田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

沢木耕太郎 著『檀』より。過ぎやすい人生の悲しさを知っていればこそ。

 みんな元気ですか。ロンドンに十五日居り、パリに着いてから、もう二十日になります。木賃宿にとまったり、豪華ケンランのHOTELにとまったり、面白いですよ。あなたは人生を楽しむことを知らないから、是非共、欧米に来てみたらいい。みんな堂々と、接吻したり、抱き合ったり、過ぎやすい人生の悲しさを知っております。わたしは三月八日から、SPAIN人の絵描きの車に便乗、SPAINに向かいます。
(沢木耕太郎『檀』新潮文庫、2000)

 

 こんにちは。今日は理科の授業の一コマから。液体窒素を机の上にドバドバッとするとどうなるか、わかりますか(?)。少しわかりづらいかもしれませんが、答えはズバリ、写真のようになります。もちろん実際にやってみる前に、子どもたちには予想するよう促します。そのときのポイントは、液体窒素を「人」とみなして考えること。だから声かけはこうなります。マイナス196℃の液体窒素の気持ちになって考えましょう。

 

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もしもあなたが液体窒素だったら

 

 もしも自分がマイナス196℃の液体窒素だったら。おそらく机の上はめちゃくちゃ熱いですよね。具材を入れる寸前のフライパンみたいなものです。だからドバドバッとされたらアチチチチッとなって、極力机に触れないような形、すなわち粒状に姿を変えることになります。そして落差を運動エネルギーに変えて力尽きるまで飛び散り、やがて蒸発します。猛スピードで粒は。長嶋有さんの小説のタイトルをもじれば、そうなります。夏の暑いときに子どもたちがプールサイドを飛び跳ねるようにして移動するのと同じです。

 

 猛スピードでコロナは。

 

 新型コロナウイルスの気持ちを考えたら、力尽きる前に新たな宿り主を提供してくれる今の日本は、パラダイスなのではないでしょうか。感染症医の岩田健太郎さんが大昔から言っているように、感染経路を制するものは感染症を制します。パスツールの時代からの真理です。学校再開という決定を再考するためにも、今日明日にでも首都圏を適切なかたちで封鎖して、或いは非常事態宣言を出して、感染経路を断ってほしい。そう願います。檀一雄が旅したLONDONでもSPAINでも、そしてパスツールの母国であるPARIのあるフランスでも、とっくにそうしているのですから。

 

 

 長らく「積ん読」していた沢木耕太郎さんの『檀』を読みました。檀一雄の妻であり、女優・檀ふみの母でもある、檀ヨソ子の視点で書かれた作品です。愛人との暮らしを赤裸々に描いた『火宅の人』の作家・檀一雄はどんな人物だったのか。

 

 自宅の人になるのもいいものです。

 

 3月の臨時休校による働き方の正常化がなかったら、或いは土日の外出自粛要請がなかったら、おそらくは『檀』は「積ん読」のままだったでしょう。こんなにおもしろいのに。傑作なのに。ページを開くことなくまた何年かを過ごすところでした。

 

 火宅の人になるのは如何なものか。

 

 火宅というのは仏教用語で、ブリタニカ国際大百科事典には《人々が、実際はこの世が苦しみの世界であるのに、それを悟らないで享楽にふけっていることを、焼けつつある家屋 (火宅) の中で、子供が喜び戯れているのにたとえた言葉》とあります。

 檀ヨソ子という妻がいながら、そして5人の子どもがいながら、自ら《僕はヒーさんと事を起こしたからね》と悪びれることなく宣言し、愛人との生活を始めた檀一雄。まさに火宅の作家です。そんな自己中心的とも思える「火宅の人」檀一雄を、檀ヨソ子さんが許したのはなぜなのか。そして沢木耕太郎さんが描こうと思ったのはなぜなのか。

 

 檀は若いころから放浪が好きだった。しかし、本当の意味での孤独が好きだったかというと、そうでもない。放浪の先でも、やはり人が必要だった。放浪は好きだが、まったくのひとりには弱い人だったのだ。だから、冬のニューヨークでも、冬のヨーロッパでも女性を求めた。ある意味でそれは誰でもよかったのではないかと思える。放浪先の孤独をいやしてくれる人なら、誰でも。
 孤独に憧れながら、常に人を求めてしまう。しかし、それは檀の弱さでもあると同時に、魅力でもあったと思う。

 

 弱さに惹かれたんですよね、きっと。檀ヨソ子さんも、そして沢木耕太郎さんも。弱さは優しさの裏返しです。しかも無類の「放浪」好き。バックパッカーのバイブルとされる『深夜特急』の沢木さんが惹かれないわけはありません。だからなのでしょうか、檀ヨソ子さんが檀一雄を追ってポルトガルのサンタ・クルスに行き、夫婦水入らずで過ごす数ヶ月の描写がとても印象に残りました。

 

 もう一つ。

 

 印象的だったことがもう一つあります。それは、檀夫婦の息子である次郎の発病のことです。日本脳炎に罹り、話すことはもちろん、自分の力では起き上がることもできなくなってしまった次郎のことを、檀ヨソ子さんは「全人生において最大の悲しみ」と表現しています。火宅の夫・檀一雄が愛人の元に走ったことよりも、よほど悲しいというわけです。

 

 日本脳炎にかかってしまったことについて、後悔することはいくつかある。ひとつは庭を鬱蒼としたままにしておいたこと。それは檀の好みでもあったのだけれど、もう少し雑草を刈り込んでおけば蚊の発生が防げたのかもしれない。

 

 明日から学校が再開します。自宅の人になって「積ん読」の解消に励みたいところですが、立場上、壇蜜ならぬ三密との負け戦に臨まなければなりません。過ぎやすい人生です。だからこそ、命の危険を冒してまで再開する必要があるのかと、首を傾げたくなります。防げた可能性のある「死」が起きてしまったときに、残された人々が抱え込む「悲しみ」はどれほどのものなのか。

 

 残された人々の気持ち。

 

 考えても考えても、届きません。 

 

 

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