田舎教師ときどき都会教師

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宮台真司、近田春夫 著『聖と俗』より。人ごとに違う凸と凹が噛み合って尊敬できるコラボがいい。

宮台 90年代の僕は一貫して、日教組的な言説に対抗してきました。日教組の「万人に無限の力がある」に対し、僕は「人ごとに違う凸と凹が噛み合って尊敬できるコラボがいい」と強調。「勝つ喜びよりも分かる喜びが大切だ」に対し、「感染動機さえあれば、すべて暗記して競争に勝つ喜びも問題ない」と強調。他でもない、僕がそうしてきたからなのです。
近田 確かに、ずっとそうだったよね。
宮台 僕が東大を目指したのは革命家になるため。高2で父と論争した時、父が「革命家になるにも東大だぞ」と宮本顕治を持ち出してきたこともありました。高2からはグラシム主義者(構造改革派)松田政男氏の本『薔薇と無名者』(70年)を通じて圧倒的に感染したブント(都市革命主義者)廣松渉氏が、東大で東大教授だったこともありました。
(宮台真司、近田春夫『聖と俗』KKベストセラーズ、2024)

 

 こんばんは。宮台真司さんの自伝(1960年代の幼少期から2006年頃に結婚するまで)を読み終え、続けて宮台さんとおおたとしまささんの『子どもを森へ帰せ』を読み始めたところ、何だか無性に森へ行きたくなったので、森というか山に行ってきました。

 

 これもひとつの感染動機でしょう。

 

紅葉の二歩くらい手前(2024.11.4)

 

鹿に遭遇(2024.11.4)

 

言外・法外・損得外(2024.11.4)

 

 

 教育において大切なのは、競争動機でも理解動機でもなく感染動機、すなわち憧れによって動機付けられること。人生において大切なのは、言外・法外・損得外から力を得ること。宮台さんのファンにはお馴染みの「教え」です。宮台さんはやっぱりすごかった。自伝を読み、改めてそう思いました。正直、同じ人間とは思えません。

 

 

 宮台真司さんと近田春夫さんの『聖と俗』を読みました。副題は「対話による宮台真司クロニクル」。クロニクル、すなわち宮台さんの年代記です。画家の岡本太郎の思想に影響を与えていたことで知られる、ルーマニア生まれの宗教学者ミルチャ・エリアーデにも同タイトルの本(法政大学出版局、1969)があって、その本の副題は「宗教的なるものの本質について」。それに倣えば、令和の『聖と俗』には「宮台真司なるものの本質」が描かれているといえるでしょう。以下、目次です。

 

 まえがき 近田春夫
 序 章「切り付け事件」とは何だったのかあ
 第1章「独裁者になったら……」ー 幼少期~小学校時代
 第2章「革命家を志す以上、勉強に時間を割くわけにいかない」― 中学・高校時代
 第3章 アングラ卒業、性愛の享楽 ― 大学生時代
 第4章 研究、ナンパ、学生起業 ― 大学院生時代
 第5章「新進気鋭の社会学者」誕生 ― 助手~非常勤講師時代
 第6章 求道者としてのテレクラ修行 ーナンパ師時代
 第7章 援助交際ブームとは何だったのか ― 援交フィールドワーク時代
 第8章「終わりなき日常は地獄である」 ― メディアの寵児に
 終 章 聖なる存在 ― 結婚、子供、家族
 あとがき 宮台真司

 

 冒頭の引用は終章から取りました。この部分だけ読んでも、宮台さんのすごさが伝わるのではないでしょうか。「宮本顕治」とか「グラシム主義者」とか「薔薇と無名者」とか「ブント」とか、とにかくありとあらゆる分野の固有名詞だったり学術用語だったりが、おもしろいエピソードと一緒に淀みなく紡がれていくんです。穿った見方をすると、書籍化するにあたって加えられたのでは(?)と思ってしまいますが、対談相手の近田さんが《よく覚えてるねえ》とか《本当によく覚えてるねえ(笑)》とか《初めて聞く術語ばかりだけど、「なるほど」と言っておきますよ》などと、音楽家らしくテンポよく返しているので、リアルタイムで出てきたものなのでしょう。ほんと、びっくりしますから。

 

 すさまじい凸です。

 

 そのすさまじい凸に気持ちよく語らせている近田さんも、すばらしい。宮台さん言うところの《人ごとに違う凸と凹が噛み合って尊敬できるコラボがいい》を実践してくれています。小学校の教室における子どもたちの関係性も、小学校の職員室における教員たちの関係性も、そうであるといいなぁ。「凸凹こそ世界である」ということが腑に落ちていないと、授業のやり方を揃えようとしたり、廊下の掲示物を揃えようとしたり、子どもたちに対しては得意を伸ばすではなく苦手なことを克服させようとして、躍起になったりしてしまいますから。凹凸をなくしてフラットにしてしまったら、おもしろいエピソードは生まれなくなってしまうのに。

 

宮台 若い人の文化が影響を受けるようになったのは、80年代お笑いブームを経た90年代半ばからです。転校した70年当時は東西の文化に壁がありました。関西では、「消しゴム貸して」って言われたら、わざと定規とかを渡してボケる。相手がそれを受けて字を消すふりをしてボケてから「消えへんやん!」とツッコむ。そこまでが一連のお約束です。
近田 関西人は全員が芸人の素養を身につけているわけね(笑)。
宮台 ところが、三鷹の小学校で「消しゴム貸してくれ」と言われて、当然のように定規を渡したら、「消しゴムって言ってんだろ、宮台!」とキレられた。衝撃でした。

 

 おもしろいですよね。クラスの子どもたち(小学6年生)にこのエピソードを紹介したところ、かなりうけていました。文化の違い=凸凹のおもしろさ。やはり、この凹凸をならそうとする学校文化には、

 

 抗い続けたい。

 

 

酔り道(2024.11.4)

 

 山を下りた後、日本酒を呑んで帰りました。山内聖子さんの『蔵を継ぐ』に出てくる仙禽があって、嬉しい。せんきん(株)の蔵元の薄井一樹さん(元ソムリエ)について、薄井さんと同い年の山内さん曰く《彼は若い頃から異性に対してのサービス精神や気遣いが大人びている。笑っちゃうくらいに》云々。

 

 笑っちゃうくらいに。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 引いちゃうくらいに。

 

『聖と俗』の半分くらいは「性愛」の話題で占められています。笑っちゃうくらいに、ではなく、引いちゃうくらいに、です。でも、興味深い。まさに聖と俗。読めばそれはわかります。宮台さんの盟友である大澤真幸さん曰く《男女関係には外から見えないものがいっぱいあるのに、外から見える一面だけ捉えてラベリングするのは正しくないし、そもそも下品で浅ましい》云々。内から見える宮台真司なるものの本質について、秋の夜長にぜひ一読&一考を。

 

 花粉症がしんどい。

 

 おやすみなさい。