田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

中村文則 著『惑いの森』より。アリとキリギリス → アリとセミ → 片隅で。教材に、惑う。

 やがてセミは力尽き、コンクリートの地面に落ちる。セミは狭い視界の中に、ぼんやりとアリの姿を捉える。セミの身体に電流のようなものが走る。恐怖だ。なぜこんな小さな相手に恐怖を感じるのか、セミにはわからない。これが恐怖なのかもわからない。理由は、アリを敵と思うほどセミが弱っているからだが、セミにはそんなことはわからない。
(中村文則『惑いの森』イースト・プレス、2012)

 

 こんばんは。アリとセミといえば、イソップ寓話の「アリとキリギリス」を連想しますね。勤勉なアリと、ヴァイオリンを片手に優雅な生活を営むキリギリス。努力は夢中に勝てない(春)とか、遊ぶが勝ち(夏)とか、 君も跳べ(秋)とか、そんなことをキリギリスが口にしていたかどうかはわかりませんが、やがて冬が来て食べるものがなくなり、遊んでばかりいたキリギリスは困ってしまうことになります。後悔先に立たず。後の祭り。弘法にも筆の誤り。もと陸上選手の為末大さんとは違って、Winnig Alone とはいかなかったというわけです。

 

 アリさん、どうか食べ物を恵んでください。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 持つべきものはアリ。親切心と、友情と。キリギリスはアリの助けを得て無事に越冬し、改心して働き者になったとさ。小学1年生の道徳の教科書にでも載っていそうな、日本らしいハッピーエンドです。あまりにも平和すぎる結末に、ギリシャ人の奴隷だったといわれる原作者のイソップが当惑するのも当然です。もともとの話は、そんな生っちょろい内容ではなかったからです。

 

 アリとセミ。

 

 原典は『アリとセミ』です。ヤマザキマリさんの『仕事にしばられない生き方』にそう書いてありました。「アリとキリギリス」よりもハードでワイルドなストーリー。食べ物を求めたセミに対して、アリはこう言い、セミはこう返します。

 

 アリ《夏に歌っていたなら、冬は踊ったらどうだい》
 セミ《歌うべきは歌い尽くした。私の亡骸を食べて、生き延びればいい》

 

 セミはそのままのたれ死にましたとさ。古代ギリシャ時代に書かれた、「アリとキリギリス」のオリジナルとされる『アリとセミ』の顛末です。小学1年生ではなく、中学、或いは高校1年生の道徳にこそふさわしいストーリーでしょうか。セミが力尽き、朽ち果てたそこは、もしかしたら「惑いの森」だったかもしれません。

 

 

 中村文則さんの『惑いの森』を読みました。中村さんが初めてチャレンジしたというショート・ストーリー集です。文庫本のカバーの裏には《抗えないはずの運命に光が射すその一瞬を捉えた、著者史上もっともやさしい作品集》とあります。やさしく、暗く、そして深い、惑いの森。

 

 この街にはコンクリートが多い。

 

 そんな一文ではじまる「片隅で」というタイトルの話が心に残りました。主人公は一匹のセミです。

 長い年月を土の中で過ごしたセミが、本能の赴くままに世界へ飛び出したところ、待っていたのは樹液をもたらしてくれる木ではなく、コンクリートの壁だった。セミはそれが何なのわからない。本能の赴くままに口を壁に突き刺しても、硬くて刺さらないし、何も出てこない。セミは混乱する。そしてまた別のコンクリートの壁へと飛ぶ。その繰り返し。飛べども飛べどもなお我が暮らし楽にならざりぢっと壁を見る。

 

 不条理と悲しみと。

 

 やがてセミは力尽き、コンクリートの地面に落ちます。待っていたのはアリ。《アリが近づいてくる》。これが「アリとキリギリス」に出てくるアリだったら、何か食べ物でも運んできてくれるかもしれませんが、いかんせん中村文学です。持つべきものはアリとはいきません。《自身が食物になることを、セミは理解できない》。イソップだったらここで先の捨て台詞というかヒロイックな言葉をセミに言わせるところですが、中村文学のセミは、抗えないはずの運命に光が射すその一瞬を捉え、飛びます。

 

 これは木だろうか? 夢中でとまったが、もちろんセミにはわからない。ただ、もう尽きかけた命の中で、自分の口がきちんと刺さり、求めていたものが体内に入ってくることはわかった。

 

 努力は夢中に勝てない。ちなみにこの後、セミは中村文学にふさわしいフィナーレを迎えます。実は《このセミはメスだったのだ》。えっ、そうなの(?)。この世界の片隅に。いわゆる大人の道徳です。読むと、わかります。イチオシ。

 

 感動の😭
 恐怖の😭

 

 10年くらい前に、家族で『friends もののけ島のナキ』(山崎貴、八木竜一 監督作品)を観ました。小学校の教科書にも載っていたことのある、浜田広介の児童文学「泣いた赤おに」をベースにした映画です。途中、長女と次女が泣いていました。長女は感動のあまり、そして次女は恐怖のあまり。教材選びの難しさやおもしろさってこういうところにあるなぁと思ったことを覚えています。

 

 アリとキリギリス。
 アリとセミ。
 片隅で。

 

 全て教材にしたい。

 

 惑うなぁ。