話は誰でも知っている話であるが》で始まる伊藤晴雨(1882-1961)の「ビールが人を殺した話」など、歴史の勉強にもなって、

 

 いろいろな意味でおいしい。

 

 だから「ぜひお読みださい!」といいたいところですが、読み進めるのがちょっとしんどかったな、というのが正直な感想です。ビールの話ですからね、基本的にはお気楽モードなんですよね、どれも。で、近しい友人に読んでほしい、と思える一篇がなかなか出てこなかったんです。

 

 でも、ありました。

 

 一篇だけありました。故・吉田直哉さん(1931-2008)の「ネパールのビール」です。勉強不足で吉田さんのことは知りませんでしたが、内容から推測するに、おそらくいい人です。著者略歴には、演出家、テレビディレクターとあり、続けて《代表的な演出作に大河ドラマ『太閤記』『樅ノ木は残った』など》とあります。

 

 樅ノ木は残った。

 

 山本周五郎の歴史小説『樅ノ木は残った』のことです。以前勤めていた小学校が、その樅ノ木の近くにあったんですよね。何だか懐かしいなぁ。

 

 昭和60年の夏、私は撮影のためにヒマラヤの麓、ネパールのドラカという村に十日あまり滞在していた。

 

 バックパッカーだったときに、私もネパールに行っているんですよね。インドのダージリン経由で東側の陸路から入国し、首都のカトマンズまで横断しました。何だか懐かしいなぁ。

 

 まっさきに諦めたのがビールである。

 

 ドラカ村に行くにあたって、吉田さん一行はビールを諦めます。重いからです。ドラカ村には自動車が通れるような道路は皆無で、吉田さんたちはポーターを雇い、徒歩で機材や食材を運んだそうです。当然、余計な荷物は持てません。

 

 ――歯ぎしりするほど後悔した。ついうっかり日本の感覚で、ネパールの子どもにとっては信じられない大金を渡してしまった。そして、あんないい子の一生を狂わした。

 

 どういうことかというと、ドラカ村での撮影が終わったときに、吉田さんはビールが飲みたくなってしまったんですよね。で、そのことを口にしたところ、それを聞いていた村の少年チェトリ君が「ビールがほしいのなら、ぼくが買ってきてあげる」と応答した。大人の脚でも1時間半はかかる峠の茶屋まで、チェトリ君は買いに行ってくれると言うんです。そして吉田さんはお金を渡した。前回のブログでいうところのアナキズムです。

 

 アナキズム ≒ 信頼して任せる

 

www.countryteacher.tokyo

 

 任せた結果、どうなったのかといえば、そうです、チェトリ君が帰ってこないんです。日本人の感覚では大したことのないお金でも、チェトリ君にとっては大金だったんですよね。だから、もしかしたらそのままどこかへ逃げてしまったのかもしれない。そうすると、吉田さんがチェトリ君の人生を狂わせてしまったことになります。吉田さんは《歯ぎしりするほど後悔》します。さて、チェトリ君は本当に逃げてしまったのでしょうか。ぜひ、読んで確かめてみてください。

 

 任せるって、難しい。

 

 おやすみなさい。

 

 

グラン・トリノ (字幕版)

グラン・トリノ (字幕版)

  • クリント・イーストウッド
Amazon