姉は気に入った本があると、電話してくる。そして、情熱をこめて勧める。遺した書評を読むと、電話のときの気合いの入った息遣いが聞こえてくるようだ。わたしも気に入った本は万里に勧めた。大人になってから、ふたりで話すことといえば、食べ物のことか本や芝居、映画のことくらいだ。ほかの誰と話すよりも、わかりあえた。面白い、と感じるところ、気に入った表現(たいてい笑わせるところだが)が一緒だった。
万里がいなくなってから十年になるが、今でもいい本に出会うと、「ああ万里はこの本について、なんて言うかしら」と思う。
(井上ユリ『姉・米原万里』文春文庫、2019)
こんばんは。昨日、中学校の入学式がありました。甘えん坊の次女も、あっという間に中学生です。
午後は仕事に行き、帰りに「次女はこれかな」と思ってラムネのアイスクリームを買っていったところ、「ユリちゃん、もう大人だから」と別のアイスを所望。そっか、ユリはもう子ども料金では電車に乗れない年齢なのか、と気づいてちょっと寂しくなりました。私が食べる羽目になったラムネのアイスクリーム。寂しさのためか、或いは大人向けに買ってきたハーゲンダッツを取られた悔しさのためか、甘さをあまり感じません。あっ、もしかしたらコロナの症状かもしれない。味覚を失うって言ってたし。
パパ、マリのこれ半分食べていいよ。
この春から高校生になった長女の緊急事態宣言に救われました。ハーゲンダッツ クリスピーサンド キャラメルクラシック。味覚復活。Very very sweetです。
マリ&ユリ。もちろん仮名です。
昨日、井上ユリさんの『姉・米原万里』(解説:生物学者・福岡伸一)を読みました。マリ&ユリ。こちらはもちろん実名です。
元衆議院議員の米原昶を父にもつ井上ユリさんは、米原万里の妹として知られています。作家・戯曲家の井上やすしの妻としても知られています。さらには自宅でイタリア料理を教える「料理教師」としても知られています。 共産党の幹部だった父の仕事の関係で、幼少期の5年間を姉・米原万里とともにプラハの学校(在チェコスロバキア・8年制ソビエト大使館付属学校)で過ごした井上ユリさん。
妹が語る姉のこと。
一般的に、或いは「脱」一般的に、妹は姉をどう見ているのか。我が家もどちらかというと、姉がマリ的に尖っていて、妹がユリ的に穏やかなことから、そういったことに興味があり、いつもよりは空いていた行き帰りの電車の中で、米原姉妹の過去を愉しくめくっていきました。
本の帯に「伝説のロシア語会議通訳にして、作家、エッセイスト」と紹介されているように、井上ユリさんの姉・米原万里さんは、一時代を席巻した有名人です。ゴルバチョフやエリツィンにも知られていたとのこと。私の本棚にも『ガセネッタ&シモネッタ』や『終生ヒトのオスは飼わず』など、7冊の「米原万里」本が並んでいます。
ガセネッタ&シモネッタ。
終生ヒトのオスは飼わず。
本のタイトルからして、姉・米原万里が抜群にユニークなヒトだったことがわかります。『姉・米原万里』には《『窓ぎわのトットちゃん』(講談社文庫)という本が出たとき、母は一読して、「うん、黒柳徹子さんも相当変わったこどもだったみたいだけど、万里ちゃんはもっと変だったかも」と言った》と書かれています。ちなみに「変わった子ども」だったとはいえ、或いは「ヒトのオスは飼わない主義」だったとはいえ、モテなかったわけではありません。作家の佐藤優さんが言うには「元総理大臣の橋本龍太郎から関係を迫られる」くらいに多くの男性を惹きつけていたとのこと。そんな姉・米原万里は、妹から見るとどんなヒトだったのか。
大好きな一枚の写真がある。
(中略)
真剣な顔をしている。
万里はこどものときから、何かに集中すると、この表情になる。何か考え事をしているとき、何かに取り組んでいるとき、すごい集中力を発揮し、ほかの何も、目にも耳にも入らなくなる。
そしてわたしはこの顔のときの万里がいちばん好きだ。
元陸上選手の為末大さん言うところの「努力は夢中に勝てない」ってやつです。ちなみに写真に映っているという「真剣な顔」とは、姉・米原万里がシベリア取材に行ったときに、日本食が恋しくなって《トイレとビデが調理台になっていて、コンロは床のタイルの上だ》という状態でいかの天麩羅を揚げている場面での「顔」です。本に載っているので、興味があれば、ぜひ。
姉・米原万里は、読書や料理はもちろんのこと、映画や舞踏にも夢中になっていたようで、小学校の学芸会では、一人で40分も踊り続けるということがあったそうです。それにしても40分って、学校の先生たち、すごい寛容さだなぁ。読書については学校の影響も大きかったようで、次のように書かれています。
姉の読書好きを決定的にしたのは、ソビエト学校だった。
まず、低学年の間の授業はすべて国語だ。
夢中やすごい集中をつくるにはうってつけだなぁと思います。学校の時間割には良し悪しがあって、メリハリはつくものの、学習内容が国算理社と猫の目のように変わることから、夢中やすごい集中にはあまり適していません。米原さんの母も《こどもを枠にはめず育てようと決意していた》そうで、夢中やすごい集中を妨げないように気を付けていたようです。同様のことを故・吉本隆明さんも言っています。曰く《子どもの時間を分断しないようにする》云々。
分断されない生活。
昨日、安倍晋三首相が緊急事態宣言を発令しました。東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県が対象で、実施期間は5月6日までとのこと。高校生になった長女も、中学生になった次女も、しばらくは自宅での生活が続きそうです。
学習が心配?
そんなことはありません。米原姉妹の通ったソビエト学校は《秋休みと春休みが一週間、冬休みは二週間、そして夏休みは六月、七月、八月とまるまる三か月あった。しかも休日は宿題を出さない決まりだ》ったそうです。それに比べれば、日本の学校はまだまだ子どもに干渉しすぎです。緊急事態宣言で生まれたまとまった時間をうまく活用して、子どもたちは何か夢中になれるものを探せばいい。読書にふけるもよし、踊り続けるもよし、米原姉妹のように《姉妹で映画や本の食べものに刺激を受けて、料理を作ったり、食べたり》するのもよし。クラスの子どもたちにも、ケンカに夢中の我が家の姉妹にも、理想と現実のあいだで、そう伝えたい。
解説は福岡伸一さん。
こちらもお勧めです。