田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、旅行、映画」

金原ひとみ 著『パリの砂漠、東京の蜃気楼』より。頑なな才能と生きづらさと。

何故自分が二度も赤ん坊を育てることができたのか、今となっては全くもって信じられないのだ。あの時の自分には何かが乗り移っていたようにしか思えない。二人目の子が五歳を超えた頃から、赤ん坊や赤ん坊を育てる人たちに壁を感じるようになった。子どもを産み激しい育児をしていた頃の私は元来の私ではなく、子供たちの手が離れるにつれ元の自分に戻っていった、という意識が拭えない。結婚したり、子供を産んだりすることは、大人になっていく上で通る道として主にマッチョな人々によって語られることが多いが、そんなのは幻想だとマッチョな奴らへの憎しみの高まりと共に再確認した。その時目の前にある現実に対応しているだけで、それは一時の変容でしかない。
(金原ひとみ『パリの砂漠、東京の蜃気楼』集英社、2020)

 

 こんばんは。今日は久し振りに休日出勤をしました。久し振りとはいえ、平日に定時退勤するために休日に出勤するという支離滅裂ぶりに、我ながらゲンナリです。休日を削って平日に盛る。この支離滅裂ぶりが学校の革新へとつながっていくのであればよいものの、消毒作業やソーシャル・ティスタンスを意識した場づくりなど、目の前にあるポスト・コロナショックに対応しているだけで、それは一時の変容というかその場しのぎでしかありません。

 

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 オフラインの砂漠、オンラインの蜃気楼。

 

 オフラインなのに「対面での会話を避けるように」といわれる教室は砂漠のように不毛だし、その可能性が語られつつも Zoom すら「可」とならない自治体にあってオンラインは蜃気楼のように儚く映ります。小説家の金原ひとみさんが《学校に行き席につき授業を受けることは、私にとって身震いするほど絶望的なことだった》と感じて4年生のときから不登校になったのも、本人の早熟さもさることながら、そういった学校のかたさゆえかもしれません。

 

パリの砂漠、東京の蜃気楼

パリの砂漠、東京の蜃気楼

 

 

 作家の平野啓一郎さんが Facebook で紹介していた、金原ひとみさんの新刊『パリの砂漠、東京の蜃気楼』を読みました。パリでの生活と帰国した後の東京での生活を綴った、著者初のエッセイ集です。

 

 パリの砂漠。

 

 移動祝祭日とまで謳われた花の都パリに砂漠を見出すなんて、そのギャップに「金原さんがパリをどのように見なそうと、それはパリには関係のない問題だった。それはパリの問題というよりはむしろ金原さんの問題なのだ」とでもいいたくなります。いいたくなるというか、正解。

 

 金原さんの問題です。

 

 ジル・ドゥルーズの投身自殺を引きつつ《不登校だったことも、リストカットも、接触障害も薬の乱用もアルコール依存もピアスも小説も、フランスに来たこともフランスから去ることも、きっと窓際から遠ざかるためだったのだ》とあるように、金原さんが抱えている才能の裏返しである生きづらさの問題です。

 音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けないと窓から身を投げてしまうかもしれない。母になったのも窓際から遠ざかるためだったのかもしれません。7年にも及ぶパリでの母子生活。踊り始めた1年は鬱に、そして唄が終わってメロディだけになった最後の2年はあらゆることに煩悶しながら過ごしたとのこと。

 

「誰か本音を話せる人がいるの?」
「大丈夫。私は小説に本音を書いている」
「ずっとそうやって生きていくの?」
「そうやって死んでいく」
 皆私のことを嫌いになる。いつか見捨てられる。

 

 頑なな才能ですね。

 

 教科書的には、或いは教員的には、幼少期の両親との関係が金原さんの「頑なな才能」と「生きづらさ」をかたちづくったのだろうなぁなんて思いながら、でもたしか金原さんの父親は著名な児童文学研究者だったよなぁと思いながら、後半の東京の蜃気楼を読んだところ《子供時代は、最も生きづらい時代だった。ただ苦しいだけの日々が永遠続いていた。楽しかったと思える日は一年の中で七日くらいしかなかった》なんて書いてあるからびっくりというかやっぱりです。

 

私のデビュー作を読んだと電話してきた母親は開口一番「セックスシーンは減らせないの?」と言ったのだ。その後に何か続けるつもりだったのかもしれないが、私が電話を切ったためそれは今も分からない。

 

 芥川賞をとった『蛇にピアス』の話。金原さんは母親の言葉に絶望的なまでの無力感を抱いたとのこと。とはいえ、写真家の幡野広志さんの『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』という本のタイトルを見たときにもそう思いましたが、書かれた親はどう思うのだろうって、娘を育てている身としてはちょっと胸がざわつきます。金原さんも幡野さんも社会的には本を出すくらいに成功しているので、なおさらそう思います。自業自得だとしても、親、つらいなぁ。

 

 生きづらさに巻き込まれるものの、読後感はよい。

 

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 読後感がよいのは、東京の蜃気楼の後半に、二人の娘さんと旦那さんの話がよく出てきて、金原さんの生きづらさがやわらいでいるように思えるからです。冒頭の引用(パリの砂漠)に《子供たちの手が離れるにつれ元の自分に戻っていった》とありますが、戻っていったその後に、金原さんは別の自分を見出しているように読めます。そしておそらくそれは、砂漠でも蜃気楼でもありません。

 

 いつの間にか寝息を立て始めた旦那の横で、リビングから届くかしましい子供たちの声に顔を顰めながら、唐突に悲しいと言った長女の声が蘇る。長女はいつか気づくだろうか。ふとした拍子に「なんか悲しいなあ」と言う時、必ず私が「私も悲しいんだ」と答えていることに。そして気づく。私は幼い頃、悲しみに共感してくれる人が欲しかったのだと。そして今、もはや私は悲しみに共感してくれる人を欲していないのだと。私の悲しみなど露知らず、自ら望んで修業に赴く人に救われているのだと。

 

 今日は父の日です。休日出勤なんてしている場合ではありませんでした。長女と次女に「子供時代は、最も生きづらい時代だった」なんて言われないように、金原さんの旦那さんを見習って修業しようと思います。

 

 おやすみなさい。

 

 

蛇にピアス (集英社文庫)

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ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。

ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。

  • 作者:幡野 広志
  • 発売日: 2018/08/21
  • メディア: 単行本