作家という職業はなぜ生まれたのか。最初の自分探しは学歴エリートよりはじまるが、時間つぶしの余裕をもつ若者は時代とともに増えていき、今日のフリーターの原型のようなかたちで「文学青年」と呼ばれた一群が簇生する。しかし、彼らは生き抜かなければならない。生活をしなければならない。その悪戦苦闘が僕には鮮明に見える。作家を神聖視するこれまでの文学史の解釈に飽き足らなかった。市場社会のなかで生き抜く作家の真実を、市場社会の外にいる学者にはわかりようがないのだから。
(猪瀬直樹『作家の誕生』朝日新書、2007)
こんばんは。宗教改革で有名なマルティン・ルターに「ワインと女と歌を愛さぬ者は、生涯の愚者であろう」という言葉があります。プロテスタントの創始者らしからぬ、享楽的な、おもいきった発言です。学校の先生が教室でそんなことを口にしたら、保護者からクレームが来るかもしれません。何といっても、教師は聖職者ですから。ワインも飲まず、女も抱かず、歌も歌わずに夜遅くまでただ働きを続ける「聖職のゆくえ」。働けど働けどなお我が暮らし楽にならざり、ずっと子を見る。職場にいる女神のようなママさん先生が「プライベートはトイレの中だけ」なんて発言をしているのを耳にすると、現場の悪戦苦闘を知らずに教職を志す者は、生涯の愚者であろうって、そう思わざるを得ません。
で、何の話かといえば、神聖視すると見えなくなるものがあるという話です。見えないと、職業理解も進まないし、働き方改革も進まない。だから教師も作家も神聖視してはいけない。みんな人間ですから、ワインも飲むし女も抱くし歌も歌います。働けど働けどと謳った石川啄木なんて、家庭は放置するし仕事は辞めるし借金したお金で女遊びに興じるしで、いったい、ぢっと何を見ていたのでしょうか。もしも教職に就こうと思ったら、あるいは作家になろうと思ったら、彼ら彼女らのリアルを知っておいた方がいい。教職や作家に限らず、〇〇という職業に興味をもったら、〇〇の仕事をしている人たちの生活に迫った方がいい。そんなキャリア教育的な親心も感じられる一冊が、猪瀬直樹さんの『作家の誕生』です。
猪瀬直樹さんの『作家の誕生』を再読しました。文章で身を立てる作家という職業の成立史を学べる一冊であり、さらには作家評伝三部作(『ペルソナ 三島由起夫伝』『マガジン青春譜 川端康成と大宅壮一』『ピカレスク 太宰治伝』)+ スピンオフ作品である『こころの王国 菊池寛と文藝春秋の誕生』の手引き書にもなっている一冊です。
作家評伝三部作を書いた理由を、猪瀬さんは《なぜ僕が作家になったのかという自分自身に対する未だ尽きせぬ問いかけのためであった。それがうまく説明できれば僕にとっての「私小説」になると思ったからである》と書いています。カッコいい。その三部作を読んでみたくなる『作家の誕生』の構成は、以下。
第1章 投稿というネットワーク
第2章 スキャンダルとメディア
第3章 サラリーマンとフリーランサー
第4章 一発屋の登場と「文藝春秋」の創刊
第5章 文学青年二万人と市場の拡大
第6章 イメージリーダーの交代
第7章 事件を起こす、素材を集める
第8章 センセーショナルな死
第9章 自己演出の極限を目指す
第2章には川端康成、第3章と第4章には菊池寛、第5章には大宅壮一、第6章~第8章には太宰治、そして第9章には三島由起夫のことが書かれています。もちろん、ここに挙げた作家以外にも、田山花袋や井伏鱒二など、たくさんの文豪が登場します。エピソードもいっぱい。例えば「歯車」の芥川龍之介。
二十日は小樽で講演、夜行で函館に向かうのだが乗車の前に改造社に「クルシイクルシイヘトヘトダ」と電報を打っている。
芥川龍之介が「唯ぼんやりとした不安」という有名な遺書を残して自殺する二ヶ月前のエピソードです。学校の先生の中にも「クルシイクルシイヘトヘトダ」と誰かにメールやらラインやらをしている先生がいっぱいいそうです。唯ぼんやりとした不安ではなく、唯はっきりとした、定額働かせ放題という搾取。
昨日行われた大学入学共通テストの国語に、芥川龍之介の「歯車」が引用されていたそうです。高校生がこの『作家の誕生』を読めば、文学史についての解像度がグッと上がるのではないでしょうか。今日、オンラインで昨日の大学入学共通テストにチャレンジしていた長女(高1)にも読ませたいところです。
私「芥川龍之介、出てた?」
娘「そういうのわかんない」
がくっ。
作家評伝三部作と重複する記述もあることから、読むなら先ずは『作家の誕生』でしょう。スーパーマンが地球をグルッと一周してから地上に降り立つように、『作家の誕生』を読んでから三部作に降り立つ。全体像を掴んでから細部に進む。単元の導入のときに、子どもたちによく話している学習の基本です。
ちなみにこれは、全体像を把握しているブレインが権力者の周りにいれば、コロナの問題もオリンピックの問題も、細部まで指示が伝わり、ソフトランディングできる(!)という理路と同じです。いなければ、ゾッ。で、全体像を掴むにあたって発射台的な役割を果たしているのが第1章の冒頭です。心も掴まれます。
二十一世紀は情報通信革命の時代と言われる。
だがインターネットに代表される新しいネットワークの原型は、
二十世紀初頭に形成されていたのである。
情報発信の意欲は、百年前もいまも変わらないのだ。
あの時代の青年たちは、自分の心、内面を、
どのようにして他者に伝えようとしたか。
新時代のネットワークを、どうつくろうとしたか。
産声をあげた雑誌を舞台に繰り広げられる作家たちの青春群像。
そこに〈未来〉を感じ取ることができないか?
物語は1901年からはじまる……。
学者のように調べ、小説のように書く。さすが猪瀬さんです。物語は1901年からはじまり、ポストモダンの時代がスタートする1970年まで続きます。
最初の舞台は投稿雑誌。そこに書き手が集まり、その中から本を出す人が生まれる。舞台は Twitter 或いは blog。そこに先生が集まり、その中から教育書を出す人が生まれる。ちょっと似ていて、確かに〈未来〉を感じ取ることができます。
歴史を知り、未来も含めた全体像を掴んだ上で、現在をとらえる。作家たちの青春群像は、教師たちの青春群像にもつながっている(かもしれない)。
作家という職業はなぜ生まれたのか。
答えは本の中にある。