利害関係なく頼れるのは親くらいだよ。昔から母はよく言い、その恩着せがましい言い方に、親なら当たり前だろうとでもいうような反応しかできなかったが、教師になってからは、それは決して、当たり前のことではないと理解できた。頼れる親が、実際に頼りになるかはどうかは別にして、存在することは幸運なことなのだ。
(伊坂幸太郎『ペッパーズ・ゴースト』朝日新聞出版、2021)
こんばんは。先週、クラスの男の子(6年生)が朝読書の時間に伊坂幸太郎さんの『逆ソクラテス』を読んでいるのを見て、重松清さんの『カレーライス』でいうところの「おまえ、もう『中辛』なのか?」みたいな気分になりました。
「おまえ、もう『伊坂幸太郎』なのか?」
甘口から中辛へと大人の階段を登っている子がいる一方で、踊り場にたたずむ大器晩成型の「おまえ、まだ『せなけいこ』なのか?」みたいな子もいます。いないけど。伊坂さんだろうとせなさんだろうと、読みたい本を、読めばいい。読みたいことを、書けばいい。
危惧しているのは、GIGAスクール構想下のタブレット端末が子どもたちの読書時間を奪っているように見えること。先行上映によってこうなることはわかってはいたものの、実際に子どもたちが Chromebook に振り回されているのを目にすると、檀千郷の父がいうところの《どうにもならないことはどうにもならない》というアドバイスが身に沁みます。あっ、檀千郷(35、♂)というのは中学校の国語教師で、伊坂さんの新刊『ペッパーズ・ゴースト』の主人公です。先行上映というのは本の帯から引用すると《ある条件下で他人の明日が少しだけ観える》という特殊能力のことで、檀千郷が父から譲り受けた力とされます。漫画『ワンピース』でいうところの見聞色。古典でいえば、フィリップ・K・ディックの『ゴールデン・マン』です。
《古典は若いときにしか読めない。大人になればなるほど時事問題に振り回されていく。》
— CountryTeacher (@HereticsStar) October 24, 2021
猪瀬直樹さん、他『リーダーの教科書』より。中高の部活はほどほどに。彼ら彼女らに本を読むゆとりを。ただでさえSNSに振り回されているのだから。
読書の秋。時事問題にもSNSにも端末にも振り回されることなく「古典」を読もうと思っていましたが、書店にペッパーズ・ゴーストが現れ、読み始めたらせなけいこさんの『ねないこだれだ』みたいになってしまいました。おもしろすぎて、眠れない。よなかによむこはおばけにおなり。
伊坂ワールドにとんでいけ。
伊坂幸太郎さんの新刊『ペッパーズ・ゴースト』を読みました。ペッパーズ・ゴーストというのは、劇場などで使用される視覚トリックのことで、身近なところでいえば、東京ディズニーランドのホーンテッドマンションでの活用が知られています。Wikipedia 曰く《観客から見えている舞台のほかに、もうひとつの隠された舞台》を用意することによって、ゴーストを登場させたり消したりすることが「自由自在」にできるとのこと。それはちょうど小説家が登場人物の運命を「自由自在」に決められるのと同じです。
「そうですよ。小説を書く誰かがいて、まあ、プロの作家なのか中学生がノートに暇潰しで書いているのかは分からないですけれど、とにかくこれを読んでいる誰かがいるってことです」アメショーは視線を一瞬上にやる。上空に、その誰か、「書き手」がいるとでも言うかのようだった。
このトリックを使って、読者から見えている世界のほかに、もうひとつの隠された世界を用意し、ちょっとネタバレになりますが、世界と世界をリンクさせることで「あっと驚く」一大エンターテインメントを築いちゃうというのが、伊坂さんの作家生活20周年超の集大成『ペッパーズ・ゴースト』です。集大成というだけあって、お馴染みの「伏線の回収の見事さ」や「思わずツイートしたくなるユニークな会話」や「愛されるキャラクター設定」などが冴え渡っていて、最初から最後まで安心して夢中になれます。学校でいうところの、あの先生ならどのクラスを任せても大丈夫だ、というような抜群の安定感。
「ハラショー、アメショー、松尾芭蕉」
天才か。
前作の『逆ソクラテス』に続いて「学校の先生」にスポットライトがあたっていることから、今回もまた、物語のところどころに顔を出す「リアル」に感心しきりでした。例えば以下のくだり。
父親の暴力に耐えながら、寝たきりで生活をする兄の面倒を見ている彼の姿を思い浮かべ、眩暈を覚えた。中学で始終、つまらなそうな顔をしていたが、彼にとってはもしかすると、中学校こそが息抜きの場だったのではないか。胸がぎゅっと締め付けられ、苦しくなった。
ある程度の年数を経験している教員であれば、それこそ「あるある」の話です。冒頭の引用もそう。親を頼りにできない子どもがこんなにもたくさんいるなんて。そしてそのことが彼ら彼女らにこんなにも大きな影を落とすなんて。教員になるまで直接的にはわかっていませんでした。
「何もできないくせに」
檀千郷は親を頼りにできない生徒のひとりに、そう言われます。私たち教員は、家庭環境に恵まれない子どもたちに何もできない。実力も運のうち。だから教育格差は広がるばかり。
でも、しかし。
いや、だからこそ。
何もできないということに忸怩たる思いを抱き続けているからこそ、檀先生は奮起し、この『ペッパーズ・ゴースト』の主人公の座を射止めます。伊坂さんの作品の主人公って、みんなそうですよね。弱さはいつか強さになる。ヤバイ未来が少し観えてしまったために、ヤバイ事件に巻き込まれてしまう檀先生の未来や、如何に。
ねないこだれだ?
おやすみなさい。