田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

小田実 著『何でも見てやろう』より。「何でも見てやろう」主義は、教養主義の勧めであり、多比の勧めでもある。

 出かけるにあたって、私は一つの誓をたてた。それは「何でも見てやろう」というのである。これは、行くからには何でも見ないとソンや、といういかにも大阪人らしい根性からでもあるが、もともと、私は何でも見ることが好きな男であったのである。それは私のタチでもあり主義でもあった。東京でも大阪でも、その他どこでも、私はむやみやたらに歩きまわり、むやみやたらとものを見て、そんなことで、あたら貴重な青春を浪費していたのである。
(小田実『何でも見てやろう』講談社文庫、1979)

 

 こんばんは。出かけるにあたっての「誓」といえば、時節柄というか何というか、外から帰ってきたら手洗いうがいをすることでしょうか。我が家だけでなく、お隣さんも、そのまたお隣さんも。もちろん新型コロナウイルスの感染予防のためです。しかし手洗いとうがいだけでは不十分なようで、先日、兵庫県知事が「大阪府と兵庫県の行き来を自粛してほしい」と呼びかけていました。その前日には、フランスのマクロン大統領が外出禁止令を出していました。兵庫や大阪、フランスに限らず、移動の自由を奪われるのってつらいですよね。「何でも見てやろう」っていう言葉に反応する若者ならなおさらのことです。

 

 

 美術館から共同便所まで。

 

 

 小田実さんの『何でも見てやろう』は、フルブライトの留学生としてアメリカに渡った著者が、不良外人と認定(?)されたがゆえに滞在の延長が叶わず、その代わりにアメリカと日本に横たわるもろもろの国をむやみやたらに歩いてまわったという貧乏旅行記です。「アメリカの女の子とパリを観れば」とか、「テヘランをうろつく」とか、「にわかヒンズー教徒聖河ガンジスへ行く」とか、目次からも「何でも見ようとしている様子」が伝わってきます。

 

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ニューデリー(2000)

 

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ブダペスト(2001)

 

 旅行記の系譜としては、沢木耕太郎さんの『深夜特急』にバトンを渡した位置づけになるでしょうか。ちなみに小田実さんも沢木耕太郎さんも26歳のときに日本を旅立っています。

 

 小田実さんの出発は1958年の夏。
 小田実さんの帰国は1960年の春。

 

 1958年~1960年といえば、アメリカではジョン・ケネス・ガルブレイスがベストセラーとなる『ゆたかな社会』によって「黄金の60年代」が到来することを予見し、日本では「所得倍増」という言葉がその後の高度経済成長を予感させていた、そういった時代です。雰囲気でいえば、桜が開花する直前のような時代といえるでしょうか。別の表現をすれば、

 

 鎖国から開国へ。

 

 と同時に、この国の精神風土に根強く生きている鎖国のヴェクトルが存在するかぎり、『何でも見てやろう』は何種類もの文庫本に変貌して末永くかつ広く若者の間に読まれつづけねばなるまい。

 

 直木賞作家の井出孫六さんによる「解説」からの引用です。若者というところがポイントですよね。しかも「読まれつづけねばなるまい」です。若者が「何でも見てやろう」と思って行動しない限り、内向きの、日本の鎖国のヴェクトルはなくならないというわけです。

 鎖国と聞いて、20代の頃にPTAの広報誌に寄せた文章を思い出しました。一部紹介します。

 

 英国にはギャップイヤーと呼ばれる習慣がある。入学の先延ばしを奨励するもので、毎年、大学に合格した若者の1割程度がこの習慣を利用して国外に出ている。同じような習慣がイスラエルにもある。兵役後に与えられる1年間の休暇を使って、多くの若者がバックパッカー的な旅を海外で経験している。どちらの国にも共通することは、地政学的にある種の鎖国状態にあるということだ。だからこそ国の外に出て教養を高めるという行為が社会に認知されている。

 ギリシア時代の哲学者プロタゴラスは「人間は万物の尺度である」と言った。この場合の人間とは抽象的な人間ではなく、個人としての人間をさす。つまり人それぞれに判断基準があるという当たり前のことを言っている。真意は「判断基準の根拠となる知識や経験を疑いながら、絶えず更新していきなさい」という教養主義の勧めにある。

 

 もう少し続くのですが、偉そうなのでここまでにします。小田実さんの「何でも見てやろう」主義は、教養主義の勧めであり、多比の勧めでもあるというわけです。だから次のような言葉には重みがあります。

 

『何でも見てやろう』の旅に出かけていなかったとしたら、私はどんなことをしているか。いや、もっと端的に、今どうなっているか。ときどき考えてみることがある。

  

 あとがきからの引用です。 ずっと鎖国を続けていたら、どうなっているのか。ずっとコロナ騒ぎが続いたら、どうなってしまうのか。もう若者ではないですが、かたちや対象はどうあれ、多比はまだまだ続けていきたいなと思います。

 

 何でも見てやろう。

 

 これまでも、これからも。

 

 

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