本書を読むと、なるほど、ナラティブなくしてエビデンスなし、エビデンスなくしてナラティブなしなんだなぁ、と思います。両者は補完的なのではなく、一連の流れとして医療の実践のプロセスにビルドインされているものなのだ、と実感できます。
(岩田健太郎 訳、ジェイムズ P.メザ、ダニエル S.パッサーマン『ナラティブとエビデンスの間』メディカル・サイエンス・インターナショナル、2013)
こんばんは。昨年、以前から贔屓にしていた Official髭男dism があっという間に人気者になってしまい、嬉しさと同時に寂しさを覚えました。ファンというのは勝手なものです。そして今年は、というかここ数週間は、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、以前から贔屓にしていた医師であり作家でもある岩田健太郎さんが、あっという間に「時の人」になってしまい、嬉しさと同時に寂しさを覚えています。ホント、勝手です。それにしても「COVID-19 製造機」と化しているダイヤモンド・プリンセスに乗り込むなんて、さすがは日本を代表する感染症医だなぁと思います。
岩田健太郎さんは感染症医のプリンス💖
友人の麻酔科医(👩)がそう呼ぶだけのことはあります。
船内にいる人たちから「怖い」や「感染が広がっていくんじゃないか」というヘルプのメッセージを受け取っていたという岩田健太郎さん。冒頭に引用した訳書のあとがきには《もともと医学部に入ったのも、自然科学と社会科学の統合的な勉強をしたかった、というのが最大の理由でした。人命を救い、社会に貢献、といったヒューマンで高尚な動機はなかったんです》と書いています。とはいえ、ダイヤモンド・プリンセスに乗り込む岩田健太郎さんはどこからどうみても「ヒューマン」そのもの。医師としての人生、そして作家としての人生を送っている中で、たくさんのナラティブ(物語)に出会い、「人命を救い、社会に貢献、といったヒューマンな動機」が大きくなっていったのではないかと想像します。村上春樹さんの「デタッチメントからコミットメントへ」みたいで、カッコいいなぁ。プリンセスに潜入したプリンスによる「告発の行方」、今後の展開が気になるところです。
ナラティブとエビデンスの間。岩田健太郎さんが翻訳している洋書です。日本語にすれば、個々の患者さんの物語と臨床的科学的根拠の間。辻仁成さんと江國香織さんの小説のタイトルでいえば『冷静と情熱のあいだ』みたいなものでしょうか。ナラティブが情熱で、エビデンスが冷静です。
括弧付きの、立ち現れる、条件次第の、文脈依存的な医療に携わる医師。
括弧付きの、立ち現れる、条件次第の、文脈依存的な教育に携わる教師。
どちらも同じですが、傾向として、医師はエビデンス(冷静)に、教師はナラティブ(情熱)に偏っているような気がします。エビデンスに頼るだけでは駄目、情熱だけでも駄目。ジェイムズ P.メザ と ダニエル S.パッサーマンが『ナラティブとエビデンスの間』を書いたのは、そしてそれを岩田健太郎さんが訳したのは、エビデンスに偏りがちだった医療現場にナラティブの「熱」をビルドインして統合したかったからだろうし、ちょっと前に中室牧子さんの『「学力」の経済学』や、新井紀子さんの『AI vs.教科書が読めない子どもたち』が話題になったのは、ナラティブに偏りがちな学校教育を冷静に眺めた結果としての現象だっただろうし、要するに、
医師はナラティブにも関心を、
教師はエビデンスにも関心を、
という話なのだと思います。医師は情熱を、教師は冷静さを。そうすれば医療も教育ももっとよくなる。とはいえ、やはり人間はナラティブ(物語)に惹かれやすく、だからこそ情熱と冷静さを兼ね備えた岩田健太郎さんのダイヤモンド・プリンセスへの潜入レポートが多くの人の心をとらえるのだろうなと思います。ナラティブとエビデンスの統合を求めてクルーズ船へ。曰く《英語でも収録させていただきましたけど、とにかく多くの方にこのダイヤモンド・プリンセスで起きている事っていうのをちゃんと知っていただきたいと思います》云々。
岩田健太郎さんのナラティブが世界へ。
時の人だ。
※ BBCでも取り上げられたという動画(潜入レポート)は、翌朝、削除されたとのこと。もう十分に役割を果たしたということなのだと思います。