そういえば、教室リフォームのとき、一生懸命科学コーナーをつくっている友だちの横で、イケッチは図鑑を読んでいた。でも、そんなイケッチに目くじらを立てずに、それぞれの仕事をやっていると、そのうちイケッチも働きはじめる。そういう緩やかさは大事にしたい。もし、そこでぼくがイケッチに注意してしまっていたら、それがモデルになってしまったはずだから。
(岩瀬直樹、中川綾『みんなのきょうしつ』学事出版、2015)
こんにちは。小を積めば、則ち大と為る。祝日のなかった10月。小さな疲れがこつこつと降り積もり、昨日はあやうく大きな目くじらを立ててしまうところでした。岩瀬直樹さんいうところの《そういう緩やかさ》を大事にするためにも、教員にはゆとりが必要です。
積小為大。
荒廃した農村を再建したことで知られる二宮尊徳が遺した言葉です。別名、継続は力なり。問題はその「小」がプラスかどうかということ。もしもその「小」がマイナスだったら教室は荒廃します。だからこそリフレクションを通して解像度を高めなければいけません。
教師の成長は「リフレクション」がかぎ!
岩瀬直樹さんと中川綾さんの共著『子どもが学ぶ、先生も学ぶ みんなのきょうしつ』を再読しました。5年生29人+担任の「きょうしつ」を1年にわたって記録した一冊で、昨年末には増補改訂版『読んでわかる! リフレクション』が発売されています。
岩瀬さん曰く「事実をもとにしたフィクション」云々。
例えば、冒頭の引用は「4月11日 掃除当番を決める」という1学期の一節に書かれている岩瀬さんの振り返りからとったもの。これに対して中川さんが《確かに、先生の一言はモデルになってしまうものだから気をつけなければいけないのだけれど、~》と返事を書きます。
振り返りのやりとり。
こういうやりとりを勤務時間内に継続できたら「みんなのきょうしつ」がもっとヘルシーになるのになぁと思います。裁判所に「授業準備は5分」などと逆算されてしまうような現状ではとても無理ですが。
岩瀬さんも試行錯誤しながらどうしたら時間をかけずに振り返られるか、を考えていたと思います。ただ、その大変さ以上に、やりとりを続けることは楽しく、私たちは自然とこの振り返りの仕方の「効果」についても考えるようになったのです。そして、この経験をどうしたらほかの人にも伝えることができるだろうか、ということでこのような本になりました。
このような本の目次は以下。
学期前 新しい1年、先生も学ぶ
1学期 クラスの土台をつくる
2学期 学びを広げる、深める
3学期 まだまだ、できることはある!
各学期の中に「4月8日」「4月9日」、・・・・・・、と日々の振り返りのやりとりが収録されています。また、各学期の最後にも、例えば「振り返りをやってみてわかったこと」や「誰と振り返りを共有するのか」などの振り返りが載っていて、これまた勉強になります。特に3学期の「教育書以外の本を読むことの大切さ」は、よい。あまりにも我が意を得たりだったので、以下のブログのタイトルにもしました。こちらも、ぜひ。
窓をあけてくれる人に、「ありがとう」と言うウッチー。
こういう小さな小さな親切や、やさしい言葉の積み重ねでこのクラスの文化ができているんだ。はじめのうちは、ぼくがせっせと回すことでこの循環をつくっていたのだけれど、ひとり増え、ふたり増え、そうやって文化になっていくんだね。この積み重ねと心地よい体験とが、一人ひとりの「心もち」のようなものにつながるのかもしれない。
2学期の「9月25日 クラスの文化が育ちはじめた」より。積小為大です。わたしもこういった小さな小さな親切や、やさしい言葉にあたる「小」の積み重ねを徹底的に意識しています。授業づくりの前に、或いは同時に学級づくり。経済指標の前に、或いは同時に社会指標。最近、そのことを言い表すにあたって「うまいなぁ」と思える表現に出合ったので以下に紹介します。
《かつてコピーライターの糸井重里さんが「魚を飼うということは、水を飼うということだ」と言ったことがある。魚を生き生きと育てたいのなら、水質をヘルシーに保つことだ、と。》
— CountryTeacher (@HereticsStar) October 22, 2021
全学級担任に贈りたい言葉です。問題は魚じゃない、水だφ(..) https://t.co/1OrlPSYbdk
水質をヘルシーに保つためには、担任が解像度を上げて「水の汚れの原因となるもの」を見つけなければいけません。メンテナンスフィッシュの存在にも気づかなければいけません。メンテナンスフィッシュというのは水槽内の掃除をしてくれる生き物のことです。引用でいえば、窓をあけてくれる人に「ありがとう」を言うウッチーなんて、まさにそれです。ウッチーのような振る舞いが増えれば増えるほど、水はきれいになっていく。水がきれいになれば、魚は主体的・対話的に深く泳ぎ出します。だからこそ「リフレクション」には意味がある。リフレクションなくして解像度の高まりなし。解像度の高まりなくして「みんなのきょうしつ」なし。科学の進歩だって解像度が高まった故のこと。解像度が緩いと教室はたちまち荒れや崩壊に接近してしまいます。
昼の仕事をすまして、
家へ帰ると、
夜おそくまで起きてわらじをつくりました。
のちにえらい人になりました。
子どもたちを帰して、
職員室へ戻ると、
定時ぎりぎりまでリフレクションしました。
のちにえらい人になりました。
経世済民を目指した二宮尊徳はのちに幕府に召し抱えられほどの「えらい人」になり、子どもも先生も学ぶ「みんなのきょうしつ」を目指した岩瀬直樹さんはのちに軽井沢風越学園の校長および軽井沢風越幼稚園の園長を兼任するほどの「えらい人」になります。二人に共通しているのは「みんな」のことを考えていたこと。そして、解像度が高かったこと。
担任の解像度が高いと、3学期の「みんなのきょうしつ」はこうなります。
チャイムが鳴ると学習を終えてあそびはじめる子、キリがいいところまで学習を続ける子とさまざま。そして2時間目がはじまるチャイム。また子どもたちは自然に算数の学習をはじめた。それぞれの進度表にしたがって淡々と。ぼくは歩き回りながら子どもたちの学びの様子を観察していたけれど、なんだかもう口を挟むことがなくなっている。
「なんだか自立しちゃったなぁ」
これは「3月19日 5年2組、旅立ちの日」より。この「なんだか自立しちゃったなぁ」に至る過程をつぶさに観察することができる、文字通りの「読んでわかる!」一冊。教室がしんどいなぁと感じる先生たちにお勧めです。
明日は選挙です。
生活がしんどいなぁと感じる先生たちは、必ず投票を!