講義を無事に終了し、共青団の先生や学生たちと昼食を一緒にとった。その場にいたすべての学生が武漢以外の出身だったが、みんな武漢で生活し、学んでいることを誇りに思っていた。法律を学ぶ20歳の女子学生は、「武漢の歴史を理解し、母校の魅力を世界に伝えていくために全力で汗をかき、この土地とこの大学を愛せるように努力したい」と語っていた。
(加藤嘉一『脱・中国論』日経BP、2012)
こんばんは。新型コロナウイルスの影響でしょうか。ここ数日、マスクをつけている子どもが急に増えたような気がします。今日は黒マスクをつけている子もいました。通勤途中や街中ではよく見かけるようになりましたが、教室の中でつけている子を目にしたのは初めてです。
黒マスクさん曰く「白マスクより健康らしいですよ」
日本の黒マスクは竹の炭で色付けをしていて、竹炭の抗菌作用や脱臭効果が期待できるそうです。また、竹炭から発生するマイナスイオンによってストレス軽減効果やリラックス効果も期待できるそうです。ちょっとググってみたところ、そんな情報が得られました。さて、本当でしょうか。
グーグルで探すとまともな情報は得られない。
感染症医の岩田健太郎さんが『新・養生訓』の中でそのように発言しています。医療情報や健康情報に関しては「ググれカス」ではなく「ググるカス」。いったい何を信じていいのやら、素人にはもう、さっぱりわかりません。武漢に住んでいる人たちも、何を信じていいのやらって、同じような気持ちなのではないでしょうか。日本でも新型コロナウイルスに関するデマがSNSを通して拡散しているようで、それらの一部について、岩田健太郎さんが「デマです。こりゃきりがないな」とツイートしていました。やれやれ。
中国といえば、1984年生まれの加藤嘉一さん。北京大学卒のエリートで、かつては「中国で一番有名な日本人」と称されていたカリスマです。以前に『われ日本海の橋とならん』という著書を読んで感銘を受け、しばらくの間、新しい本が出るたびに買っていました。古市憲寿さんとの共著などもあり、飛ぶ鳥を落とす勢いかと思われましたが、最近はあまりメディアで見かけることがありません。新型コロナウイルスの脅威にさらされている武漢がメディアで大きく取り上げられているということもあって、加藤嘉一さんが武漢について書いた冒頭の文章が懐かしく思い出されます。
でかい。
2001年にバックパックを背負って北京から香港まで縦断した際、どこもかしこも「でかい」なぁという印象を受けました。都市の話です。済南やら合肥やら景徳鎮やら。どの都市も日本でいうところの100万都市なんていうレベルではなく、500万とか600万とか700万とか、そんな都市がゴロゴロありました。本屋もたくさんあって、勉強している人もたくさんいたので、このさき日本が中国に太刀打ちできなくなるのは200%くらい間違いないなぁなんて思ったことを覚えています。
でかい。
加藤嘉一さんも「でかい」という言葉を使っています。武漢の第一印象です。曰く《とにかく「でかい」の一言に尽きる》云々。中国のでかい都市に慣れている加藤嘉一さんが「でかい」というのだから、そりゃあもう、きっとめちゃくちゃ「でかい」のでしょう。
そんな「でかい」都市が封鎖されるくらいなのだから、コトの深刻さが想像できます。新型コロナウイルス、恐るべし。ちなみに加藤嘉一さんが北京大学に入学した年は、ちょうどSARSウイルスが猛威をふるっていた時期と重なっていたそうで、大学は半年ほど休講だったとのこと。その間に大学受験とは比較にならないくらいの猛勉強で中国語をマスターしたそうです。何らかのウイルスが流行ったときには、自宅にこもって猛勉強っていうのが、正しい感染予防ですね。
感染経路を制するもの、感染症を制する。
アルベール・カミュが予言し、岩田健太郎さんが固めたセオリーです。アルベール・カミュの『ペスト』に登場するレイモン・ランベールも、もしかしたらこのセオリーを知っていたかもしれません。
「僕はこれまでずっと、自分はこの町には無縁の人間だ、自分には、あなたがたはなんのかかわりもないと、そう思っていました。ところが、現に見たとおりのものを見てしまった今では、もうたしかに僕はこの町の人間です、自分でそれを望もうと望むまいと。この事件はわれわれみんなに関係のあることなんです」
(アルベール・カミュ『ペスト』新潮文庫、1969)
ペストの脅威にさらされた町から逃げ出す、という選択肢を前に逡巡していた新聞記者のランベールが口にした言葉です。直前には《「しかし、自分一人が幸福になるということは、恥ずべきことかもしれないんです」》と口にしています。加藤嘉一さんの講義を受けた武漢大学の学生さんたちも、ランベールと同じようなことを考えているかもしれませんね。
一日も早く事態が収束しますように。