田舎教師ときどき都会教師

読書のこと、教育のこと

猪瀬直樹 著『戦争シミュレーション』より。あの戦記をしてあの未来あり。

 排日移民法制定と同時期、日本における日米未来戦記を定着させる上において、大きな役割を果たしたのが、ヘクター・C・バイウォーターの『太平洋大戦争』(1925年)の翻訳刊行だった。ここで、水野広徳に続く海軍出身作家の石丸藤太が登場し、毎年のように警鐘型評論としての未来戦記を発表する。その反面、文芸作家崩れの池崎忠孝が、楽観的でセンセーショナルな評論を多数刊行し、この2人が両論として日米未来戦記の世界を形作っていくことになる。一方で、新兵器がにぎやかに活躍するエンターテインメンとしての日米未来戦記のヒット作が多数刊行されるなど、多士済々の様相を呈する。
(猪瀬直樹『戦争シミュレーション』講談社、2025)

 

 こんにちは。昨日、土曜公開授業がありました。1学期に入ってから初めての授業参観です。例によって(?)授業参観ではなく授業参加のかたちにして保護者にも授業に入ってもらいました。内容はといえば、国語の単元『仕事のくふう、見つけたよ』と社会の小単元『店ではたらく人』を合科的に扱ったもので、簡単にいうと「仕事&働く」に関する保護者へのインタビュー。猪瀬直樹さんの作品でいうところの『日本凡人伝』の授業バージョン(小学3年生 編)です。

 

 盛況。

 

 

 学期の初めに学年単位での保護者会はあったものの、学級単位での保護者会がなかったために、保護者の顔と子どもの顔を紐づけることのできない苦しい状況がずっと続いていました。昨日、参加型の公開授業を通して、ようやくのこと「紐づける」が可能となり、

 

 いわば、雪どけ。

 

 保護者の人となりにふれることで、児童理解を促進することができました。この親にしてこの子あり。想像力が刺激されたというわけです。ヘクター・C・バイウォーターや石丸藤太、池崎忠孝らによって書かれた日米未来戦記が「日本とアメリカが戦争するかもしれない」という想像力の導火線に火を付けたように、です。

 

 冒頭の引用は次のように続きます。

 

 しかしながら、そうした日米未来戦記の様相は、現実の戦争が近づくにつれ、変化していった。それは、結果的に日中戦争・太平洋戦争での敗北、大日本帝国の消滅を招いた。夜郎自大的な楽観論と、彼我の差を具体的に見つめる視点を欠落させた精神論に、日米未来戦記が堕していく過程でもあった。

 

 この親をしてこの子あり、をもじれば、あの戦記をしてあの未来あり。そして、この現在あり。なんだか小学3年生の国語で学習する「こそあど言葉」のようですが、兎にも角にも、だからこそ『戦争シミュレーション』を読んで過去を知り、

 

 よりよい未来をつくる。

 

 

 猪瀬直樹さんの『戦争シミュレーション』を読みました。既刊の『黒船の世紀』(1993)に新しい研究成果などを加え、学術論文としてまとめられた新刊です。

 

 作家としての、こだわり。

 

 作家の村上春樹さんが31歳のときに文芸誌に発表した『街と、その不確かな壁』(1980)にこだわり続け、それを大幅に書き直して『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(1985)を出版し、さらに書き直しを加えて『街と不確かな壁』(2023)を70代になってから世に送り出したように、猪瀬さんも『黒船の世紀』&『戦争シミュレーション』に強いこだわりをもっているのは間違いありません。

 

 なぜ、こだわるのか。

 

 危機意識とはどのように生まれ、どのように国境を超えて波及し、世論を動かしていくのか。そうした世論が醸成された果てが、現実の日米戦争であったこと(むろん、その要因は世論だけではない)、そして現在、日本国内の一部に近隣諸国への感情的反発や、主にインターネットを中心とした陰謀論の跋扈が見られるなか、20世紀前半の国際情勢に対する日本人のリフレクションともいうべき「日米未来戦記」をもう一度論じる意味は決して小さくない。

 

 序章より。つまり、そういうわけです。村上春樹さんのこだわりの源泉が「私」にあるように見えるのに対して、猪瀬さんのそれは、はっきりと「公」です。作家として、政治家として、日本のことを真剣に考えている。日本人として、読まないわけにはいかないでしょう&読みましょう。

 

 目次は以下。

 

 序 章 日米未来戦記は何を映し出すか
 第1章 日米未来戦記を生んだヴィルヘルム二世の黄禍論
 第2章 高まる「日米戦争」論と日米未来戦記の誕生
 第3章 シミュレーションから精神論と秘密兵器へ ― 日本での日米未来戦記の定着と展開
 終 章 現在の未来戦記

 

 小学校の教科書には書かれていませんが、日米未来戦記だけでなく、日露未来戦記とか日独未来戦記とか、戦前にはそういった戦記ものの本がたくさん出版されていたということ。分類すると、評論(楽観型、警鐘型、文明論、精神論、客観型)と、小説(現実型、新兵器活躍型)に分けられるということ。それらの本が日米開戦に至るまでの日本人の精神史に大なり小なり影響を及ぼしていたということ。そして《日本とアメリカが戦争する。そういう可能性について、いつ誰が考えたか。考え始めたか》という猪瀬さんの問いに対する答えのひとつになっているということ。ざっくりいうと『戦争シミュレーション』にはそういったことが書かれています。終章の「現在の未来戦記」に取り上げられているのは、

 

 対中有事。

 

 橋爪大三郎さんの『核戦争、どうする日本?』(筑摩書房、2023)に《台湾侵攻はある。確実にある。日本はそれに、備えなければならない。台湾侵攻は、台湾に対する攻撃である。中国と台湾との戦争である。それは、中国とアメリカとの戦争になる。そして自動的に、中国と日本との戦争になる。台湾有事とは、日中の軍事衝突にほかならない》とあります。また、布施祐仁さんの『従属の代償』(講談社現代新書、2024)には、《2021年春、アメリカで出版された一冊の小説が安全保障関係者のあいだで話題となりました。邦訳本のタイトルは『2034 米中戦争』(二見書房、2021年)。NATO欧州連合軍最高司令官などを歴任したジェイムズ・スタヴリディス現役海軍大将が、元海兵隊員の作家エリオット・アッカーマンと共に執筆した小説です》とあります。分類でいうと、それぞれ警鐘型の評論となるでしょうか。共著の『2034  米中戦争』はおそらく現実型の小説でしょう。猪瀬さんが書いているように、戦前の未来戦記の伝統が引き継がれているというわけです。だからやはり、

 

 読まないわけにはいかない。

 

 なぜなら《夜郎自大的な楽観論と、彼我の差を具体的に見つめる視点を欠落させた精神論に、日米未来戦記が堕していく過程》を繰り返してはいけないからです。台中有事に巻き込まれたら、

 

 堪らない。

 

「日本人には無責任に放言的に日米戦争を説く者が甚だ多い。彼らは太平洋を泳いで渡り、大和魂と剣付き鉄砲さえあればロッキー山脈を越え得ると思って居るのであろう。苟しくも多少なりと日米の事情に通ぜる人間にして日米戦争などを本気で考える者は恐らく一人もあるまいと信ずる。凡そ戦争をやる以上勝利の確信が無ければならぬ。投機気分で戦争をやられては弾丸の標的に使われる人間が堪らない。(中略)今後の戦争は若し負けたら、日本全国を墜落の淵に沈めねば追いつかないのである」

 

 46歳で海軍を辞め、文筆業に専念した水野広徳(1875ー1945)の言葉です。まともです。まともですが、残念なことに、悲しいことに、彼の言葉が世論をリードすることはなかった。楽観的で煽動的な日米未来戦記の方が人気を博した。結果、日本全国が墜落の淵に沈むことになった。

 

 無責任に放言的に「消費税廃止」を説く者が甚だ多い。

 

 例えば、そんなふうに置き換えると、まともなシミュレーションができないという風潮が現在も続いているということがわかります。経済シミュレーションも、教育シミュレーションも、医療シミュレーションも、夜郎自大的な楽観論と、データを具体的に見つめる視点を欠落させた精神論に汚染されている。猪瀬さんはまともです。日本史に残る英傑といってもいいでしょう。だからこそ繰り返しますが、

 

 読みましょう。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 

 昨日が土曜公開授業だったのに、当然の如く振替休日はありません。明日も授業です。今週は15時40分からの会議、それも重たい会議が数回設定されています。15時45分からの休憩時間に会議を入れたわけではないというアリバイづくりでしょう。5分で終わるわけがないのに。 教員のメンタルヘルスに関して、どんなシミュレーションをしているのでしょうか。ちなみに昨日のニュースによると、公立小中学校の教職員の過労死は、データのあるここ9年間(~23年度)で38人だそうです。

 

 教育シミュレーション。

 

 誰か書いてください。