田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

横道誠 著『発達障害者は〈擬態〉する』より。それは本当なのか?

 発達界隈では、カモフラージュは「擬態」という名で広く知られてきました。海外の研究では自閉スペクトラム症のカモフラージュばかりが目立って注目されていますが、発達界隈では擬態は発達障害者に広く見られるものだと認知されています。
(横道誠『発達障害者は〈擬態〉する』明石書店、2024)

 

 こんばんは。先週、贈与論で知られる近内悠太さんの連続講座に参加したときに、横道誠さんのことを初めて知ったというか認識しました。

 

 発達障害者は〈擬態〉する。

 

 横道さんの本を紹介するかたちで、近内さんがそう口にしたんです。驚きました。コミュ障なのに講座の最後に挙手して質問してしまうくらいに驚きました。発達障害者が〈擬態〉するだって(?)。いくら何でもそんなことはないだろう、という驚きです。自閉スペクトラム症だったり、注意欠如多動症だったり、そういった障害に典型とされるいくつもの症状を惜しげもなく披露し、私を困らせてきたかつての教え子たち。あの子も、あの子も、あの子も。いい加減、

 

 少しは〈擬態〉してくれよ。

 

 何度そう思ったことか。まぁ、発達障害者が〈擬態〉するなんてことは知らなかったので、それに近いことを何度も思ったという話ですが。

 横道さんが言うには、日本では発達障害者の〈擬態〉のことがあまりよく知られていないとのこと。発達障害者の専門家ですら知らないというケースが稀ではないとのこと。だから横道さんがこだわりを発揮して『発達障害者は〈擬態〉する』を書いたというわけです。ちなみに私もおそらく発達界隈の人間です。そうじゃなかったら、A県→B県→C県って、わざわざ教員採用試験を受け直して正規教員をやったりはしないでしょう。自他共に認めるコミュ障だし。職員室が苦手だし。忘年会とか歓送迎会とかイヤでイヤでたまらないし。だから行かないし。否、行けないし。人間関係ですぐに凹んで鬱っぽくなるし。つい最近もなったし。たった一通のLINEでそうなったし。ブログなんて書いてるし。さっき、パパも少しは〈擬態〉したらって長女に言われたし。

 

 読まないわけにはいきません。

 

 

 横道誠さんの『発達障害者は〈擬態〉する』を読みました。タイトルの通り、発達障害者は〈擬態〉しているという本です。登場するのは11名の発達障害者。横道さんは一人ひとりにインタビューし、「発達障害者の内側から見た体験世界」を「生きた声」で記述していきます。

 

 大切なのは、小さな物語。

 

 

 読んでいる最中に思ったことは、やはり私にも該当することがたくさんあるなぁということと、かつての教え子はこういうふうに世界を見ていたんだなぁということ、それからみんな高学歴だなぁということです。で、あとがき(おわりに)を読んだら《学力的に水準の高い人たちがずらっと並ぶことになった》と書いてあって、納得。賢いから、空気を読んでうまく〈擬態〉しているんですよね。では、そこまでは賢くない発達障害者はどうなのか。かつての教え子だったあの子やあの子やあの子が〈擬態〉しているようには見えなかったのは、学力水準が低いわけではないけれど、高いわけでもなかったからなのか。

 

 気になります。

 

「擬態」については、マコトさんがおっしゃるように「じぶんらしさを殺すこと」だと考えています。そもそも定型発達者はすんなり「擬態」できる人たちで、できない人が発達障害者として苦しんでいる人たちなんじゃないかなって思っています。

 

 という当事者の声もあるので、続編を待ちます。で、かつての教え子はこういうふうに世界を見ていたんだなぁということはツイート(ポスト)したので以下をご覧ください。横道さんが全部リツイート(リポスト)してくれて、いい人だなぁと思うと同時に、さすがは発達障害の当事者だなぁと思いました。

 

 まめだからです。

 

 

 

 こうやって発達障害者の内側から見た体験世界を知ることができると、統計上1クラスに3人とか4人とか5人とかいると言われている非定型発達の子どもたちに対して、私たち教員がどのようなスタンスで臨めばいいのか、或いはどのようなスタンスで臨んではいけないのかがわかり、文字通り有り難く思います。ひとつだけ例を挙げれば、

 

 これ。

 

 しのぴーさんに関しても、環境調整の必要は決定的に重要な意味を持っていた。マイクロマネジメントを持ちこんだり、不文律を敷いたりしないこと。そうすることで、しのぴーさんは強力な能力を発揮できる。

 

 環境調整の大切さ、経験年数を重ねた学級担任の多くが頷くところでしょう。とはいえ、なかなか難しい。あの子も、あの子も、あの子も、目立っていたんですよね。そうすると、ついつい声をかけてしまうというか、マイクロマネジメントをしてしまいがちになります。放っておくとクラスが崩れてしまう恐れがあるからです。一人くらいなら放っておけますが、それが複数かつ重度となると大変です。教室に40人近くの子どもたちがいたら、不文律で動いてほしい場面だってたくさん出てきます。だから繰り返しになりますが、こう思ってしまいます。

 

 少しは〈擬態〉してくれよ。

 

できればいつか機会を改めて、学歴などがほとんどない人たちの「擬態」について考える本も出せれば良いと思う。「擬態」に関して、またぜんぜん違ったイメージが立ち上がってきそうな気がする。

 

 ものすごい勢いで新しい本を刊行している横道さんのことです。今日のツイート(ポスト)にも《人生がだいぶ好調です》とあったので、きっとそういった本も出してくれることでしょう。こちらも負けじとものすごい勢いで横道さんの本を読みたいと思います。

 

 

 明日の通勤電車のお供は『発達障害の子の勉強・学校・心のケア』です。帰宅したら届いていました。

 

 いつか著者に会えますように。

 

 おやすみなさい。