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神保哲生、宮台真司 著『反グローバリゼーションとポピュリズム 「トランプ化」する世界』&「マル激(第1002回)」より。つまり感情教育の問題!

 彼がその講義で語ったのは、米国人も米国の学者も「人権とは何か」についてのんきに議論をしているが、いい加減にしてほしい、米国人は1965年まで黒人と女性を人間扱いしてこなかったではないか、ということでした。「人権とは何か」を長らく議論しても事態を変えられなかった歴史を見れば、重要なのは「人権とは何か」ではなく「人間とは誰か」のほうだ、と彼は言います。そのうえで彼は、人間とそうでないものの間に境界線を引くのは、哲学論議ではなく、誰を仲間と思えるように育ててきたかという具体的な実践、つまり感情教育の問題なのだと説きました。
(神保哲生、宮台真司『反グローバリゼーションとポピュリズム 「トランプ化」する世界』光文社、2017)

 

 こんばんは。コロナ前は可能だったグループワークができなくなり、分散登校のときにはかろうじて可能だったサークル対話もできなくなりました。グループワークをしながら仲間意識を育むことも、サークル対話をしながらデモクラシーを学ぶこともできなくなったというわけです。ポスト・コロナショックの学校、けっこうつらいです。宮台真司さんがリチャード・ローティを引いていうところの感情教育はもちろんのこと、哲学論議すらままなりません。

 

 対面での会話はNG。
 1~2メートル離す。

 

 それこそ「トランプ化」する世界です。 

 

 

 ジャーナリストの神保哲生さんと社会学者の宮台真司さんによる『反グローバリゼーションとポピュリズム 「トランプ化」する世界』を再読しました。ニュース専門インターネット放送局の「マル激トーク・オン・ディマンド」を書籍化した、シリーズものの11冊目です。ゲストに名前を連ねているのは、渡辺靖さん、佐藤伸行さん、西山隆行さん、木村草太さん、春名幹男さん、そして石川敬史さん。先週のマル激(第1002回、6月20日)のタイトルが「人種差別と収束しないコロナに対する怒りがトランプのアメリカを変え始めている」(ゲストはジャーナリストの北丸雄二さん)だったので、そもそものところをおさらいしようと思って読み直しました。

 

www.videonews.com

 

 本を読み返してからマル激を視聴したところ、ブログに引用しようと思っていた感情教育のくだりを宮台真司さんが再び話題にしていて、ちょっとびっくりというか、目の付け所がシャープでしょと自画自賛です。えへん。どんな話題かといえば、現在、全米だけでなく世界中で起きている人種差別反対運動のうねりは、リチャード・ローティが説いた「感情教育」の帰結なのだという話です。

 

 どういうことか。

 

 仲間のひとりが白人の警官に殺されたら、しかも膝で首のところを地面に押しつけられて窒息死させられたとしたら、怒りがわくのが普通ではないでしょうか。さらにいえば「やめろ」と叫んで勝手に体が動いてしまうのが教育の目指すところではないでしょうか。アメリカでZ世代と呼ばれる、オバマ時代に教育を受けてきた若者たちの中には、そういった内なる光を有しているまともな人間がけっこうな割合で存在しているとのこと。北丸雄二さんがいうには、彼ら彼女らの活躍によって、今回の「ブラック・ライブズ・マター」の抗議運動は、持続性という意味でも広がりという意味でも、これまでに起きてきた歴史上の抗議運動とは違った様相を呈しているとのこと。

 

 多様性は大事。人種差別はダメ。

 

 ダメな道徳の授業のように、伝えたい価値を言葉にするのは簡単です。でもそれだと伝わりません。伝わらないから「議論する道徳」にしてそれらしくするものの、冒頭の引用にある「哲学論議」と同じで、これまた大した効果は期待できません。

 

 大切なのは具体的な実践を伴った感情教育。

 

 例えば小さい頃から白人も友達、黒人も友達、アジア人も友達というような混ざり合って育つ環境があれば、白人も黒人もアジア人も仲間だというデフォルトの感情、言い換えると黒人がやられていたら直接的に怒りが湧くような感情を育てることができます。オバマ時代に感情教育を受けてきた若者たちは、今回の事件のことを「あり得ない」と思ったはずです。なんでそんなことができちゃうの(?)って。人としておかしくない(?)って。ローティの予言通りです。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 人間とは誰か。

 

 日本の場合は、白人と黒人、黒人とアジア人のようなわかりやすい「人間とは誰か」はありませんが、その代わりにわかりにいくい「生まれの違い」があります。教育社会学者の松岡亮二さんがいうように、公立の小中学校における地域間格差や学校間格差がどんどん広がっていて、もちろんそれぞれが混ざり合う機会はほとんどなくて、そういったことが「自力で生活できない人を政府は助ける必要があるかという問いに対して『ない』と答えた日本人が世界47ヵ国の中で断トツに多かった」というような話につながっていくのではないかと思います。

 

www.countryteacher.tokyo

 

  最初の話に戻りますが、公立であっても多様性なんてほとんどないのに、とどめとばかりに混ぜることも近づけることもできなくなったポスト・コロナショックの学校は、そのレーゾンデートルをどこに見出していけばいいのでしょうか。オバマ世代の子どもたちは幼稚園の頃から生の政治の話や多様性に関する授業をたくさんやっていたと聞きます。百ます計算とかキャリアパスポートとか、今の時代それは違うぞ感がものすごいのは私だけでしょうか。

 

 百ます計算のよさもわかりますが。

 

 それより何より感情教育の視点を。