田舎教師ときどき都会教師

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中村文則 著『私の消滅』より。過去に損なわれる未来と、未来に救われる過去。教育は過去ではなく、未来を問う。

 アリストテレスという古代の学者が、神に変えられないのは過去だけだと言ったらしい。では神は無能だ。人間は違う。過去が積み重なり現在になる。それがこの世界の成り立ちで常識というのなら、僕はそれを拒否する。そもそも、なぜ人は悲劇を経験しなければならないのだろう? そしてその悲劇をわざわざ記憶にとどめ、そのことで、その後の人生まで損なわなければならないのだろう? それが当然というのなら、僕はその当然さを拒否する。なぜこんなに苦しまなければならない? なぜこんな苦しみに耐えなければならない? 僕のこの行為が倫理的に間違っていたとして、それが何だというのだろう?
(中村文則『私の消滅』文春文庫、2019)

 

 おはようございます。学生だった頃、所属していた研究室(工学部)の教授に「教育は過去を問わない」と言われたことがあります。研究に行き詰まり、現実逃避で2ヶ月近くフラフラした後、暗い顔をして再び研究室に戻ったときの話です。未熟でした。

 

 教育は過去を問わない。

 

 ちょっとカッコいい言葉ですよね。でも、もしかしたらこの言葉をずっと誤解していたかもしれません。昨夜、そう思いました。教授は「2ヶ月近くフラフラしていた」という、そのアホな過去を問わないという意味で言ったのではなく、教育はそもそも未来を問うものだということを教えたくて言ったのではないか。そう思ったのです。前年度の学習状況とか人間関係とか、子どもの過去を普通に問いますからね、教員は。

 

 教育は未来を問う。

 

 こっちですね、真意は。過去を問うのではなく、過去に囚われることなく未来を問う。工学部だから就職先はいくらでもあるのに、わざわざ遠回りして小学校の教員になろうなんていうそれこそアホな私に、含蓄のある言葉をかけてくれていたんだなぁ、きっと。ごめんなさい。気付くのに20年もかかりました。気付きのきっかけとなったのは、中村文則さんの『私の消滅』です。

 

私の消滅 (文春文庫)

私の消滅 (文春文庫)

 

 

 昨日、中村文則さんの「純文学 ✕ ミステリー」小説『私の消滅』を読みました。第26回 Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞している作品で、村上春樹さんの『象の消滅』に匹敵する「消滅小説」のツートップです。サイズでいうと、象と私の次に来るのはコロナでしょうか。コロナの消滅。満員電車の中、コロナのことをすっかり忘れてしまうくらいにのめり込みました。

 

 過去に損なわれる未来と、未来に救われる過去。

 

 もしもあなたの大切な人(♀️)の未来が、目を背けたくなるような凄惨な過去によってひどく損なわれているということを知ったら、どうしますか。冒頭の文章は、そのことにNOを突きつけた主人公(♂)が、彼女の過去をリセットしようとしている場面からの引用です。引用の最後にある「この行為」とは、精神科の治療法のひとつである電気けいれん療法(ETC)のこと。引用した文章は《「大丈夫だよ」僕は彼女に、電流を流しながら泣いた。「きみは生まれたきたんだから。生まれてきたんだからこの世界を楽しんでいいはずだ」麻酔で眠らせた彼女の顔に、震える手で電極を当てていく。涙が流れ続ける。「過去がなんだというのだろう? そんなものはいらない。そんなものは消えてなくなればいい。ささやかでいい。きみがこの世界を生きていたいと思えるくらいの幸福を」》と続きます。暗く、重く、深い。中村文則ワールド炸裂です。

「教育は未来を問う」とはいえ、過去があまりにもひどすぎると、そうも言っていられません。例えば、映画『プリズン・サークル』(坂上香 監督作品)に出てくる受刑者たちの過去(家庭環境)は、そういった部類に入るものだったように思います。虐待や犯罪、『私の消滅』レベルの話になると、学校だけではなかなか「救い」までたどり着くことはできません。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 暗く、深く、重い『私の消滅』ですが、もう一方の「未来に救われる過去」が最後に少しだけ描かれることで、幾ばくかの救いを得ることができます。

 

「でも今、……私は自分の人生を新たに生きようとしている。もう一度、店を、なぜか始めようとまで思っている。小塚さん」
 和久井は小塚を見続けている。
「……私に何かしましたね」
 小塚はコーヒーを静かに飲み干し、和久井を見る。わずかに微笑んでいる。
「精神科医は万能じゃない。そう思ったのはあなたの意志ですよ」

 

 救いです。未来志向です。意志というところがポイントです。平野啓一郎さんの『マチネの終わりに』に《人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです》とあるように、意志があれば、未来は過去を変えられる可能性があります。

 

 だから教育は未来を問う。 

  

 昨日は勤務先の小学校でドタバタの入学式でした。今日はこれから中学生の次女の入学式です。小学校までの過去を問うのではなく、中学校からの未来を問う。楽しみです。

 

 晴れますように。

 

 

マチネの終わりに (文春文庫)

マチネの終わりに (文春文庫)