田舎教師ときどき都会教師

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宮台真司 著『亜細亜主義の顛末に学べ』& マル激「政権中枢の思想と新自由主義に振り回され続けた教育改革」より。逆手に取ろう。

 例えば日本の高校では、まだバイトを禁止している学校がある。それって一体何なんでしょう? 社会を観察する経験や自分を規律する経験が得られるチャンスだというのに。米国ではバイト経験がNPO経験と同じぐらい重要な社会経験としてカウントされます。
 学校の教員は「学業に差し障るからバイト禁止だ」といいます。本当は違うんじゃないか。生徒が学校的価値の外部にふれることで「なんだ、あの馬鹿教員は」と思われてしまうのが怖いから、バイトを禁止にしているんじゃないか。
(宮台真司『亜細亜主義の顛末に学べ 宮台真司の反グローバライゼーション・ガイダンス』実践社、2004)

 

 こんばんは。長女の幼なじみのKさんがサイゼリアでアルバイトをしているというので、先日、家族4人でご飯を食べに行ってきました。長女もKさんも高校1年生。そして2人とも「バイト禁止」の学校に通っています。理由はおそらく、上記の引用にもあるように「学業に差し障るから」でしょう。Kさんの立派なところは、思考停止で従うのではなく、学校と交渉したところ。曰く「軽音楽部に入ったので、アルバイトでお金を貯めて自分のギターを買いたいんです」云々。Kさんの学校の立派なところは、前例踏襲で「規則だから」というのではなく、それを認めたところ。学校的価値の外部にふれながら働いていたKさん、まぁ、昔からとはいえ、生き生きしていたなぁ。社会を観察する経験や自分を規律する経験って、大事ですよね。長女にも「アルバイトしてみたら?」って訊いたら、イヤな顔をされました。

 

 やれやれ。

 

 

 宮台真司さんの『亜細亜主義の顛末に学べ』を再読しました。サイゼリアからの帰り道、たしかアルバイトの話が載っていたなぁ、学級通信にも引用したことがあったなぁ、と思い出したからです。そして、ありました。ビンゴです。

 

「学校の外に価値を見つけだせ」

 

 2001年の5月に代々木オリンピック・センターで行われた宮台さんの講演のタイトルです。ページを開くと《学校馬鹿は滅び、経験値のある生活者が生き残る》という宮台節が炸裂しています。教育関係者はこれだけでも読むべし。

 

 以下、目次より。

 

 1 アメリカに従属する日本に未来はない(2002)
 2 米国中心型のグローバライゼーションに抗う為の知恵(2002)
 3 ネオコンの正体は文化的多元主義者(2003)
 4「気分はナショナリズム」という売国(2003)
 5 学校の外に価値を見つけだせ(2001)

 

 巻末には「近代には近代で抗おう」という、発行元の実践社編集部によるインタビューが掲載されています。宮台さんの反グローバライゼーション(グローバライゼーションにいかに抗うか)に関連する講演5本+インタビューで構成された、もう20年近く前の一冊。その後、みなさんよくご存知のように、グローバライゼーションに抗うのではなく、適応するために選択された新自由主義という政治的アイデア(+政権中枢の思想)によって、教育は振り回され続けることになります。そのことを昨夜、マル激トーク・オン・ディマンドで検証していました。タイトルは「安倍政権の検証(6)  政権中枢の思想と新自由主義に振り回され続けた教育改革」、ゲストは東京大学大学院教育学研究科准教授の村上祐介さんです。

 

www.videonews.com

 

 シェアしたいことを2つ。

 

 1つ目。現場が大変というよりも、現場次第でどうにでもなるという宮台さんの発言。道徳の教科化について話し合っているくだりで出てきたコメントです。ちなみに話題沸騰中(?)の日本学術会議が「道徳科において『考え、議論する』教育を推進するために」として、2020年の6月9日に次のような見解を示していて、マル激で紹介されていました。

 

 〇 現在の道徳教育の四つの問題点
   1 国家主義への傾斜の問題
   2 自由と権利への言及の弱さの問題
   3 価値の注入の問題
   4 多様性受容の不十分さへの危惧の問題

 〇 よりよい道徳教育のために四つの展望
   1 哲学的思考の導入
   2 シティズンシップ教育との接続
   3 教員の素質と教員教育
   4 教科書の検討と作成

 

 まともです。どこからどう読んでもまともです。過去に佐藤学さんが所属していただけのことはあります。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 宮台さん曰く「これを逆手に取ろう」。

 

 これというのは「考え、議論する」道徳の教科化のこと。価値を注入するのではなく、例えばヤクザ映画の基本モチーフである「愛や正しさのために法を超えるのは当たり前」ということを教えればいい。これはシチズンシップ教育にもつながる話。法はいつも不完全、市民革命は違法だった。そういったことを全部知識として子どもたちに与えた上で、さてこういう場合に何が善で何が悪か、議論させればいい。たくさんのケースを与えて教育する。そうすれば子どもたちは賢くなるだけでなく、よい意味で倫理的な存在に育ち上がる。逆手に取れるかどうかは現場の教員次第。教員がそういったことに意識的でなければ、これまで通りにポジション取りのカメレオンみたいな大人が量産される。現場の教員にいろいろなものが委ねられているのだから、思考を鍛えるための教科として「逆手に取って」教えればいい、云々。

 

 そのためにも、時間がほしい。

 

 現場の感覚だとそうなるでしょうか。準備するための、或いは勉強するための時間が足りないとはいえ、道徳が教科になる前もなってからも、割と好きなように教えている身としては、宮台さんの言っていることはよくわかるなぁ。自由度の高い道徳と総合は大好きです。総合なんて、キャリア教育と称して「おもしろい大人」をどんどん呼ぶことができますからね。

 

 これは「動機付け」の問題に関わることですが、文科省が制度的にはずいぶん前から許容しているゲストティーチャー制の妥当な運用は確かに重要です。社会にどんな人間が生きているのかを知るチャンスを、制度的に作るという話ですから。
 私自身も含めて、一人の人間が持つ価値は偏狭なものに過ぎません。しかし社会には一定程度の多様な価値が分布しています。この分布を、それを学校教育の中から参照できるようにすることが重要です。

 

 2つ目。時間がほしいということについて。

 

 時間のこと、すなわち政権自らが掲げた「働き方改革」のことも話題になっていました。そして結論を言えば、現在というか、これまでも含めて、安倍政権下で行われてきたのは「お金をかけない教育改革」であり、村上祐介さん曰く「教員増なしで何とかするのはほぼ不可能」とのこと。専門家にそう言われると、凹みます。トドメに宮台さん曰く「イデオロギーが本気なのかどうかは教育予算でわかる。つまり全然本気じゃない」とのこと。

 

 現場はなめられている。
 教育はなめられている。

 

 イージス艦にはどんどん予算をつけるのに、云々。結果として、政権自らが「働き方改革」を叫びながらも、学校現場の勤務時間は10年前に比べて長くなっています。働き方改革の旗を振っておきながら、変形労働時間制なんていう旗も降っているのだから、確かになめているのでしょう。だからこれも道徳の教科化と同じように逆手に取るしかありません。

 

 どうやって?

 

 亜細亜主義の顛末に学べ。

 

  

教育委員会改革5つのポイント―「地方教育行政法」のどこが変わったのか

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  • 作者:村上 祐介
  • 発売日: 2014/12/29
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