田舎教師ときどき都会教師

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猪瀬直樹 著『ピカレスク 太宰治伝』より。井伏さんは悪人です。太宰さんも悪人です。

 太宰治心中事件の謎は、死後、半世紀を経たいまも封印されている。「井伏さんは悪人です」が、太宰の自殺にどう関わっているのか。死ぬ直前に溢れ出た想いが遺書に込められたとすれば自殺の動機に含めぬわけにはいかぬ。
(猪瀬直樹『ピカレスク 太宰治伝』文藝春秋、2007)

 

 こんにちは。持ち帰り仕事(授業準備等)からの現実逃避で、昨日今日と読書に耽っています。人間失格です。否、人間らしいのかもしれません。本日、おそらくは大統領失格が決定的になったトランプさんも、その振る舞いをメディアで見聞きする限りは、人間らしいなぁと思います。では、『人間失格』を書いた太宰治はどうでしょうか。師弟関係にあったという井伏鱒二に問えば、人間失格を悪人という言葉に置き換えて、返す刀でこう表現するかもしれません。

 

 太宰さんも悪人です。

 

ピカレスク 太宰治伝 (文春文庫)

ピカレスク 太宰治伝 (文春文庫)

  • 作者:猪瀬 直樹
  • 発売日: 2007/03/09
  • メディア: 文庫
 

 

 猪瀬直樹さんの『ピカレスク 太宰治伝』を再読しました。 第一作の『ペルソナ 三島由起夫伝』、川端康成と大宅壮一を描いた『マガジン青春譜』に続く、猪瀬さんの作家評伝三部作の最後の一冊です。

 文庫の解説を書いている関川夏央さんは、この三部作について《それらは瞠目すべき評伝であり、たしかな「歴史記述」であった》と書いています。6年生の社会科で歴史の学習をするときには、徳川家康と村人のように、英雄史観と庶民史観を行ったり来たりするのが常ですが、この三部作における歴史記述については、行ったり来たりではなくそれら2つの歴史観を同時に味わうことができます。近代文学の雄として神聖視されがちな三島や川端や太宰の実像に、猪瀬さんが《尋常ではない浩瀚さと精密さをあわせもった調査、膨大な資料と研究の発掘、およびそれらに基づく根拠ある推理》によって、強烈な光を当てているからです。三島も川端も太宰も、ただの英雄ではない。庶民と同様に地べたを這いずり回るようなところもあって、もっと複雑。

 

 

 ちなみにピカレスクというのは、小説の形式を指す言葉で、Wikipedia の「ピカレスク小説」には《16世紀 ー 17世紀のスペインを中心に流行した小説の形式。悪漢小説や悪者小説、ピカレスクロマンとも呼ばれる》とあります。読み終えた後に「ぴったりのタイトルだなぁ」と思える『ピカレスク  太宰治伝』の目次は、以下の通り。

 

 序 章
 第一章  第一の事件
 第二章  第二の事件
 第三章  山椒魚の受難
 第四章  第三の事件
 第五章  第四の事件
 第六章  三鷹・下連雀へ
 第七章  太田静子の日記
 第八章  山崎富栄の青酸カリ
 終 章
 増 補 『黒い雨』と井伏鱒二の深層
 あとがき
 参考文献
 解 説  関川夏央「猪瀬直樹の方法と志」

 

 第一、第二、第三、第四の事件というのは、太宰の引き起こした自殺未遂、心中未遂のことです。第五の事件は未遂ではなく、実際に命を落とします。昭和23年6月13日の深夜に山崎富栄と二人で起こした、東京・三鷹の玉川上水での心中事件です。教員だったら応用行動分析学(ABA)的にこう考えます。第五の事件も本当は未遂に終わるはずだったのではないか、と。4回の未遂事件によって、強化されているはずですからね、太宰の行動は。猪瀬さんもそう推量します。

 

「太宰の死顔は驚いていいくらい平静なものであった」が、富栄のそれは「両眼をかっとみひらいて宙をにらんでいた」との山岸外史の証言を信じれば、太宰は水を呑んでおらずに死後に入水したとも考えられる。富栄はそうではない。富栄は太宰の死を見届け紐で結わえ、軀を引っ張り水没させるまで意志をはたらかせなければならない。雑草をなぎ倒しながら急流に大男を引きずり込んだとしたら無理心中事件になるが、もちろん推量の域を出ない。

 

 第一の事件は、弘前高校の生徒だったときに起こした自殺未遂。太宰(津島修治)は睡眠薬カルモチンを多量に服用し、昏睡状態に陥ります。その結果、どうなったのか。警察による逮捕を免れ、放校処分を逃れます。太宰は日本共産党の幹部とつながっている友人と左翼活動を行っていたからです。猪瀬さん曰く《津軽の実力者である津島家に警察情報が入らぬわけがないのである。としたら家長の文治は修治に左翼活動をやめろ、と叱責したはずだ》云々。危機が迫っているという行動前の出来事、自殺未遂という行動、そして危機を回避することができたという行動後の出来事。応用行動分析学(ABA)のロジックに基づけば、高校時代に起こした自殺未遂は、太宰の生涯に渡って繰り返された自殺未遂・心中未遂という手法を「強化」した最初の事件になったというわけです。友人は捕まり、放校処分に。

 

 第二の事件では、自殺幇助罪に問われます。

 

 太宰の最初の妻となる小山初代との婚約を破棄するために企てられた、太宰の身勝手による偽装心中です。婚約破棄だけでなく、分家除籍の取り消しや実家を当てにした借金の返済、仕送りの継続など、その他もろもろの目的もあり、まさにピカレスクです。猪瀬さん曰く《ところが計算外だったのは、女が苦しんで岩の上を這いずり回り、吐いて転げ回ったこと。自身もまたのたうち回ったこと。その結果、女は吐瀉物で窒息死ないしは体力の消耗から凍死してしまった》云々。弘前高校時代に使った睡眠薬の量を増やし過ぎたことが原因です。女は死んでしまった。しかし太宰は生き残った。しかも津島家の面々の加勢によって、起訴猶予処分で裁判を回避することができた。婚約破棄には至らなかったものの、その他の目的のいくつかは達成され、この事件もまた太宰の行動を強化することになります。

 

罰は免れたが、罪が消えたわけではない。

 

 作家の五味康祐さんが『人間の死にざま』という本の中で、太宰治の第二の事件を取り上げ、「あれは殺人事件だった」と指摘しています。その贖罪意識が『人間失格』を生んだ、と。太宰治の死後にベストセラーとなった『人間失格』の文体は、他者の命を奪ったことのある人間にしか書けないものである、と。五味康祐さん自身が過去に過失致死罪に問われていることを告白した上での指摘です。ピカレスク太宰には、贖罪意識があったのか、否か。

 

 第三、第四の事件。

 

 第三の事件は、首吊りによる自殺未遂事件を起こすことで同情を誘い、仕送りを続けてもらおうという魂胆。第四の事件は、小山初代とともに起こした心中未遂事件です。目的は初代との離別。使われたのはまたカルチモンです。第二の事件に対する贖罪意識があったのであれば、自殺未遂事件はよしとしても、心中未遂事件は起こさないと思うのですが、どうでしょうか。第三の事件でも、そして第四の事件でも、太宰の目的は達せられます。ここでもまた自殺未遂・心中未遂という行動が強化されたというわけです。

 離別した結果、太宰は井伏鱒二を媒酌人として、石原美知子と結婚します。結婚したのに、子どもが3人もいたのに、別の女性と第五の事件(心中事件)、しかも今度は未遂に終わらず、実際に命を落としてしまうのだから、媒酌人としての面子を潰された井伏鱒二が「太宰さんも悪人です」と考えたとしても仕方がないでしょう。さらにその間、もう一人、太宰の子を産んだ女性(第七章の太田静子)も登場します。人間失格を地で行く展開。女性とのトラウマを抱え続けた三島や川端とはちょっと違うなぁ。

 

 山崎富栄と起こした第五の事件。

 

 これは猪瀬さんが推量するように、そして応用行動分析学(ABA)的に、本当は「未遂」にするつもりだったのだろうと私も思います。思うというか、猪瀬さんの正確なファクトの積み上げによって、そう考えざるを得なくなります。第八章には「山崎富栄の青酸カリ」とあり、玉川上水での心中事件へと続くこの絶妙に思わせぶりのタイトルに、さすがは猪瀬さんだ、うまい、うますぎる、と興奮。そしてそのうまさはさらに広がりを見せ、「終章」と「増補」で展開される井伏鱒二との関係につながっていきます。

 

井伏さんは悪人です。

 

 最後の事件を引き起こすにあたって太宰がしたためていた遺書にあった言葉です。師弟として知られる井伏鱒二と太宰治。では、この言葉の意味するところは何なのか。猪瀬さんの別の本に出てくる「二宮金次郎はなぜ薪を背負っているのか」や「三島由起夫の祖父である平岡定太郎はなぜ原敬の暗殺を予期できたのか」などと同様に、ここでも優れた「問い」によって評伝のおもしろさが加速します。問いって、本当に大事。学校教育に「問い」を。子どもたちに「問い」を!

 

 太宰治がなぜ遺書に「井伏さんは悪人です」と記したのか、ヒントはこの共感能力の欠如にある……。

 

 共感能力の欠如というと、自殺未遂や心中未遂を繰り返した太宰も相当に共感能力を欠く悪人のように映りますが、井伏鱒二はそれ以上のピカレスクだと、太宰本人はそう思っているというわけです。それはなぜか。《この共感能力》の「この」が気になる人は、ぜひ『ピカレスク 太宰治伝』を読んで確かめてみてください。高校生のときに「夏休みの宿題」として出された井伏鱒二の『黒い雨』に、そんな秘話があったなんて。びっくりしました、本当に。国語の先生がその秘話を知っていたら、そして教えてくれたら、もっと興味をもって真剣に読んだのに(言い訳)。

 

  ヒントのヒントを少しだけ。

 

 太宰の井伏批判は作家の方法論の話を含んでいます。解説を書いている関川夏央さんが、そのタイトルを「猪瀬直樹の方法と志」としているのも、そういった話と関係しているのかもしれません。問いと同じように、方法も大事。《方法は力なのだ》って、猪瀬直樹さんと対談している沢木耕太郎さんもそう書いていますから。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 最後に、猪瀬さんが「終章」に書いた言葉を引きます。晩年、井伏鱒二が自身の人生を振り返って洩らしたという「人生は身過ぎ世過ぎだよ」という言葉を対に置いての、太宰の生き方の「方法と志」です。

 

 日常生活のみが目的化されれば、身過ぎ世過ぎ、である。太宰は「家庭の幸福」のなかに「津島修治」をおくことですでに示した。「家庭の幸福」に対抗するためには、自分はいつでも死ねる、という一言を持ち込む。すると世界はがらりと変わる。日常性に埋没しそうな卑小な自分を超えられる。この蠱惑的かつ危険な切り札は、おそらく芥川龍之介の自殺によって刷り込まれたのであろう。

 

 日々の授業に追われ、仕事と家庭の両立に「身過ぎ世過ぎ」な毎日を過ごしてる身としては、刺さるなぁ。どんな一言を持ち込めば、世界はがらりと変わるのでしょうか。あるいは何かが「やってくる」のでしょうか。

 

 三島と太宰と川端と、みんな違ってみんないい。

 

 秋の夜長に「作家評伝三部作」、是非🎵 

 

 

やってくる (シリーズ ケアをひらく)

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人間の死にざま

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人間失格 (角川文庫)

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  • 作者:太宰 治
  • 発売日: 2007/05/30
  • メディア: 文庫
 
ピカレスク―太宰治伝

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