田舎教師ときどき都会教師

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岩田健太郎 著『食べ物のことはからだに訊け!』より。教師の直観はバカにできない。

 感性が鋭くなると、同じ食事に飽きてきます。あっさりした食事が好きな人も、たまにはこってりした食事を食べるのがアクセントになってくれます。逆もまた然りです。
 このような食の多様性は、食に対する寛容を生み出してくれます。あれが食べたい、これは食べたくないという好みは人それぞれありますが、あまりに極端なものはよくありません。それを我々は偏食といいます。極端な偏食は人間性の歪みを生み、不寛容な精神のもとになります。それは文化や民族や人間に対する不寛容とも無関係ではないとぼくは思います。そういう意味でも、「いろいろな食事を楽しむ」感性を養うのは、「健康な人生」のみならず、「良い人生」を送るためにもとても大切なのですね。
(岩田健太郎『食べ物のことはからだに訊け!』ちくま新書、2015)

 

 おはようございます。2、3日前からからだがSOSを発し始めました。「やつらがやってきたぞ」って。花粉です。毎年のように繰り返される花粉とのバトル。そろそろ「やつら」との闘いにも飽きてきたので、花粉に対するセンサーが劣化してくれればいいのにと思うのですが、意に反してその精度は高まっていくばかり。死神と紛うばかりの花粉の襲来に、伊坂幸太郎さんの『死神の精度』は傑作だったなぁと、こじつけのようなことまで頭に浮かんでくる始末です。これが続編でいうところの『死神の浮力』ってやつか。微熱も出てきたような気がします。ほんと、死神だなぁ。

 

 花粉に効く食べ物。

 

 1位  レンコン
 2位  わさび
 3位  バナナ

 

 ググってみると、そういった情報はすぐに手に入るのですが、本当に「レンコン」が花粉に効くのであれば、マスクを手に入れるのと同じくらい「入手困難」な状況になっているはず。そう思うと、レンコンもわさびもバナナもあえて食べようという気にはなれません。健康情報にだまされるな。レンコンが効くのかどうかは個人差もあるだろうしよくわかりませんが、岩田健太郎さんの『食べ物のことはからだに訊け!』を読むと、トンデモ情報に対するセンサーが磨かれて、健康本を読むよりもからだに訊くことを大切にするようになります。

 

 

 岩田健太郎さんの『食べ物のことはからだに訊け!』を読みました。からだに対するセンサーや食べ物に対するセンサーなど、数値化することはできないけれど、私たちが確かにもっている能力(センサー/感性)の大切さについて学ぶことができる一冊です。

 

 教師の「直観」はバカにできない。

 

 初任のときの恩師に言われた言葉です。漢字で書くと「直感」ではなく「直観」のことだったのだなと『食べ物のことはからだに訊け!』を読んで気づきました。岩田健太郎さんは、この「直観」のことを、評論家の小林秀雄の「直覚」という言葉を引いて説明しています。直感があてずっぽうの思いつきであるのに対して、直覚や直観は、経験に基づく想像力に裏づけられた「主観」であり「センサー」であり「感性」であるといえます。

 

主観による評価はしばしば実に妥当なのです。

 

 何十年も教師をやっていれば、子どもの学習状況がどうなっているか、かなりの確度をもって言い当てることができます。それは力のある医師が患者の身体状況がどうなっているか、かなりの確度をもって言い当てることができるのと同じです。岩田健太郎さんはこのことを「準備された心」と表現しています。経験に基づく「準備された心」があれば、主観による評価はしばしば実に妥当なものになります。教師しかり、医師しかり、藤原聡さん(Vo)の声を瞬時に聞き分ける髭ダンのファンしかりです。そこにデジタルな基準は必要ありません。

 

健康本で勉強しすぎると逆説的に食べ物に対するセンサーは劣化していきます。

 

 この場合の健康本というのは「他人の言葉」であり、話のつながりでいうところのデジタルな基準に当たります。健康本に書かれた他人の言葉を妄信してしまうと、直観が働かなくなり、センサーは劣化していきますよという話です。教師でいえば、テストの点数だけで子どもを判断してしまうようなもの。あの子は国語のテストも算数のテストも100点だったからおそらく思いやりにも優れているだろう、みたいな。めちゃくちゃです。教育現場におけるセンサーの劣化は、冒頭に引用した食の話と同じように、人間性の歪みを生み、不寛容な教育のもととなります。

 

 教師は教育に対するセンサーをもっています。
 医師は医療に対するセンサーをもっています。


 それぞれ長く広く真剣にその仕事に携わっているからです。同じ文脈で、人間は食べ物に対するセンサーをもっているといえます。だって生まれたときからずっと食べているのだから。その「食べ物に対するセンサー」を、或いは「からだに対するセンサー」を眉唾の健康情報によって劣化させてしまうのは、あまりにももったいない。岩田健太郎さんが「食べ物のことは自分(からだ)に訊け」と説くのはそのためです。

 

 もうひとつ。

 

 食べ物のことは自分(からだ)に訊けということに加えて、何事もほどほどにという中庸の精神を勧めているのもこの本のポイントです。3秒ルールというものがあります。給食のときに教室の子どもたちがときどき口にする、あれです。

 

 うちは夫婦ともに感染症屋ですが、子どもが食べ物を落としても「3秒ルール!」といって拾って食べています。まあ、やんわりと受け入れてよいルールだとは思っています。

 

 この「やんわりと」というところがポイントで、岩田健太郎さんは、レンコンを絶対に食べろとか、わさびは絶対に抜くなとか、そういった「やんわりと」していない言説(レンコンとわさびはわたしの勝手な例です)はあまり気にせずに、自分のセンサーを磨き、感性に任せるままに自由に楽しく食べることが一番と主張しています。スタンダール的には「To the Happy Few」、茨木のり子的には「自分の感受性くらい、自分で守れ。ばかものよ」です。

 

 では、バナナを食べて、出勤します。

 

 行ってきます。

 

 

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