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猪瀬直樹、磯田道史 著『明治維新で変わらなかった日本の核心』より。社会科の歴史の見方・考え方は「通史的思考」で!

猪瀬 日本でも大正から昭和初期にかけて、軍人でさえ学力エリートが出世するようになっていきますね。大正時代になる頃から「藩閥人事はおかしい」「公平にしろ」という問題意識が噴出しはじめる。
 そして第一次世界大戦終結後、大正10年(1921)に、当時陸軍の中堅幹部であった永田鉄山、小畑敏四郎、岡村寧次、東條英機が「バーデン=バーデンの誓い」をするのです。彼らは駐在武官として欧州に滞在していましたが、バーデン=バーデンという保養地に集まって密約を交わしたのです。そこで誓われたことの一つが、藩閥によって出世が妨げられない軍をつくるというものでした。
(猪瀬直樹、磯田道史『明治維新で変わらなかった日本の核心』PHP新書、2017)

 

 おはようございます。明日、初任校のときの恩師が退職します。現場 → 県の教育委員会 → 中学校の教頭 → 小学校の校長と、他県の大学出身だったものの、学閥によって妨げられることなく出世し、晴れて定年を迎えることに。

 

 震災から10年。

 

 節目ということもあり、懐かしの三陸にこっそり足を運んでとっておきの日本酒でも届けに行こうかなって、そう思ってサプライズの計画を立てていたのですが、コロナが収束しないので断念。ちょっと遠いけど、行きたかったな。

 

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 とんでもねぇ。

 

 10年前、3月18日にようやくつながった電話で、恩師が津波のことを「とんでもねぇ」って話していたことを覚えています。とんでもねぇ津波被害でも変わらなかった恩師の核心はといえば、曰く「10年後の復興を背負って立つ子どもたちには、豊かな体験をこれまで以上に経験させたい」云々。ペーパーテスト(だけ)ができる人ではなく、豊かな体験を経験してきた人こそが「まともな未来を創る」ということです。昔もそんなことを言っていたなぁ。

 

 やっぱり、会いたかった。

 

 

 猪瀬直樹さんと磯田道史さんの『明治維新で変わらなかった日本の核心』を読みました。日本の秘密を「通史的思考」で紐解いた、作家と歴史家による対談本です。通史的思考というのは社会科の歴史ならではの「見方・考え方」を表すもので、著書『感染症の日本史』でも知られる磯田さん曰く、

 

 歴史でいちばん大切なのは「通史」である。
 しかし、歴史学者の専門も、教科書の単元も、時代ごとにブツ切りにされている。今日は江戸時代、明日は明治時代というふうに歴史は教えられる。通史は教えられない。

 

 社会学者の古市憲寿さんが『絶対に挫折しない日本史』で「展望台史観」という「見方・考え方」を披露していますが、それに近いイメージです。違いはといえば、猪瀬さんと磯田さんの「通史的思考」はそれよりももっと、否、かなり解像度が高いところ。解像度が高い、すなわち細かく見ているのにもかかわらず、ややこしくなることなく「展望台史観」も「通史的思考」もブラッシュアップすることができるのだから、さすが猪瀬さん&磯田さんです。

 

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 通史的思考で日本の核心をつくというのは、家庭環境やこれまでの生育歴、及び未来の社会をイメージしながら一人ひとりの子どもと接している私たちの仕事と似ているかもしれません。我々はどこから来たのか。我々は何者か。我々はどこへ行くのか。ポール・ゴーギャンを引けば、そんな感じです。

 

猪瀬 なぜ「人を見る」ということが、できなくなったのか。

 

 一人ひとりの子どもの核心をついた指導や支援をして送り出しているつもりなのに、なぜスピーチすらまともにできない大人が出世しているのか。ビデオ・ジャーナリストの神保哲生さんと社会学者の宮台真司さんによる「マル激トーク・オン・ディマンド」(第1041回)のタイトルでいうところの「何が日本のエリート官僚をここまで劣化させたのか」。通史的思考を武器にすると、そういった「なぜ」や「何が」についての解像度がグッと上がります。小学6年生の担任には、この通史的思考をぜひ武器にしてほしい。そのためにもこの『明治維新で変わらなかった日本の核心』を手にとってほしい。

 

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 冒頭の引用は次のように続きます。

 

 そのようなこともあって、平等を目指して生まれてきた仕組みが、いわば偏差値で将来の道を決める世界でした。陸軍士官学校での成績がよい者から順番に、参謀将校の養成機関である陸軍大学校に行くことが、ますます重んじられるようになっていく。ペーパーテストで一点多いかどうかで人間を選ぶのが、公平というわけです。
 本当は人間の価値を、もっと多様な視座から測らなければならないはずです。逆にいえば、「ペーパーテストによる実力主義が平等だ」と強調しはじめたあたりから、官僚機構が本当の実力とは言い切れないものだけを尺度にするようになるのです。

 

 Aが10個あった!

 

 子どもたちに通知表を渡すと、各教科の「A」や「C」の数で一喜一憂しているのがわかります。演技がインチで測れるのかい(?)とは、身長に恵まれなかったというジェームズ・ディーンの言葉ですが、それを捩れば「人間性がAやCの数で測れるのかい?」となります。

 

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 デンマークの小学校には通知表がないと聞きます。オランダの通知表には「ABC評価」がないと聞きます。どちらも幸福度が高いことで知られている国です。性別や年齢を記載する欄がないアメリカの履歴書に感銘を受けたという尾崎さんが「たった1枚の履歴書にも、どんな社会をつくりたいのかという戦略がある」と述べていますが、通知表でいえば、

 

 たった1枚の通知表にも、どんな社会をつくりたいのかという戦略がある。

 

 となるでしょうか。日本の小学校の通知表は「バーデン=バーデンの誓い」の延長線上にある。日本の核心を強化している。通史的思考を用いると、大袈裟ではなくそう思えてきます。高校生の長女や中学生の次女を見ていても、学年が上がるにつれてペーパーテストを気にするようになっていくことから、

 

 根が深い。

 

 つまり、それが日本の核心。とはいえ、日露戦争に勝つまでは違ったって、特に江戸時代は違ったって、そう書いてあります。本のタイトルには「変わらなかった」とあるのに「江戸時代は違った」というのは、要するに「変わらないために変わり続ける」ってやつです。

 

猪瀬 江戸時代の実力主義的な部分は、やはり見習うべきところがあります。農家の子の能力を見抜いて江戸に連れてきて、パッと抜擢するというのは、かなり自由な社会でもあった。形式主義の極致とインフォーマルの極致が、絶妙かつ融通無碍に混ざり合っている。

 

 天皇という権威と武家による武威の二重構造が、絶妙かつ融通無碍に混ざり合ってきた歴史と似ています。そのあたりについても紹介したいのですが、長くなってきたので、詳細は『明治維新で変わらなかった日本の核心』を、是非。ちなみに天皇といえば「ミカド」ですね。猪瀬さんのミカド三部作も、是非。

 

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 歴史、おもしろいなぁ。担任がそう思えば、子どもたちも歴史をおもしろがります。ペーパーテスト(だけ)ができる人ではなく、豊かな体験を経験してきた人こそが「まともな未来を創る」。担任がそう思えば、子どもたちも体験から学ぶことをよしとします。少子高齢化等、不安がいっぱい日本の未来。

 

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 10年後の日本国を背負って立つ子どもたちには、豊かな体験をこれまで以上に経験させたい。

 

 師匠!!!

 

 ご退職、おめでとうございます!!!

 

 

感染症の日本史 (文春新書)

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