田舎教師ときどき都会教師

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猪瀬直樹、田原総一朗 著『平成の重大事件』より。平成の轍を令和で踏まないために、私たちは、正しく傷つくべきだった。

田原 なるほど、敗戦も自然災害の一つね。日本は戦争をいまでも総括できていない理由かもしれない。
猪瀬 天皇陛下が終わりだと祝詞のような玉音放送で言ったわけで、国民が自ら終わらせたのではない感じです。戦前の軍歌で『海行かば』ってあるでしょう。

 海行かば水漬く屍 山行かば草生す屍
 大君の辺にこそ死なめ 顧みはせじ

 こういう心情は自然災害に近いものだと思う。日本人は危機に瀕しても、どうしようもないものとして受け入れてしまう。戦争や震災からの前を向いて「復興」を目指すのは重要ですが、その復興に過去を反省する眼差しがなければいけない。
(猪瀬直樹、田原総一朗『平成の重大事件』朝日新書、2018)

 

 こんばんは。先日、映画『ドライブ・マイ・カー』(濱口竜介 監督作品)を観ました。原作は、村上春樹さんの短編小説集『女のいない男たち』に収録されている短編「ドライブ・マイ・カー」です。もうずいぶんと前に読んだ作品なので、原作の内容はすっかり忘れていましたが、映画の終盤、そのずいぶんと前の記憶に光を当てる台詞が出てきてハッとしました。

 

 僕は、正しく傷つくべきだった。

 

dmc.bitters.co.jp

 

 自宅に帰ってから『女のいない男たち』を開いてその台詞を探したところ、それは「ドライブ・マイ・カー」ではなく、主人公の名字をタイトルにした「木野」という別の短編にありました。正確には《おれは傷つくべきときに十分に傷つかなかったんだ》です。妻との間に起きた《自然災害に近いもの》を総括することなく「私」の営みを続けた木野が、やがて不運に見舞われるというプロット。

 

 まるで日本のことみたいだ。

 

 ハッとしたときにそう思ったのは、おそらく映画を観る直前に『平成の重大事件』を読んでいたからです。日本は「公」の時間軸に起きた「平成の重大事件」を《自然災害に近いもの》としてとらえ、正面から向き合うことを回避してきた。バブル崩壊も湾岸戦争も失われた20年も原発事故も、そして森友・家計問題も、見て見ぬ振りをしてきた。それはマズイ。令和が幕を開ける前に、猪瀬直樹さんと田原総一郎さんが『平成の重大事件』を出版したのは、「正しく傷つくべきだった」ことを私たち国民に伝えるためでしょう。

 

 日本はどこで失敗したのか。

 

 

 猪瀬直樹さんと田原総一朗さんの対談集『平成の重大事件』を読みました。そうそう、こんなことがあったなぁ。猪瀬さんと田原さんがいなかったら、日本はどうなっていたのかなぁ。平成という車に乗って10代、20代、30代を過ごしてきた私にとっては、自分の通ってきた道を、運転席ではなく助手席から眺めている感覚になりました。短編「ドライブ・マイ・カー」でいうところの《いつも運転席でハンドルを握っていた彼にとって、そういう視点から眺める街の風景は新鮮に感じられた》という「彼」と同じような感覚です。目次は以下。

 

 序 章 昭和天皇崩御を想いかえして――
 第一章 大山鳴動して何が残った?
 第二章 「官僚主権国家」との三十年戦争
 第三章 経済敗戦を総括する
 第四章 アメリカ・原発・徴兵制
 第五章 タブーなき「天皇制」激論!

 

序章 昭和天皇崩御を想いかえして――

 ある日突然天皇が崩御することで時間が更新されるという事態は、人知を超えた力として受け止められやすい。僕は日本人の意識の奥底に、無常感とカタストロフィ願望が共存している気がしてならない。あたかも大きな台風が来るのを待っているように。

 

 猪瀬さんが「天災史観」と呼ぶものです。これが日本人の集団主義とどこかでつながっているとのこと。そしてそこからは人為的解決に期待を抱かない習性が生まれやすいとのこと。最近の猪瀬さんの言葉遣いでいえば、個別・具体的な「私の営み」が、普遍的な「公の時間」とつながりにくくなるということ。だから正しく傷ついて、無常観とカタストロフィ願望を改め、自分たちの手で国をハンドリングしていかなければいけないということでしょう。ちなみに日本人の集団主義は、すなわち国民性は、小学校の教室でつくられているのではないかという考え方もあって、そのことは以下のブログに書いたので、ぜひ。猪瀬さんの『公』を取り上げたブログも、ぜひ。

 

www.countryteacher.tokyo

 

第一章 大山鳴動して何が残ったのか?

猪瀬 現在は、森友学園や加計学園の問題で安倍政権が揺れていますが、結局自民党に対抗できるような野党がいません。監視機能だけの野党では意味がない。三分の一でよいならかつての五五年体制下の社会党と同じです。自民党内での政権交代しかない状態になっています。本来、小選挙区制度は、政権交代を前提としてできたものだったのに、民主党政権の失敗により、制度そのものに禍根を残した。

 

 子どもの頃から慣れ親しんだ味はいつまでも消えないというマクドナルド的な話でいえば、現在の小学生は物心ついて以来ずっと「与党=自民党」の世界で生きているので、野党なんてハッピーセットのおまけのようにしか映っていないはずです。大山鳴動して中選挙区制度を小選挙区制度に変え、先進国の多くが採用している二大政党制を目指したのに、なぜ日本の政治には《振り子のように政権が定期的に左右に振れる》ことがないのでしょうか。小学生は理科の授業で振り子の原理を学習します。社会の政治の授業でも振り子の原理を現実に即して教えたいところですが、現実は教科書より奇なり。生きた政治は教科書のようには進んでいかないからこそ、例えば以下の猪瀬さんの記事にあるように、現実から「抜け落ちている」ことをスルーするのはNGです。見て見ぬ振りはやめて、正しく傷つき、ちゃんと怒らないと、ダメ。

 

newspicks.com

  

第二章「官僚主権国家」との三十年戦争

田原 話を道路公団に戻すと、猪瀬さんは苦難の末、四年間かけて民営化の道筋をつくって、二〇〇五年十月に民営化会社を設立した。苦労がようやく形になった瞬間だったろう。
猪瀬 はい。その後の分割民営化の成果という意味では、まず無駄を削って借金返済のスキームができた。民営化前に三十八兆円あった借金が、十年で二七兆円にまで減っている。
 風景にも現れました。サービスエリア(SA)、パーキングエリア(PA)が一変した。

 

 うまく機能していない小選挙区制度に加え、大山鳴動して何が残ったかといえば、官僚機構もそのうちのひとつです。しぶとい。昭和の高度経済成長を支えた官僚機構は、平成はもちろんのこと、令和になっても「権力」を握り続けています。田原さん曰く《そんな官僚組織と正面からけんかをしたのが、猪瀬さんだ》。映画『ドライブ・マイ・カー』の主人公と違って、猪瀬さんは正しく傷つきます。そして正しく怒ります。猪瀬さんを傷つけたのは、国民の貯蓄を好き放題に食い荒らしていた「特殊法人」。道路公団もそのひとつです。正しく傷つきさえすれば、風景だって変えられる可能性がある。猪瀬さんは『日本国の研究』によって自ら発見した問題と正面から向き合い、官僚組織と戦うことでそのことを証明します。担任が子どもたちの問題行動に正しく向き合えば、教室の風景だってガラッと変わる。スケールはずいぶんと異なれど、構図は同じではないでしょうか。

 

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第三章 経済敗戦を総括する

猪瀬 徹底的に争わない。論争のコストを最小限にすれば、いっけん効率がよい。例えば上からの指示に異議を差し挟まず、まっすぐに現場まで届ける日本型企業のシステムが、高度経済成長を推し進めた一面はある。ただ相次ぐ大企業の粉飾決算はそのツケが回ってきたものともいえる

 

 平成の経済敗戦は、日本人が正しく傷つくことを避けた結果だ。ここでもそういったことが書かれています。学校に置き換えれば、教員も、正しく傷つくことを避け、働き方に関する論争にコストを払わなかった結果が現在につながっている、となるでしょうか。給特法によって教員の給料を定額にすれば、いっけん効率がよい。高度経済成長を人材供給という役割をもって推し進めた一面もある。ただ教員採用試験の倍率は過去最低に落ち込み、精神疾患を理由に退職した教員は過去最多を記録しています。この「ツケ」は、令和の子どもたちが払うことになりかねません。嗚呼。ちなみに平成の経済敗戦というハンディキャップを令和の時代にどう克服していくかについては、猪瀬さんの最新作『カーボンニュートラル革命』に書かれているので、ぜひ。

 

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第四章 アメリカ・原発・徴兵制

 冒頭の引用はこの第四章からとったものです。日本政治のメンタリティは、敗戦や原発事故を経験しても変わらない。それはなぜか、という文脈。猪瀬さんはその答えを、序章にもあるように日本人特有の「自然災害」観に求めます。敗戦や原発事故は人災なのに。天災ではないのに。突き詰めて考え、難しいことに蓋をすることなく、正しく傷つかなければいけなかったのに。日本人は見て見ぬ振りをしてしまった。正しく傷ついてファクトとロジックを使えば、救出できた命は五万とあっただろうに。そういった話です。

 

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第五章 タブーなき「天皇制」激論!

田原 ところが平安時代中期以降になると、しだいに武士が台頭してくるとともに、天皇の力が弱まってくる。そして治承・寿永の乱が起きて、朝廷と武家が対立。結果的に源頼朝が勝って、史上初となる武家政権ができて鎌倉時代になるけれど、そこで頼朝は、なぜ敗北を喫した側の象徴的存在であった天皇を排除しなかったのだろう。鎌倉に幕府をつくったのだから、朝廷はむしろ邪魔じゃなかったのか。

 

 ちょうど6年生の社会の授業で鎌倉時代のことを学習していたので、今日、この田原さんの「なぜ」を子どもたちに紹介しました。天皇制と立憲民主制という「氷炭相容れざるもの」が共存している日本のレアな仕組みについては1学期に学習済みでしたが、小学生にはやはり難しかったようです。子どもたちには、ひとつの考え方として猪瀬さんの「なぜならば」を紹介しました。気になる方はぜひ『平成の重大事件』を読んでみてください。なお、日本の歴史の「肝」を子どもたちに教えようと思ったら、ミカド、すなわち天皇についての理解は欠かせません。教員のみなさんに、猪瀬さんのミカド三部作を強くお勧めします。

 

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 正しく傷つくことができない男たち、あるいは女たちは問題を先送りにします。平成の轍を令和で踏まないために、私たちは正しく傷つくべきだった。

 

 おやすみなさい。