田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

岩田健太郎 著『ためらいのリアル医療倫理』より。教育の世界には、教育の世界にふさわしい語り口がある。

 僕は本書を「リアル」医療倫理と銘打ちましたが、医療倫理は(一部の神様みたいな極端な医療者ではなく)平均的な医療者が実行できる現実的なものでなければならないと考えています。リアルな医療倫理でなければ、それは絵に描いた餅になり、そこで偽善の温床が生じます。「倫理が偽善の温床となる」という皮肉を我々は受け入れてはならないのです。
(岩田健太郎『ためらいのリアル医療倫理』技術評論社、2011)

 

 こんばんは。ようやく金曜日の夜が来てくれたと思ったら、あっという間に日曜日の夜が姿を現します。リアルな実感ですが、もう少しためらってほしいものです、日曜日の夜には。なぞなぞでも出してちょっと立ち止まりたい気分になります。

 

「五はゼロより上にあるが、二が五より上にあり、ゼロがその二よりも上にあるという。それはなんだ?」

 

www.countryteacher.tokyo

 

 正解(ヒント)は、昨日のブログ(👆)の「おはようございます」の後に書いてあります。このブログを読んだ後に確認していただけると嬉しいです。

 

 ブログも読書も、芋づる式。

 

 年明けに「先生、あの本おもしろかったです!」と報告してきた子がいました。あの本というのは、冬休み前に勧めた岡田淳さんの『二分間の冒険』です。冒頭のなぞなぞはこの本より。

 その子はその日のうちに『放課後の時間割』を借りてきて、先週は『びりっかすの神さま』を読んでいました。全て岡田淳さんの作品です。最初の一冊から次の本、そしてまた次の本へと「つながる、ひろがる」芋づる式の読書。もしもその子が小学生ではなく高校生くらいだったら、神戸大学つながりで岩田健太郎さんの本を勧めるのになぁ。

 

 神戸大学出身の岡田淳さん。
 神戸大学教授の岩田健太郎さん。

 

 岩田健太郎さんの本も「芋づる式」の読書にふさわしいものばかりです。そんなわけで、今日も岩田健太郎さんの本から学びを得ています。

 

 

 昨日、Twitter のタイムラインに「授業大好き教員はオワコン」というツイートが流れていて、ちょっと炎上していました。発信者はもと教員です。意図はともかく「オワコンだ!」という断定的な口調が教育の世界に相応しくなかったのでしょう。口調って、大切です。岩田健太郎さんの『ためらいのリアル医療倫理』は、その「口調」に着目することから始まります。口調を変えてみましょう、と。

 

 教育の世界には、教育の世界にふさわしい語り口がある。

 

 例えば「オワコンな授業だ!(怒り顔)」と断定しても、クラスに40人もの子どもがいるのだから、その中の誰かにとってはプラスの授業かもしれない。「授業はこうやるんだ!(どや顔)」と断定しても、40人もいるのだからその中の誰かにとってはマイナスの授業かもしれない。そういった重層的な複雑さをもつ教育の世界には、オワコンだ(!)はもちろんのこと、断定口調はふさわしくありません。

 

 法曹界ならOK。

 

 岩田健太郎さんは、法曹界を引き合いに、白か黒かといった二者択一的な世界観のもとに飛び交う裁判官や弁護士や判事の雄弁な断定口調は、医療の世界にはフィットしない、と書きます。そして《医療の世界には、(法曹界にはない)医療の世界にふさわしい語り口があると僕は思います。その語り口だけが、おそらくは医療におけるリアルな倫理の問題を取り扱うことができるのではないかと考えているのです》とためらいながら口にします。

 

 ためらいこそ我が墓碑銘。

 

 教育の世界も同じです。医療と同じように責任を伴う複雑な仕事だからこそ、あいまいで、ためらいを伴う口調こそが、責任ある物言いとなります。

 試しに冒頭の引用を教育バージョンに変えると次のようになります。

 

 僕は本書を「リアル」教育倫理と銘打ちましたが、教育倫理は(一部の神様みたいな極端な教育者ではなく)平均的な教育者が実行できる現実的なものでなければならないと考えています。リアルな教育倫理でなければ、それは絵に描いた餅になり、そこで偽善の温床が生じます。「倫理が偽善の温床となる」という皮肉を我々は受け入れてはならないのです。

 

 違和感は、全くありません。

 

 一部の神様みたいな極端な教育者というのは、いわゆる「カリスマ教師」と呼ばれ人たちのことです。或いは「24時間戦えます」みたいな先生たちのことです。さらには権力の使い方を間違っている管理職のことです。そして「倫理が偽善の温床となる」というのは、わかりやすくいうと「子どもたちのために」っていう、あれです。

 

 子どもたちのために ~ しましょう。

 

 この「子どもたちのために」が断定的なものになればなるほど、リアルではない教育倫理が確立され、偽善の温床となります。

 毎日遅くまで残って授業の準備をするのは子どもたちのためだ。部活動の顧問が土日も仕事をするのは子どもたちのためだ。子どもたちのためにとにかくみんなでがんばりましょう。

「子どもたちのために」から吹き出してくる仕事の数々に、平均的な教育者、特に子育てや親の介護を抱えているような教員は苦しみます。だから「リアルな教育倫理」というのは、たとえ「子どもたちのために」と思ったとしても、それを断定的な口調で語らず、ためらいながら、吟味しながら口にすることでしか確立されないと私は思います。

 

 毎日遅くまで残って授業の準備をするのは子どもたちのため、かな?
 部活動の顧問が休日返上で仕事をするのは子どもたちのため、かな? 

 

 もしかしたら自分のためだったりしませんか?

 

 子どもたちのために。

 

 口調に、ためらいを。

 

 

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