田舎教師ときどき都会教師

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岩田健太郎 著『医療につける薬』より。教育につける薬もほしい。

(前略)ラグビーでは、いろんなポジションの人がひとつの目的のために一丸となって進んでいく。けれども今の状況は、医者対患者というような対立構造を生み出している。ラグビーチームであれば、味方の足を引っ張るようなことをするわけがない。そんなことをしても何の得にもならない。それが現状の医者対患者という関係では、お互いが足を引っ張り合うという、ラグビーチームとしてはきわめて異様なことをしてしまう。患者さんをチームの一員にして、医者あるいは病院のパフォーマンスを最大にすれば、患者さんと医者双方に利益として返ってくるはずです。今の患者は、医者や医療事務の足を引っ張ることによって自分が得をすると思っている。どう考えてもおかしいですよね。

(岩田健太郎『医療につける薬』筑摩選書、2014)

 

 こんばんは。昨日、長女にスマホをプレゼントしました。春に控えた高校生活を目前にしての解禁です。クラスでスマホを持っていない子は長女を含めて二人、とのこと。周りに流されることなく、ここまでよくがんばりました。最後の一人の子も、がんばれ。映画『アイ・アム・レジェンド(地球最後の男)』みたいなその子(♀)は、長女曰く「めっちゃ、いい子」。そうだろうなぁ、きっと。

 

 長女と二人、ドコモショップにて。

 

  待つこと1時間とちょっと。聞こえてきたのは「信用が落ちるのはあっという間なの。あなた、わかってる?」という叱責調の大きな声。見ると、若い店員さん(♀)が、年配の夫婦の前で、保護者様に攻撃された新任教諭みたいにうなだれています。我が子はというと、びびりつつ「やばくない?」という顔をしています。店員さん、かわいそうに。「わかってる?」とかなんとか偉そうに言っていますが、思春期まっただ中の娘がパパと二人で仲よくわくわく珍しく買い物に来ているというのに、あなた(客)の振る舞いがこのかけがえのない親子の時間に水を差しているのわかっていますか(?)。待ち時間もどんどん延びているんですけど。これだからもう「〇〇につける薬」はありません。

 

 そんなわけで、今夜は『医療につける薬』。

 

 

 

 感染症医・岩田健太郎さんの『医療につける薬』は、医療倫理について「あーでもない、こーでもない」と考え続けている著者が、他者との対話を通して、自身の考えや魂に揺さぶりをかけていくという一冊です。他者として登場するのは、静かで豊かな言葉の使い手であり、著者に思いもしなかった言葉をくださるという、内田樹さんと鷲田清一さんです。

 

 単純に、豪華。

 

 

 岩田健太郎さんのファンだけでなく、内田樹さんのファンも、鷲田清一さんのファンにもお勧めの一冊です。そして例によって、医療を教育に置き換えたとしても、全く違和感のない本です。冒頭に引用した「ラグビー型チーム医療」の話も、医者を教師に、患者を保護者に、そして病院を学校に置き換えても成り立ちます。

 

 ラグビー型チーム教育。

 

 教育現場にも「チーム学校」という言葉がありますが、医療現場と同様に、病院でいうところの患者さん、すなわち保護者をチームの一員として招き入れることにはあまりうまくいっていません。特に都市部の学校では、教師対保護者という対立構造が学校サイドの「悪手」によって生み出されているような気がします。アクテではなく、アクシュ。子どもたちのためにも「握手」しなければいけないのに「悪手」です。

 

 悪手のひとつが保護者アンケート。

 

 教師のパートナーである「保護者」を、消費者感覚たっぷりの「保護者様」にしてしまう悪手です。都市部の学校は、この保護者アンケートをよくとります。田舎の学校から都市部の学校にうつったときにはその頻度にびっくりしました。過労死レベルで働いている担任に「ダメ出し」をして自分が得をすると思っている「保護者様」がいることにもびっくり。死者に鞭打つなんて、どう考えてもおかしい。

 

 学校も学校です。
 教育委員会も教育委員会です。

 

 アンケートなんてとって「保護者様」を増やすのではなく、保護者をチームの一員にする術を模索し、担任あるいは学校のパフォーマンスを最大にすれば、保護者と担任双方に利益として返ってくるはずなのに。アンケートのマイナス面(パフォーマンスを下げる)を考え、せめて担任の目にふれないようにすればまだよいものの、くそ忙しい担任に集計させて入力までさせる始末。小説家の村上春樹さんだってマイナスの書評等は読まないというのだから、アンケート形式の評価にプラスの効果なんてほとんどありません。

 ちなみに「保護者様」ではなく「保護者」はアンケートのマイナス面がよくわかっていて、たとえ担任のことをそれほど信用していなくても「ダメ出し」なんてしません。全ての項目にササッと「A」評価をつけて、さらに労いのコメントを書いてくれることもあります。その方が我が子のためにも世の中のためにもなるとわかっているからです。実際、そういった保護者の子に躾のできていない子はほとんどいません。ある保護者に訊ねたところ、保護者アンケートそのものに違和感を覚える、とのこと。いたってまともです。矢のごとくストレートにまともです。だって私たちはチームですから。

 

 チームメイトを査定的な目で見てどうするんだって話です。

 

 担任のことを「保護者様」が査定的な目で見れば見るほど、担任は病んでいき、子どもは不利益を被ります。医療現場でも同じようなことがあるようで、岩田健太郎さんは同著に次のように書いています。

 

まじめにやればやるほど、しんどいですよね。だから多くのドクターは不感症になっていくんですよ。患者やその家族という存在から自分を切り離して、いわゆるデタッチメントをつくって、そういう情念みたいなものに引きずられないようにしている。

 

 小学校の学級担任は「チーム学校」とは真逆の「個人商店」に近い形態なので、クラスづくりがうまくいっているときはいいですが、うまくいかなかったときに相当しんどくなります。天国と地獄。そして一度でも地獄よりの経験をしてしまうと、それこそデタッチメントをつくって自分を守るようになります。そういったこともあって「チーム学校」という言葉が出てきたのだと思いますが、個人商店化は留まるところをしりません。この点に関しては、医療現場よりも深刻だと思います。教室には、分業という概念の予兆すらありませんから。

 

 教育につける薬。

 

 岩田健太郎さんに処方してもらいたいなぁ。

 

 

職業としての小説家 (新潮文庫)

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  • 作者:村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2016/09/28
  • メディア: 文庫