だから人物評価なんてまじめにやっちゃだめなんですね。評価を一生懸命にやればやるほどその人のパフォーマンスは目減りしてしまう。人物評価なんて(もしやるのならば)、ほんわか適当にやるのが一番です。どうせ人が人を正当に見積もることなんて、そんなに簡単にはできないのですから。
(岩田健太郎『「患者様」が医療を壊す』新潮社、2011)
こんばんは。昨朝のニュースに「心病むケースも…新任教諭の退職相次ぐ 1年内に全国で431人」(西日本新聞)とありました。九州7県と3政令市の話ですが、人数では福岡県が、割合では福岡市が最多とのこと。わたしもおそらく「はじめの一歩」を福岡のような都会の小学校にしていたら、あっという間に「死んだ目」になって辞めていただろうなと思います。数日前には宮城県でも100人以上教員が足りないというニュースが流れていました。宮城県も、福岡県と同様に(東北の中では)都会です。都会教師なんていつでもなれるのだから、初任校には田舎の小学校を選んだ方がいい。はじめの一歩のブログに「田舎教師のすすめ」を書いた所以です。
田舎の小学校と都会の小学校の最大の違いは「保護者様」にあります。保護者ではなく、あくまでも「保護者様」です。岩田健太郎さんの書籍のタイトルをもじれば、「保護者様」が教育を壊す。医療と教育は抱えている構造がよく似ていて、それは小松秀樹さんの『医療崩壊 一「立ち去り型サボタージュ」とは何か』と、河上亮一さんの『学校崩壊』がタイトルだけでなくその内容までよく似通っていることからもわかります。医師の語る話と教師の語る話には、重なるところが多い。
岩田健太郎さんの『「患者様」が医療を壊す』は、コミュニケーションの問題を中心に据えつつ、医師の立ち去りや新任教諭の退職など、崩壊する医療と教育に共通する「構造」を照らし出してくれる一冊です。冒頭の引用に評価の話をもってきたのは、田舎教師のときにはなかった「保護者アンケート」や「児童アンケート」の類いが、都会教師になった途端、爆発的に増えたから。ろくでもない人たちがつくったろくでもないアンケート(評価)には、保護者を保護者様に変えてしまう、ろくでもない副作用があります。
都会教師は、ときどきでいい。
「担任の先生が強い言葉で注意したり、机をける、たたくなどの暴力を振るったりしているのを見たことはありますか?」。都会教師だったときには、児童に対してそんなアンケートまでとらされていました。「はい」と答えた人には、あとで校長先生や副校長先生が面談します、みたいな。それってアンケートで聞くことなのかなぁ。用紙を配り、趣旨を説明すると、教室の中はこれ以上ないっていうくらい微妙な雰囲気になります。当然です。子供が突然「保護者様」と同じ消費者になるわけですから。アンケート1枚であっという間に子供が「お子様」に。疑心暗鬼、これに極まります。以降、普段の指導にも二の足を踏むことに。「強い言葉で注意された(涙)」なんて言われたらたまりませんから。
消費者感覚の「保護者様」と「お子様」。
共同生産者感覚の「保護者」と「子供」。
「保護者様」と「保護者」の違いをわかりやすくいえば、そうなります。消費者と共同生産者の違いです。ブロガーのちきりんさんの言葉を借りれば、「等価な価値を交換する取引」を担任と行うのが「保護者様」で、「両者で共に創出した価値を分け合う共同プロジェクト型の取引」を行うのが保護者です。どちらが子供の成長に資するかといえば、当然、後者でしょう。
その成り立ちを考えると、市場社会(資本主義)化の延長線上にある都会は、どうしたって田舎よりも「保護者様」の出現率が高くなってしまいます。100円でバナナを買う。或いは100円でバナナを売る。そういった売り手と買い手による「等価な価値を交換する取引」によって生まれたのが都会だからです。バナナ売りに対して、困ったことがあったらいつでも言ってくれ、バナナが食べられなくなったら俺も困るからな、なんていう買い手は都会にはほとんどいません。
そんな都会で人物評価をされたら。
そりゃ、新任は病みます。死んだ目にもなります。評価には《評価を一生懸命にやればやるほどその人のパフォーマンスは目減りしてしまう》というマイナスの作用があるわけですから。教員の場合、カリスマ教師(?)の堀裕嗣さんが指摘しているように、担任の力量は絶対的なものではなく、相対的なものとして出てきてしまうという側面があり、そのことも新任教諭にマイナスに働きます。隣のクラスの先生が中堅だったりベテランだったり、或いは承認欲求の強い働き過ぎの先生だったりすれば、多くの場合、新任教諭は(隣のクラスの先生と比べて)「力が劣る」と評価されてしまうからです。アンケートなんてとったら「構造的」にダメ出しをされてしまうわけです。しかも隣のクラスの担任が「お局様」みたいな先生だったりしたらもう最悪です。お局様が新任教諭を追い込めば追い込むほど、相対的に自分(お局様)の「保護者様」評価は上がっていくことを心得ているからです。
初任校では「保護者様」はひとりもいませんでした。田舎なだけに、子供の数が少なくて、隣のクラスもありませんでした。ALL単学級。学年が違うと学習の内容も違うので、比較されることも皆無。退職したいなんて、一度も思ったことがありませんでした。
はじめの一歩には「田舎教師」を。
そして評価は、ほんわか、適当に。