田舎教師ときどき都会教師

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ひろゆき 著『なまけもの時間術』より。自由な時間を生きることで、他にはない自分だけの価値を生む。

 まずは「自分の自由な時間」を作らない限り、他にはない自分だけの価値なんてものをつくり出すことはできないだろうと思います。何より、好きなことがあるのなら、それをする時間が長いほうが生きていて楽しいですよね。
 ブラック企業に勤めていて、そんなことすら考えられない人は大変だろうなと思います。
 早くその異常さに気づいて、自分は何が好きなのか、何をしているときに楽しいのかを考えることから始め、1日に数時間でも自由な時間を確保することを意識したほうがいいでしょうね。
(ひろゆき『なまけもの時間術』学研プラス、2020)

 

 おはようございます。昨夜の NHK NEWS WEB に「臨時休校 家庭学習内容『改めて学校で教える必要なし』文科省」というタイトルの記事が出ていました。特例として、一定の要件のもとで行われた家庭学習の内容を改めて学校で教える必要はない、とのこと。要件を満たせば、家庭での学習が単位(履修したもの)として認められるということです。

 

 5月以降も臨時休校が続くのかもしれない。

 

 そのことを見据えての特例のような気がします。だって三密を防ぐなんて絶対に無理ですから。毎日がロシアンルーレットの教室で、感染即休校という状況を視野に入れながら「見通し」をもった指導なんてできません。昨日、感染症医の岩田健太郎さんも《もう三密言うのはやめて。距離。そして在宅》とツイートしていました。首都圏についていえば、今後のトレンドは在宅勤務でしょう。

 

 5月以降も臨時休校が続くのだとしたら。

 

 子どもも大人も時間の使い方がこれまで以上に重要になってきます。大人については中島聡さんのロケットスタート時間術とか、本田直之さんのレバレッジ時間術とか、そういった王道の「チーター」的な時間術を参考にすればいいですが、子どもについてはこれから紹介する西村博之さんのなまけもの時間術が参考になります。人間ってそもそも「チーター」というより「なまけもの」ですからね。子どもならなおさらです。

 

 
 匿名掲示板「2ちゃんねる」の開設者として知られる、ひろゆき(西村博之)さんの『なまけもの時間術』を読みました。曰く《ゲームとかマンガに没頭していると、気がついたら時間が経っている》云々。クラスの子ども、特に男の子が臨時休校中に経験していそうなことをわざわざ太字にして強調しているひろゆきさん。新刊『なまけもの時間術』は、そんなひろゆきさんらしい、これまでに書かれてきた類書とはひと味違った一冊です。

 

 例えば「ロケットスタート時間術」との違い。

 

 中島聡さんのロケットスタート時間術は、その名の通り、何よりも「とっととやる」ことをその要諦としています。仕事なんてとっとと終わらせて遊ぼうよ、というわけです。今日できることは、今日のうちにやれ。一方、ひろゆきさんのなまけもの時間術は、仕事は「締め切りギリギリがいい」というスタンスで、明日できることは今日やるな、すなわち「とっととやるな」という考えです。最大馬力は締め切り直前に発揮される。だから仕事なんて後回しにしてとっとと遊ぼうよ、というわけです。真逆のアプローチですが、共通点は「遊ぶこと」、すなわち仕事ではなく「やりたいこと」に重きを置いているところにあります。ここが大事!

 

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 例えば「レバレッジ時間術」との違い。

 

 本田直之さんのレバレッジ時間術には「学校っぽい」ところがあります。それは時間割を使うところです。学校が時間割を組むことによって、例えば道徳の授業を週に1回必ずやるように、レバレッジ時間術も「やりたいこと、やるべきこと」の時間を必ず確保するために時間割を活用します。一方、ひろゆきさんのなまけもの時間術は、時間を守ることに価値を置いていません。眠いときに寝て、目が覚めたら起きるというスタンスです。時間割通りに動くのは、むしろ思考停止なんじゃないの(?)というわけです。だから《寝落ちするまで好きなことをして過ごす》とのこと。これまた真逆のアプローチですが、共通点は「やりたいこと」に重きを置いているところにあります。

 
 やりたいこと。

 

 ロケットスタート時間術もレバレッジ時間術もなまけもの時間術も、アプローチの仕方や方法論は違えど、「やりたいこと」に価値を見出しているのは同じです。1日に数時間でも自由な時間を確保して、やりたいことをやりましょう。そしてその自由な時間を確保するために、自分に合った「時間術」を探したりつくったりしましょう。つまり、どの時間術でも目指しているのは「自由な時間を生きることで、他にはない自分だけの価値を生む」ことというわけです。同様のことを吉本隆明さんも指摘しています。

 

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 ひとりの時間をもつことで得られるものは「価値」。
 コミュニケーションの中で得られるものは「意味」。

 

 そう考えると、5月以降、臨時休校が続いたときに問題となってくるのは、後段のコミュニケーションでしょうか。ひとりの時間をもつことで、善くも悪く(?)もユニークになっていくであろう子どもたちに、どのようにしてコミュニケーションの機会を提供していくのか。悩ましいなぁと思って、でもアイデアを出すのは楽しいなぁと思って、寝落ちするまで考えていたら寝坊してしまいました。

 

 なまけもの時間術。

 

 家族には不評です。