宮台 そうなんです。これはおもしろいですよね。経済的に裕福な人たちが、自分たちの経済的なゲームを支えてくれる大統領は誰かというと、マケインではなく、オバマだと。「オバマのように社会の保全に関心を持つ人間がいないと、最終的には自分たちの経済ゲームが破綻してしまうぞ」と。
ちゃんと「おつむ」を使ったというわけです。
(田原総一朗、佐藤優、宮台真司『日本流ファシズムのすすめ。』ぴあ、2009)
こんばんは。昨日の衆議院選挙の投票率は55.9%だそうです。戦後3番目の低さとのこと。世界史に記録されるレベルのパンデミックがあってもこれです。事実上の医療崩壊など、社会の保全が蔑ろにされていることがビジブルになってもこれです。おもしろくもなんともありません。
クラスの安心・安全に関心を持つ人間が半分しかいないって、どう(?)。クラスなんてどうでもいいと思っている人間が半分もいるって、どう(?)。今日は朝から静かな怒りをぶちまけてしまいました。6年生の子どもたちにとっての昨日は、選挙よりもハロウィンのようでしたが。
子どもは子どもを生きている。
高校3年生の長女に「高校生? 来年よろしくね」と声をかけてくれた投票所のスタッフさん、Thank Youです。嬉しかったようで、投票済証を部屋のコルクボードに貼っていました。
社会学者の宮台真司さんが「同じ世界に入れるような関係を(親が)つくらないと、子供が可哀想なんです」と話しています。親が地域とつながることで、子も地域とつながることができるという話。投票所に我が子を連れて行くという親の振る舞いもそれと似ているなと思います。https://t.co/NsFW4br8LW
— CountryTeacher (@HereticsStar) October 31, 2021
子どもが子どもの後半戦を生きるようになったら、われわれ大人が「おつむ」を使って、例えば我が子を投票所に連れて行くなどして、彼ら彼女らの「社会化」を段階的・計画的にうながしていかなければいけません。たかまつななさんによると、選挙に行くかどうかは「親と一緒に投票所に行ったことがあるか」に最も左右されるとのことですから。だからそういったことを軽視し、社会を削って経済に盛ってばかりいると、小田急線やら京王線やらにジョーカーが現れてしまうことになります。宮台真司さんいうところの《最終的には自分たちの経済ゲームが破綻してしまうぞ》につながる存在です。だからこそ投票率が低いのは、言い換えると社会に無関心な人が多いのは、
よくない。
田原総一朗さんと佐藤優さんと宮台真司さんの鼎談本『日本流ファシズムのススメ。』を再読しました。正確には、私淑している宮台さんの言葉を拾い読みしました。初版は2009年の10月10日ですが、さすがの宮台さん。どの言葉も全く古びれていません。タイトルになっている「日本流ファシズム」も、2021年の宮台さんの発言と基本的には変わらないなと思います。
なので、ニューディール政策がファシズム的だ、全体主義的だと批判されるのは、完全に正しいんですよ。でも、資本主義は今後も永久に廃絶できないし、市場経済が社会を滅ぼさないためにはプレイヤーが社会的である他ないんですから、僕などは批判を覚悟で、ニューディーラー的なファシストでありたいです。
宮台さんの台詞です。なにが「なので」なのかは読んでみてくださいとしかいえませんが、ポイントは《市場経済が社会を滅ばさないためにはプレイヤーが社会的である他ない》というところ。つまり、国民ひとりひとりがまともである他ないということです。
皆の衆、まともであれ!
つべこべ言わず、投票所に行け!
そこだけを見ればファシズムです。各学校で示される「目指す児童像」などと同じで、全体主義的に見えます。でもこれは仕方がない。
先ほど紹介したニューディーラー的な動員は、全体主義そのものです。エリートが、社会的全体性の保全を旗印にして、「こうやれ、ああやれ」って社会環境を設計していくわけですからね。しかし、それは、僕に言わせると、仕方のないことなんですね。でも、その「仕方ない」が単なる居直りに転じると、悪魔祓いによって祓われるべき悪魔になってしまう。
今回の選挙で選ばれた政治家さんたちが居直りに転じて悪魔になってしまわないかどうか、それをウォッチするのが私たちです。だからこそ私たちは社会的である他ありません。それなのに、
55.9%。
目指す児童像なんてものを掲げている教員も悪魔にならないように気をつける必要がありますが、それにしても残念です。宮台さんが崩壊を加速させよとアナウンスするのも、仕方がないのでしょう。
学校現場の崩壊も加速しています。
おやすみなさい。