田舎教師ときどき都会教師

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神保哲生、宮台真司 著『アメリカン・ディストピア』&「マル激(第1006回)」より。周りに合わせるのをやめよう、っていう倫理教育を!

宮台 とはいえ、普段から物事を考えている人間は、「ロジカルに考えろ」と言われればそれなりに考えることができて、OKなんですが、いままでロジカルに考えたことがない人間が急に「考えろ」なんて言われたって、考える手がかりがないので、「下手な考え、休みに似たり」となりがちです。
神保 結局、そうなると教育の問題になってきちゃうね。メディアの問題のさらに先には教育とか躾の問題がある。
宮台 もちろん、最終的には確かに教育の問題です。
(神保哲生、宮台真司『アメリカン・ディストピア  21世紀の戦争とジャーナリズム』春秋社、2003)

 

 こんにちは。自宅にテレビがないという子をときどき担任します。テレビを買えないのではなく、意図的に買っていない。今年もひとりいますが、そういった子は無類の読書好きだったり、真っ黒に日焼けするくらい外遊びが好きだったりすることが多くて、上記の引用でいうところの「ロジカルに考える」ことも好きだったりします。そしてそういう子に限って、習字の授業のときなどに小学生新聞の類いや日経新聞を持ってきたりするから「ブルデューの言うとおりだな」って、そう思ってしまいます。いわゆる文化資本ってやつです。小学生新聞や日経新聞をヨイショするわけではないですが、結局、親。やっぱり、育て方。メディア体験に表われるような家庭の文化資本の差には、何ともし難いものがあります。そういえば、ニューヨーク・タイムズを持ってきた子(帰国子女)の隣で、スポーツ新聞のアダルト面を開いて裸の姉ちゃんの上にナチュラルに下敷きと文鎮を置き始めた子がいたなぁ。多様性といえば聞こえはよいけれど、学校の尺度でいうところの「学力差」はもう決定的で、もはやおもしろがるしかありません。ここはユートピアなのか。それともディストピアなのか。

 

www.videonews.com

 

 昨夜の「マル激トーク・オン・ディマンド  第1006回」(インターネット・ビデオニュース)のテーマは「メディア」でした。メディアはコロナをどう報じてきたか。司会はジャーナリストの神保哲生さん、解説は社会学者の宮台真司さん。ゲストは3月に新型コロナウイルス感染症に罹患し、《右へ倣えの貧弱なメディア取材の現実を自ら経験する貴重な機会を得た》という、社会情報学(メディア研究)が専門の東京大学大学院情報学環教授の林香里さんです。

 マル激でメディアを正面から取り上げるのは久し振りとのこと。理由は、メディアに問題があることは当たり前すぎて、もはや「前提」になっているからだそうです。今回、久し振りにメディアが取り上げられたのは、もちろん「コロナ」のため。検査数を報じずに陽性者の数だけを報道して危機を煽るなど、相変わらずメディアはめちゃくちゃやっているように見える。視聴率のためとはいえ、特にテレビ報道はひどい。ひどすぎる。1ミリもロジカルではなく、見ていられない。見ていないけど。

 

 メディアが横並びで危険を煽っているのはなぜか。

 

 この「なぜ」についてのやりとりが、学校にも当てはまることばかりで、おもしろかったなぁ。林さんが言うには、メディアの中にいる人は意図的に煽ろうとしているわけではなく、慣習に従っているに過ぎないとのこと。ルーティーンをこなすだけでいっぱいいっぱいで、報道の在り方の是非を考えるような余裕はなく、むしろ「こんなにがんばっているのになんで責められなくてはいけないんだ」って、被害者意識さえもっているとのこと。横並び上等。教員か?

 

 忙しすぎると、がんばることが目的になっていく。

 

 学校現場と同じです。問題を生み出す構造があって、多忙のあまり構造にメスを入れる余裕はなくて、問題だけがひたすら生み出されていく。がんばらなくていいから、宿題を統一するとか、掲示物を統一するとか、学級通信を出す出さないを統一するとか、そういった横並びに励むのはやめよう。隣の学校も続けているし、保護者や地域の目もあるから、忙しいのは事実だけど行事をなくすわけにはいかないとか、そういう「キョロ目」もやめよう。

 

 周りに合わせるのをやめよう。

 

 キョロ目というのは宮台さんがよく使っている言葉で、キョロキョロと周りを見て判断するという、日本人のダメな振る舞い方を指します。そういったダメな振る舞い方をする大人ばかりだから、メディアの中もそういった人たちばかりだから、正しさよりも慣習が勝ってしまう。報道の仕方を変えて社内でのポジションを失ったらどうするんだって、守りに入ってしまう。やり方を揃えることに熱心な学校と同じです。それを変えるためにはどうすればいいか。

 

 宮台さん曰く「倫理教育しかない」。

 

 続けて曰く「簡単にいうと、周りに合わせるのやめろよっていうことです。子どもたちにそれを言っていくしかない。周りに合わせる医者、周りに合わせる弁護士、教員、校長先生、教育委員、マスコミ記者、そればっかり」云々。ちなみに倫理は道徳ではありません。

 周りに合わせるのやめろよ、っていう教育。卓袱台をひっくり返すようなサジェスチョンです。その提案が卓袱台をひっくり返すようなって思ってしまうくらいに、子どもたちは周りに合わせることを強要されているということです。学校には、そういう構造が、ある。

 

 

 

 21世紀の感染症とメディア。

 

 メディアがテーマになっているマル激のシリーズ本はあったかなぁと本棚を眺めていたところ、シリーズの2冊目にあたる『アメリカン・ディストピア』の副題に「21世紀の戦争とジャーナリズム」とあったので、今回のテーマに近いかなぁと思ってパラパラと読み返してみました。神保さんと宮台さんが2003年に編んだ本です。あとがきには《インターネット放送という新しいメディアのなかで、二年前に宮台真司さんとはじめてニュース番組『マル激トーク・オン・ディマンド』が、早くも130回目の放送を迎えた》とあります。

 

 メディアの脳天気。
 そして、教育へ。

 

 今回の放送が1006回だから、もう随分と昔の内容だなぁと思って目次を見たところ、そのあとがきの直前の章に書かれている最後から2番目と最後の節のタイトルが「メディアの脳天気」と「そして、教育へ」となっていて、やっぱり、と納得。アメリカン・ディストピアからコロナ・ディストピアへと対象は変われど、20年近く経っても日本のメディアは変わらないんだなぁ。そして教育も。コロナ禍を奇貨として卓袱台をひっくり返さないと、まずいんことになるんじゃないかなぁ。9.11でも3.11でも変わらなかったメディアと教育。終わりなき日常も、ジャパニーズ・ディストピアも、

 

 まだまだ続きそうです。

 

 Think different!

 

 

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