つまり、人間には「統治する側」と「統治される側」があるが、日本文学の系譜において、森鴎外側が途切れてしまった。夏目漱石自体は偉いが、漱石の系譜はだんだんと私小説のほうに流れてしまい、結局、太宰治になってしまった。昭和の戦争に至る過程においても、「これでいいのか、アメリカと戦争なんてしたら破産するじゃないか」という発想の文学はなかった。そうして、小説は官僚機構や国家には何の影響力も持たないものになってしまった。
では、家長の意識はどうやったら芽生えるのかというと、やっぱり歴史だ。歴史を学ぶことを通して、家長の意識が高まってくる。
(出口治明、猪瀬直樹、中島聡、他『リーダーの教養書』幻冬舎文庫、2019)
こんにちは。もしも日本文学の系譜において、森鴎外側が途切れていなかったとしたら、日本はどんな国になっていたのでしょうか。言い換えると、太宰治側の放蕩息子タイプの作家ではなく、家長の意識をもった作家が官僚機構や国家に影響を与え続けていたとしたら、過去は、そして現在はどうなっていたのでしょうか。イフが大きすぎてうまく想像できませんが、家長、すなわち「公」の意識をもった作家・猪瀬直樹さん VS. 道路の権力(官僚機構や国家)の帰結を考えると、高速道路の風景のように、リーダーたる政治家さんたちの佇まいも一変していたかもしれません。
小学生の定番の遊びに「リーダー探しゲーム」というものがあります。別名、リーダーはだれだ。
今日は衆議院選挙の投票日です。
出口治明さんや楠木健さんや大竹文雄さんや岡島悦子さんや猪瀬直樹さんや長谷川眞理子さんや中島聡さんや大室正志さんや岡本裕一朗さんや上田紀行さんのような「教養」を身につけたリーダーは、
だれだ?
猪瀬直樹さんが執筆陣のひとりを務めている『リーダーの教養書』を読みました。猪瀬さんだったら日本近現代史、中島聡さんだったらコンピュータサイエンスというように、各ジャンルのトップランナーたちがその分野における重要な教養書を挙げ、解説を加えるという趣旨のガイド本です。目次は、以下。
序文 日米エリートの差は教養の差だ 佐々木紀彦
対談 なぜ教養が必要なのか? 出口治明 楠木健
教養書120
◉歴史 出口治明
◉経営と教養 楠木健
◉経済学 大竹文雄
◉リーダーシップ 岡島悦子
◉日本近現代史 猪瀬直樹
◉進化生物学 長谷川眞理子
◉コンピュータサイエンス 中島聡
◉医学 大室正志
◉哲学 岡本裕一朗
◉宗教 上田紀行
解説 箕輪厚介
全部で120冊の教養書が紹介されています。残念なことにほとんど読んだことがありません。教養のなさが身に沁みます。高校生のときにこういった教養書を「読む、ディスカッションする、書く」みたいな授業を繰り返せば相当に賢くなるような気がするのですがどうでしょうか。若者の投票率だって爆上がりするだろうに。部活に割いている時間とエネルギーを教養書の輪読に使ってほしい。部活が犠牲にしているものに気づいてほしい。
例えば、仕事に集中しすぎると子育てや家庭生活を犠牲にしてしまうことがある。その集中した状態を、まるでトンネルの中にいるみたいに視野が狭くなり、先の出口しか見えなくなる状態に喩えて「トンネリング効果」と呼ぶ。
大竹文雄さんが「経済学」で紹介しているセンディル・ムッライナタン、エルダー・シャフィールの『いつも「時間がない」あなたに』より。このトンネリング効果を知ると、小中高の教員が過労死ラインを超えて働き続けていることのヤバさがわかります。選挙との関連でいえば、児童会活動や生徒会活動が予定調和的なものになっているのもそのためでしょう。視野が狭くなっているから、小中高の12年間の「予定調和」が若者の「どうせ何も変わらない」=「投票しない」につながっていることに気づけない。そういったヒドゥン・カリキュラムに気づいたとしても、無賃労働のために変える気力すら湧かない。そもそも共働き夫婦が子育てをしながら長時間労働もこなすなんていうのは教員に限らず進化生物学的に間違っている。
例えば人類の歴史を少しでも知っていれば、人類の繁栄を支えたのが共同繁殖、つまり、共同体の中での子育てであることが容易に理解できる。この共通認識が社会に浸透していれば、子育てを若い夫婦だけに担わせる危険性がもっと議論されるだろう。
長谷川眞理子さんの「進化生物学」より。その危険性によって生じたツケは学校の教員がさらなる長時間労働というかたちで払うことになります。やれやれ。出口治明さんだって《若いときの長時間労働がその人の生産性をどう上げたかについての論文やデータでも何かあったら、ぜひ送ってください》ってお願いするそうなのに。保護者の要望に振り回され、進化どころか、
現状維持すらままならず。
長谷川さんのお勧めの教養書の中でいちばん「読みたい」と思ったのは、カール・ジンマーとダグラス・J・エムレンの『進化の教科書』です。長谷川さん曰く《進化生物学の教科書の決定版》とのこと。子どもたちにもよく話しますが、教科書って大事です。教科書が読めない子どもたちにしてはいけない。AIに負けてはいけない。長年コンピュータサイエンスに関わってきた中島聡さんも《そうした「哲学」を身につけるのに、紙の書籍は効果を発揮する》と書いています。そうした「哲学」というのは、そのプロダクトをなぜ作るのか、どんな価値を提供するのかといった「哲学」のこと。学校でいえば、児童会活動の在り方はこれでいいのか、現状の予定調和的な活動は子どもたちにどんな価値を提供しているのか、となるでしょうか。
ビジョンは如何に?
文章力は理系の人間だけでなく、あらゆるリーダーにとって不可欠な素養だ。リーダーは自分の言葉でビジョンを語り、新製品を作る際には、社内に、市場に、その製品の意義をアピールしなければならない。その意味で、本書は最良の教科書になるだろう。「なぜこのことを、小中学校の国語では教えてくれなかったのか」という思いだ。
中島聡さんが「コンピュータサイエンス」で勧めている木下是雄さんの『理科系の作文技術』より。この本もロケットスタート時間術を駆使して読みたいなぁと思います。さっそく、ポチッ。
とはいえ、文章力をはじめとする「言葉の力」といえば、やはり猪瀬さんでしょう。猪瀬さんのような「言葉の力」をもった政治家に一票を投じたい。
この本を読むと、明治という時代が、日本の近代の持つ意味が、もっと深く見えてくるはずだ。現在の自分たちが置かれている歴史的な立場までもが見えてくる。戦後民主主義で育った親から自由の名の下に不安を植えつけられ、通過儀礼と呼べるものがなくなっている状況で育った子どもが自我について考えるのにも役立つと思う。
この本というのは石光真清さんの『城下の人』です。猪瀬さん曰く、司馬遼太郎の『坂の上の雲』が歴史の表舞台を描いたものだとすれば、この『城下の人』は歴史の裏舞台を描いたものとのこと。やはり高校で読ませてほしいと切に思います。来年になったら選挙権を手にする高校生の長女が、日常場面でこういった本を手に取る可能性はほぼゼロですから。では、そろそろ長女と次女を連れて、
一票を投じてきます。
リーダーはだれだ。