「真に理性的な社会では、我々の中で最も優秀な者が教師になり、それ以外の者は他の仕事で我慢せざるを得ないであろう」。そう言ったのはアメリカの伝説的経営者、リー・アイアコッカ(Lee Iacocca)だ。教育関係者に限らず、この言葉に頷く人は少なくないだろう。何かと話題になるフィンランドの教育について、私は多くを知らない。ただ、同国の高校生の間で最も人気のある職業が教師だと聞いて、なんて健全な社会だろうと感心する。
(鈴木大裕『崩壊するアメリカの公教育』岩波書店、2016)
こんばんは。以前からひいきにしている Official髭男dism(髭ダン)のライブ・チケットが、人気急上昇のために、なかなか手に入らなくなってしまいました。10月からはじまる単独ツアーに何度も申し込みましたが、昨日の夕方に「厳正なる抽選を行った結果、残念ながら今回はチケットをご用意することができませんでした」という5回目の落選通知が届き、がっかり。もうすっかりメジャーなバンドになってしまったなぁと、小学生にも知られるようになった髭ダンの成長ぶりに、我が子の成長と同じような「嬉しさ半分、寂しさ半分」の感情を覚えます。田舎と都会を行ったり来たりする人生の中で、かれこれ5回受けている教員採用試験には一度も落ちたことがないのに。
髭ダンは高倍率。
教ダンは低倍率。
なんて不健全な社会だろうと感心します。教壇に立つよりも髭ダンのライブ会場に立つほうが難しいなんて。まぁ、髭ダンの人気は問題ではないのですが。問題は、教ダンの不人気。
今年はもう、髭ダンのライブに行くチャンスがなさそうなので、今朝、映画館に足を運んで『HELLO WORLD』(伊藤智彦 監督)を満喫し、同時に髭ダンの新曲「イエスタデイ」も満喫してきました。ひいきめにいって、新海誠 監督もびっくりの映画 & ビートルズもびっくりの名曲!
「イエスタデイ」は『HELLO WORLD』の主題歌のひとつです。髭ダン曰く「映画の世界観が一瞬で好きになった」云々。映画を観た後に歌詞を読み直したところ……。当たり前といえば当たり前ですが、おもいっきり映画の内容とリンクしていることに気づきました。
何度失ったって 取り返してみせるよ
雨上がり 虹がかかった空みたいな君の笑みを
例えばその代償に 誰かの表情を曇らせてしまったっていい
悪者は僕だけでいい
少しネタバレになりますが、歌詞中の「僕」と「誰か」がイコールでつながっているところが『HELLO WORLD』のストーリー展開の肝というか、SF的なややこしいところです。
僕=未来の自分
誰か=過去の自分
あ~、ややこしい。未来の自分がやってきて現在の僕(未来の自分から見ると過去の自分)の恋を助ける。しかしその助けには、過去を書き換えることによって「虹がかかった空みたいな君の笑みを取り返す」という未来の世界に生きる「僕」の目的がある。そしてその目的を達成した後には、現在の僕(過去の自分)の表情を曇らせてしまうようなカタストロフィーが起こることを、未来の自分は最初から知っている。つまり、
誰かの不幸を土台とした幸福ってOKか(?)という話。
犠牲を選ぶか、幸福を選ぶか。アルベール・カミュの『ペスト』にも出てくる、古典的な問いかけです。ちなみに『ペスト』では、登場人物の一人である若い新聞記者のランベールに《自分一人が幸福になるということは、恥ずべきことかもしれない》と語らせ、新たなモラルを獲得した「真の主人公」としての役回りを担わせます。そしてそれは『HELLO WORLD』も同様で、未来の自分が考えを改め、ランベールと同じカッコいい役回りを担うようになります。詳しくは、映画館で!
きっとここは、まだ誰も知らない、新しい世界。
うろ覚えですが、崩壊しつつある世界を立て直すために奮闘した「僕」が最後に口にする台詞です。
崩壊しつつある日本の公教育。
教師のプライド発言に続いて、あいちトリエンナーレへの補助金不交付の決定など、萩生田文部科学大臣の暴走(?)が続いています。崩壊しつつある日本の公教育のために、まだ誰も知らない、リー・アイアコッカいうところの「真に理性的な社会」の実現を、未来の萩生田文部科学大臣に期待したいところです。
HELLO WORLD!