田舎教師ときどき都会教師

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田中泰延 著『会って、話すこと。』より。誰かに「会いたい」って思われる人に、なればいい。

わたしたちは、会いたいのだ。
いま、その意味を、考えるいい機会だと、わたしは思う。
(田中泰延『会って、話すこと。』ダイヤモンド社、2021)

 

 おはようございます。学生時代に観たアングラ演劇の「会おうと思えばいつでも会えると思える人には絶対に会えない」という台詞はけだし名言で、田中泰延さんいうところの《わたしたちは、会いたいのだ》と合わせて、コロナ禍の今はその意味を考えるいい機会だと、わたしは思います。そんなわけで、谷崎潤一郎の『文章読本』と並び称される『読みたいことを、書けばいい。』の続編にあたる『会って、話すこと。』を購入し、読んでみました。いち読者としての仮の結論は、こうです。

 

 誰かに「会いたい」って思われる人に、なればいい。

 

 知らんけど。

 

 

 田中泰延さんの『会って、話すこと。』を読みました。現代の『弁論術』(by アリストテレス)との呼び声も高い「会話術」の本です。前作の『読みたいことを、書けばいい。』は「文章術」の本だったので、小学校の国語でいえば、この2冊で「話すこと・聞くこと」「読むこと」そして「書くこと」の3領域をアップデートすることができるというわけです。人生はもちろんのこと、教員が読めば、授業が変わる、クラスも変わるシンプルな会話術&文章術。聞くところによると、文部科学省後援名義等の使用許可申請をしたとかしないとか。

 

 知らんけど。

 

 例えばこの「知らんけど」の効用について、田中さんは第2章「どう話すか(とっかかり編)」において、曰く《人間の知性とは、知っていることをひけらかすことではない。むしろ、何を知らないかを自覚した「無知の知」こそ賢者の姿勢といえるだろう》と書きます。だからこそ「知らんけど」によって《生半可な知識を振り回さず、あまり知らない自分を、正直に相手に差しだそう》とのこと。文章を書くときの心構えと同じように、正直であることが会話においても最も重要だからです。無知の知といえばもちろんソクラテス。この『会って、話すこと。』が古代ギリシャ哲学を生んだ賢人たちへのオマージュであると噂される所以です。

 

 知らんけど。

 

 以下、目次です。

 

 序 章 なぜ「書く本」の次に「話す本」をつくったのか?あ
 第1章 なにを話すか
 第2章 どう話すか(とっかかり編) 
 第3章 どう話すか(めくるめく編)
 第4章 誰と話すか
 第5章 なぜわたしたちは、会って話をするのか?

 これらの前やら間やら後ろやらに「はじめに」とか「ダイアローグ」とか「コラム」とか「おわりに」などがあります。

 ダイアローグの相手は編集者の今野良介さん。田中さんは《この本は、今野良介との「共著」である。》と書いています。今野さん曰く《わたしは、新しい発見、おもしろい出来事、大切なものは、いつも「あいだ」にあると思っています。》云々。続けて、

 

股間、行間、人間。

 

 おじさん同士の会話、斯くあるべし。こういった「ボケ」に対して「ツッコミ」を入れるのは、股間に対していきなりツッコミを入れるのと同じくらい野暮ですよというのが会話術の要諦のひとつです。日常会話にツッコミは要らない。それは「マウンティング」である。ツイッターでいえば「クソリプ」と同じである。ボケというのは仮説に過ぎないのだから、せっかく誰かが日常をおもしろくするために仮説を立てているのに、それに対して「正しさ」を主張するなんてナンセンス。田中さんはそう主張します。子育て中の親を含む教育関係者にとっての白眉は、以下のダイアローグ。

 

今野 子どもを見ていると思うんです。子どものイタズラとは「ボケ」であり、親のしつけとは「ツッコミ」であると。~中略~。自分が幼稚園とか小学生とかの頃を思い出しても、最初はみんなボケてたと思うんです。でも、いっしょにボケる奴が少なくなっていった。どうして、人はボケなくなるんでしょう。なぜ「Stay foolish」でいられなくなるのでしょう? 
田中 先生や親に言われたことを通して、「自分は社会常識を身につけたぞ」っていう子、知恵を持った子から、順番にツッコミに回っていきますね。
今野 教育ですか。

 

 私たちのしつけや指導は「ツッコミ」になっている可能性があるというわけです。それも大いに。仮説を立てましょうとか問いをつくりましょうとか子どもたちに促すわりには、子どもたちの「ボケ」(現実生活への仮説)に対して「クソリプ」を返している可能性があるというわけです。それも毎日。

 

 ほんまかいな。

 

 さらに、ここからは対「子ども」に限った話ではありませんが、田中さん曰く《「ほめる行為」も「マウンティング」の一種》とのこと。教育の世界で頻繁に使われる「傾聴」も間違いとのこと。ボケにはボケで応えましょう。私たちは知識を蓄え、相手のことでも自分のことでもなく「外部」のことを話しましょうというのが、数多の会話術とは一線を画する『会って、話すこと。』の「推し」です。

 

 人と人が、会って話すことの究極は、一緒に旅をすることだ。二人は常に新しいものを見る。次々と経験したことのないことが起こる。身の上話や、悩み相談などしている暇はない。そこには「外部」しかない。他人と会って会話する時間は、じつに「人生を共に旅する」ことではないのか。

 

 まじめか。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 他にも「機嫌と不機嫌のあいだ」とか「オンラインとオフラインのあいだ」とか「距離間」とか、会話術に大事なもろもろのことが書かれています。人生を変えたい方、授業やクラスを変えたい方は、ぜひ。以下は学級通信に載せてクラスの子どもたち&保護者に紹介した言葉です。

 

あなたはあなたが発した言葉でできている。じつは、あなたの人間関係も、財産も、幸福度も、言葉が変換されたものなのだ。

 

 人生が変わるシンプルな会話術を学んで、

 

 誰かに「会いたい」って思われる人に、なればいい。