田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

日垣隆 著『父親のすすめ』より。父として考える。

 その後もまた居間のソファで息子が二時間くらいボーッとしたままだったので、さすがに怒りました。「お前、いい加減にしろ。日曜日を何だと思ってるんだ」と。ものすごく怒ったわけです。こちらは何とかこらえて、お昼までは我慢に我慢を重ねていたのだけど、ついに堪忍袋の緒も切れた。
 そうしたら、彼はボロボロと泣き始めたのです。小学生だとはいっても、男の子ですから泣くのは珍しい。これはきっと何かあるのでしょう。「いま思っていることを何でもいいから話してみたら」と促すと、「僕は、日曜日にこうやっているのが一番幸せなんだよ」と言うわけです。
(日垣隆『父親のすすめ』文藝春秋、2006)

 

 おはようございます。保護者にもよく話すこのエピソード、出典を忘れていましたが、昨夜、おそらくは次女のおかげで、再び目にすることができました。もう10年以上も前に読んだ本です。

 小さい頃からボーッとしたことがないという動的なパパと、ボーッとしているのがいちばん幸せだという静的な息子との日曜日のやりとり。

 パパである日垣隆さんは、小4の息子さんから返ってきた「僕は幸せだ」という予想外の答えにカルチャーショックを受けたそうです。そのような答えは全然予想していなかったとのこと。そして父親はそのとき初めて気づきます。親と子は全く別人格なんだって。

 

 だからおもしろい。

   

 

 昨夜、4月から中学生になる次女が新しい制服に袖を通してはしゃいでしました。次女は「小っちゃい」のですが、制服を着ただけで中学生に見えるから不思議です。本棚に眠っていた日垣隆さんの『父親のすすめ』を何となく手に取ったのも、そういったことが関係しているのかもしれません。三人の子をもつ著者による実践的かつ画期的な子育て論。もう少し早い段階で読み返していればよかったなぁと、もう戻ってはこない時間を懐かしみつつ、そう思いました。

 

 姉妹について。
 外出について。
 成功について。

 

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福島の大内宿にて(2011.1.2)

 

 その1「姉妹について」

 

 パパからすると、次女はずっと写真(上)のようなイメージです。眠ってしまって、抱っこされているイメージ。長女はお姉ちゃんで、次女はいくつになっても「小っちゃい」まま。接し方にも、知らず知らずのうちに違いが出ていたのでしょう。気づいたときには「しっかり者」の長女と「甘え上手」な次女という、よくある分類にきれいに収まっていました。 

 

 お姉ちゃんなんだから!

 

《「きょうだい」のなかで育っている子の親は、理不尽な優先順位を子に強いているという認識くらいはもったほうが賢明だ》と日垣さんは言います。わかっています。認識はしています。でも、いざやってみると、姉妹平等は四民平等よりも難しい。長男長女の多いクラスがもちやすいのは、つまりそういうことだったのかと、納得です。ついでにいうと、そのクラスにA型の子が多いとさらにもちやすい。経験上、そう思います。

 

 その2「外出について」

 

 長女と次女が成長するにつれて、家族そろって出かけるということが少なくなってきました。我が子と街を歩けなくなる日がそのうちやってくるのではないかと心配です。昔は当たり前のように連れ立って歩いていたのに。めちゃくちゃ愉しいのに。

 日垣さん曰く《子どもと一緒に、買い物や遊園地や野山に行けるのはせいぜい小学六年生までだ、中学生や高校生や大学生にもなって親と一緒に出かけるのが愉しいなんてのは逆におかしい、と言う中年男性が少なからずいます。そういう人が孤独であることはよくわかりますが(中略)詭弁も大概にしてもらいましょう》云々。エッジの効いた日垣節が『父親のすすめ』でもいたるところで炸裂していて、おもしろすぎます。

 

 ① 親が望んで子もついてくる 
 ② 親が望んでも子はもうついてこない
 ③ 親が望んでいなくても子がついてくる
 ④ 親も望んでおらず子もついてこない

 

 17歳を過ぎた女の子と父親が街を歩く可能性についての考察より。考えられるのは上記の4パターン。残念なことに、我が家はいちばん多いといわれる②になりそうな気配が漂っていますが、①がいいですよね。日垣さんも「親として望ましいのは①でしょう」とした上で、次のことを勧めています。

 

 父と子の二人旅。

 

 なぜなら、家庭のなかにいる限り、旅先で起こるような不測の事態に遇うことはなく、父親は年長者としての「生きる知恵」を我が子に教えられる機会をなかなか得ることができないからです。

 

 得られないと、どうなるか。

 

(前略)あたかも受験勉強さえやってくれていればそれで充分、という相当クレイジーな感覚に冒されてしまいがちになるのです。

 

 これ、保護者にも子どもにも伝えたい内容です。宿題さえやってくれていればそれで充分。受験勉強さえやってくれていればそれで充分。そういった感覚は、結構な割合の家庭がもっているような気がします。学校の勉強さえやっていればOK。いやいや、NGですから。狭すぎます。世界はもっと、広い。書を捨てて、町へ出ようってやつです。

 

 その3「成功について」

 

 子育てに失敗も成功もない。いや、ある。よく耳にするのは前者ですが、日垣さんは後者の立場です。子育てに失敗はあるし、成功もある。そして成功について、次のように語っています。

 

 仮に子育て期間を22年とすれば、22年後に子どもが親を必要としなくなる。そのような状態になれば、とりあえず成功と言えるのではないでしょうか。
 自立して「必要でなくなる」ことと、親に感謝し敬愛し続ける、ということは断じて矛盾しないはずです。

 

 今日はこれから次女の卒業式です。「パパ、いちばんに並んでおいてね」とのこと。まだ必要とされているようです。長女は高校生になり、次女は中学生になる節目の春。『父親のすすめ』を読み直して、仕切り直しといきたいところです。

 

『父として考える』もお勧めです。

 

 行ってきます。

 

 

父として考える (生活人新書)

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