人間というものは刀を突きつけられると、よし、おれは死んでもいってやるのだ、「板垣死すとも自由は死せず」という文句が残る。しかし口だけでいくらいっていても、別に血が出るわけでもない、痛くもないから、お互いに遠吠えする。民主主義の中には偽善と…
姉は気に入った本があると、電話してくる。そして、情熱をこめて勧める。遺した書評を読むと、電話のときの気合いの入った息遣いが聞こえてくるようだ。わたしも気に入った本は万里に勧めた。大人になってから、ふたりで話すことといえば、食べ物のことか本…
アリストテレスという古代の学者が、神に変えられないのは過去だけだと言ったらしい。では神は無能だ。人間は違う。過去が積み重なり現在になる。それがこの世界の成り立ちで常識というのなら、僕はそれを拒否する。そもそも、なぜ人は悲劇を経験しなければ…
幸福感も相対的な感覚に基礎を置いていることを考えるならば、安定した状態の中での差を認識することが永続的な幸福を保証するものではないかと思われる。つまり、不快感のない安らかな心の状態に達した上で、時折の軽い不快感によってそのありがたみを確認…
みんな元気ですか。ロンドンに十五日居り、パリに着いてから、もう二十日になります。木賃宿にとまったり、豪華ケンランのHOTELにとまったり、面白いですよ。あなたは人生を楽しむことを知らないから、是非共、欧米に来てみたらいい。みんな堂々と、接…
何事も、あるていど長く続けているとマンネリになってしまうところがあるのかもしれない。経験することに新鮮さを失ってしまう。すべてはすでに経験しているという感じを持ってしまうのだ。以前は遠くに発生する大きな雪崩を見ただけで感動したりしていたが…
ある作家の出現で、自分の仕事が楽になる、ということがある。 他者が、自分をくっきりとさせるのである。 ただし、そのためには、他者に相応の力がなくてはならない。(村上龍、村上春樹『ウォーク・ドント・ラン』講談社、1981) おはようございます。いざ…
(前略)そういえば「僕」という主人公も、フリー・ライターで三十四歳の独身の男の子にしては、できすぎている。つまり作者の精いっぱいの理念と感性と資質を与えられて、作者の理想と等身大になっている。社会的には比較的自由なゼロにセットされているの…
大事なのは、こうした情報を地域で共有することである。特定の旅館だけが情報を独占していても意味がない。自分だけ良ければいいという発想は、結局、四万温泉全体の利益をそこない、結局、自分もつぶれていってしまうことにつながるからである。むしろ、積…
この本を書くにあたり、私を育てる上で何か教育方針はあったのか父に聞きました。 すると、ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんの父親がTEDトークで語った教育方針と、偶然にも自分の教育方針に通じるものがあったと父は言っていました。(山…
考えることはエネルギーを消費するから、考えなくてもいい状況で考えるのは、生物的に不可能なんです。カオスな環境に行くとか、思い通りに行かない経験をすることで初めて考えられるし、いろいろなものが見えてくるのだと思います。(高濱正伸『子ども時代…
離れようとしている人間を引き留めることはできない。たとえ親子でも夫婦でも兄弟でも恋人同士でも、どれほど親しい間柄でも、他の人には、他の生き方があり、意に添わないことでも、認めなければいけない場合がある。それは、母から学んだ。母は教師として…
そこにはいわば、喰う/喰われる関係が、極限の愛のかたちとして投げだされていたのかもしれない。王蟲と粘菌とが合体して腐海の森をあらたに創造する現場には、さらに壮大なスケールをもって、この喰う/喰われる関係をめぐるドラマがくり広げられているは…
「あのね、たとえば新聞紙を二十五回折ったら、どれくらいの厚さになるか分かる?」彼女は急にクイズを出してくる。 おばさんの話題の展開についていけない、と私は降参しそうになるが、それも我慢した。二十五回折り重ねた紙を想像し、「五センチくらい?」…
その年の六月を境にして変化したのは私だけではなかった。日本の社会全体が大きく変わっていったという印象がある。潮が引くように何かが去っていったという感じを受けていたのだ。 どうして変わってしまったのか。それについて、やがて私はぼんやりとしたイ…