田舎教師ときどき都会教師

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幡野広志 著『他人の悩みはひとごと、自分の悩みはおおごと。』より。人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ。

 菩薩ってなんか遠い目してるじゃん。あれたぶん誰かの苦しい話を聞きながら別のこと考えてるよ。誰かの心を支えるというのは、自分の心を削ることでもあるんです、でも削ったぶんがそのまま相手の心に上乗せされるわけでもないので、共倒れになることもあるんです。共倒れしないいい方法は、遠い目をして話を本気で聞かないということです。
(幡野広志『他人の悩みはひとごと、自分の悩みはおおごと。』幻冬舎、2020)

 

 こんばんは。ひとごとと、おおごと。そのギャップに「悩み」の本質がある。幡野広志さんの新刊のタイトルに込められたメッセージです。チャップリンの「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」という名言を思い出す人も多いのではないでしょうか。

 

 ギャップといえば、映画『鬼滅の刃』。

 

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 映画『鬼滅の刃』には、ことばに撃たれてグッとくるシーンがたくさんあります。ことばに撃たれて、泣く。例えば主人公の竈門炭治朗が敵役の魘夢に「悪夢」を見せられたときに叫ぶ「言うはずがないだろう、そんなことを、俺の家族が!」という台詞や、鬼殺隊の柱のひとりである煉獄杏寿郎が猗窩座と戦う場面で口にした「柱ならば後輩の盾になるのは当然だ。柱なら誰だって同じことをする。若い芽は摘ませない」という台詞など。

 なぜこんなにも登場人物たちのことばに撃たれるのかといえば、それはギャップがあるからでしょう。具体的には、映画のところどころに散りばめられているギャグの存在です。煉獄さんが弁当を食べているときの「うまい!うまい!うまい!」なんて、まさに布石です。ことばに力をもたせるための布石。ギャグと思いきや、大まじめ。そのギャップが梃子となり、ことばが力をもってわたしたちを撃つ。そして生き返らせる。

 

 ことばに撃たれて、生き返る。

 

 幡野さんの新刊『他人の悩みはひとごと、自分の悩みはおおごと。』も、ところどころに散りばめられたギャグというかユーモアによって、現代の柱である幡野さんのメッセージが読者に刺さるという構造になっています。いわゆる「ギャップ萌え」的なメカニズムです。シリアスな人生相談に、幡野さんがユーモアを交えて答える。だから、糸井重里さんが本の帯に寄せているように《読んでいるぼくらも、いっしょに撃たれて、息が戻ってくるのを感じる》。チャップリンにも通じる在り方かもしれません。

 

 

 幡野広志さんの新刊『他人の悩みはひとごと、自分の悩みはおおごと。』を読みました。WEBメディア cakes に掲載された記事をまとめたもので、前作『なんで僕に聞くんだろう。』に続く、現代の柱による「人生相談その2」です。

 

 収録されている相談は、全部で32件。

 

 相談内容のはじめの一文を読むだけでも、どんな人生相談が届いているのかというイメージが湧きます。

 

 Q 母が癌になり、末期ではありませんが現在治療中の身です。
 Q 高校生から29歳まで祖母から暴力を受けていました。
 Q 僕は二十歳で童貞です。
 Q 障がいを持つ子どもの親になったことを受け入れられません。
 Q 母を病気で亡くし、父との関係に悩んでいます。

 どれもこれもシリアスです。僕は二十歳で童貞です、なんて特に。気持ち、わかるなぁ。童貞をこじらせたために成人式への参加を迷っている彼に対して、柱である幡野さんはこう答えます。

 

 あなたの悩みは童貞であることと、成人式への出席ということなんだけど、それはみかんの皮みたいなもので、悩みの本質は他者との比較なんだ。童貞である自分とそうでない同級生とを比べてしまい、成人式に行きたくないという気持ちにさせてしまっている。

 

 悩みの本質は他者との比較なんだ。撃たれます。母が癌になり、末期ではありませんが現在治療中の身ですという女性に対しては、お母さんを安心させるために焦って結婚相手を探すのはどうだろうと書いた上で、柱は次のようにアドバイスします。

 

 彼氏ができて結婚するかどうか迷ったら、自分よりも立場の弱い人間に対して、どんな態度をとるかをよくみましょう。その態度はいつかあなたと子どもにする態度です。

 

 これまた撃たれます。さっそく高校生の長女と中学生の次女にそのまま読んで聞かせたところ、ちょっと今勉強中だから黙ってて、みたいな返事が返ってきたので悩みます。自分の悩みはおおごと。思春期女子について、柱である幡野さんに相談したくなります。

 高校生から29歳まで祖母から暴力を受けていたという、31歳の女性の「Q」に対する次のような「A」にも撃たれました。

 

孤独死をしている老人ってたくさんいます。社会問題になって被害者のように扱われていますが、そこに過去の虐待や毒親問題が潜んでいることも多いとおもっています。

 

 なるほど、確かに。

 

 こういったことばに撃たれるのは、最初に書いたように、幡野さんのユーモアがそこかしこに顔をのぞかせているからです。シリアスな相談とユーモアのあることばとのギャップ。例えば《乾燥するぐらいドライに話し合ってみてください》とか《あなたは旦那さんのことを守る気ゼロどころか守る気マイナスになっていて》とか《親戚から耳でタコが授業をするほど散々いわれているだろうし》とか《少し頭の中が春の南房総です》とか、耳でタコが授業をするほど出てくるわけではありませんが、詩人が句読点でも打つように、幡野さんは絶妙なタイミングでユーモアのあることばを撃っています。悲劇が悲劇の底に沈まないように、かといって喜劇にならないように。さすが柱です。

 

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 来週はクラスの子どもたちと1対1での「学習相談」(1on1ミーティング)を予定しています。とはいえ、40人近くいるので、各々、カップラーメンができるくらいの短い時間しかとれません。幡野さんの《ほんのすこしの言葉で励ますことや勇気づけることはできる》という言葉を頼りに、ユーモアを交えつつ相談に載ることができればいいなと思います。

 

 担任も、柱。

 

 がんばろう。

 

 

なんで僕に聞くんだろう。 (幻冬舎単行本)

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