田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

沢木耕太郎 著『凍』より。圧倒的な「凍」の世界で、待つということ。

 何事も、あるていど長く続けているとマンネリになってしまうところがあるのかもしれない。経験することに新鮮さを失ってしまう。すべてはすでに経験しているという感じを持ってしまうのだ。以前は遠くに発生する大きな雪崩を見ただけで感動したりしていたが、あれはあと二秒くらいで収まるだろうなと冷静に判断している自分がいるだけになる。特別なものであるはずのクライミングが、普通の生活に組み込まれてしまうようになる。自分も、ひとつひとつのクライミングが心から望んだものとしての輝きを失い、ただの生活の一部になってしまっていたのかもしれない。そうした中で、ここ数年の行き詰まりがあったのかもしれないのだ。
(沢木耕太郎『凍』新潮社、2005)

 

 おはようございます。お肉券、お魚券ときて、次に登場したのはエイプリルフールにうってつけの「布マスク2枚」でした。ご冗談でしょう、ファインマンさん。笑いの免疫効果を期待しての決断でしょうか。あまりの寒さに震えます。

 それにしても、圧倒的な「凍」の世界を自らつくりだし、全力を尽くして「闘」することを続けている政府には頭が下がります。かつてのリクルートの社訓「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」に負けないくらいのクリエイティビティーを感じます。この飽きさせない感じが長期政権の秘訣なのかもしれません。新鮮さの演出って、大事です。何事も、あるていど長く続けているとマンネリになってしまうところがあるからです。コロナに負けず、ご冗談にも負けず、布マスクを手にしたわたしたちに雪崩のごとくよきことが次々と起こりますように。

 

 凍。

 

 

 沢木耕太郎さんの『棟』を読みました。2005年8月号の「新潮」に掲載されたときには『百の谷、雪の嶺』というタイトルだった作品です。

 

 百の谷が集まるところにある雪山。

 

 百の谷、雪の嶺というのは、ネパールとチベットにまたがる標高7952mの「ギャチュンカン」のことです。ギャチュンカンは、日本を代表するクライマーの山野井泰史さん(当時37)と、同じく登山家の山野井妙子さん(当時46)が、夫婦でアタックしたヒマラヤの難嶺として知られています。『凍』は、その山野井夫妻がギャチュンカンの北壁に挑み、布マスク2枚では太刀打ちできない圧倒的な「凍」の世界で、全力で「闘」することを続ける姿を描いたノンフィクションです。

 

 二人とも山に対して登るということ以外に多くを求めていなかった。金も名誉も必要なかった。いい山に登れさえすればいい。とりわけ妙子はそれが徹底していた。

 

 そんな山好きの二人がギャチュンカンと全力で闘った結果、山野井泰史さんは手の指を半分、山野井妙子さんは手の指を付け根から全て失うことになります。冒頭の文章は、登頂には成功したものの、下山の途中で遭難しかけ、重い凍傷を負ってしまった山野井泰史さんが《ギャチュンカンの事故は起こるべくして起きたと言えるのかもしれない》と回想している場面からの引用です。ちょっとというか、かなり共感しました。サイドライン(赤)引きまくり。

 

 下山しているのか、
 遭難しているのか、
 それともまだ登っているのか。

 

 教職をあるていど長く続けていると、そういったことがわからなくなることがあります。レベルは違えど、山野井泰史さんと同じように、すべてはすでに経験しているという、いわゆる「マンネリ」に襲われるからです。以前は入学式の準備をしているだけでワクワクできたのに、或いは始業式のことを想像するだけでドキドキできたのに、今ではもう、そういった高揚感はほとんどありません。特別なものであるはずの「春」も、あっという間に普通の生活に組み込まれてしまいます。その年々の学級づくりが心から望んだものとしての輝きを失い、ただの生活の一部になってしまっているという現状。そうした中に、ここ数年の行き詰まりを感じます。沢木さんの『凍』を読んだときに、映画のような登山行よりも、冒頭に引用した回想に強く惹かれたのは、そういった心持ちゆえです。

 

 もう、登山はいいのかな。
 もう、教職はいいのかな。

 

 あるいは、そのとき、ギャチュンカンで凍りついたクライマーとしての魂が、ふっと溶け出しはじめたのかもしれなかった。

 

 春はまだはじまったばかりです。布マスク2枚が届くのを待つのと同じように、コロナが収束するのを待つのと同じように、長年の「働きすぎ」で凍りついた担任としての魂が、ふっと溶け出しはじめる「そのとき」を焦ることなく待ちたいと思います。

 

 行ってきます。