田舎教師ときどき都会教師

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猪瀬直樹+信州大学客員講師団 著『なぜ日本人は働きすぎるのか』より。ライフスタイルを捉え直す。もっと遊ぼう。

猪瀬 ―― のちほどリポートを示しますが、日本人の労働といってもさまざまな類型に分類してから討論しなくてはならないと思います。日本でも労働時間が長い職種とそうでない職種があるわけです。はっきり言って、公務員はむしろ短いぐらいです。その公務員にも例外があって、いわゆるキャリア組といわれる高級官僚などはかなり深夜まで働いていますね。霞ヶ関では、夜遅くまで煌々と電気が灯いている建物があります。統計に現れる比較というのは、こうした差異を平均化したものですから、必ずしも妥当なものとはいえません。さまざまな職種があり、それぞれの職種に応じた労働時間があるという意味で、木畑さん、船員の場合、だいぶ違いますでしょう。
(猪瀬直樹+信州大学客員講師団 著『なぜ日本人は働きすぎるのか』平凡社、1988)

 

 こんばんは。昨年の9月から8月上旬までの約11ヶ月間のオンと、オフになってから昨日までの約2週間のライフスタイルがあまりにも違いすぎて、毎年のことですがそのギャップに呑み込まれそうになります。船員の労働に例えれば、オンが「海」に、オフが「陸」に相当するでしょうか。オンとオフのギャップにメンタルが追いつかず、9月1日(始業式)の船出が心配というか無理というか、とにかく気が重くて仕方がありません。陸の上の「御殿」から出たくなくなる漁師さんの気持ちもわかります。

 

初任校時代に住んでいたアパートの部屋より(2005.4.2)

 

 初任校は遠洋漁業の基地と呼ばれる町にありました。入母屋造という工法で作られた大きな瓦屋根が特徴の御殿(=家屋)が点在する風光明媚な漁師町です。長く海に出ているのだから、陸にいるときくらいはゆっくりとくつろいでほしい。豪壮な御殿には、父親(漁師)へのそんな願いが込められていると聞きました。海にいるときは働きっぱなしだから、

 

 陸にいるときくらいは休もう。

 

 教員の労働に例えれば、9月以降は働きっぱなしになるから、8月くらいは休もうとなるでしょうか。だから今日の出張は要らなかったし、来週の水泳指導も要らない。そもそもコロナの第7波が収まらずに病床不足が叫ばれているのにプールOKって、いったいどんな判断なのでしょうか。つねに国際的な環境の中で調整されてきたとされる船員の労働と同様に、教員の労働にも調整が必要です。そうしないと、病む。あるいは、

 

 死ぬ。

 

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 冒頭の引用に《はっきり言って、公務員はむしろ短いぐらいです》とあるように、昔の教員の労働時間はそれほどでもなかったはずです。それなのに『先生を、死なせない。』なんて本が書かれるくらいに教員が働きすぎるようになったのはなぜでしょうか。言い換えると、

 

 なぜこんな働き方になってしまったのか。

 

 社会学者の宮台真司さんの言い回しを借りれば、「原発や国葬やこんな働き方をどうするか」から「原発も国葬もこんな働き方もやめられない社会をどうするか」へ。

 

 34年前の本を読んで考えてみました。

 

 

 猪瀬直樹さんと信州大学客員講師団(加藤薫、木畑公一、下田平裕身、笹本六朗、鈴木譲二、村上剛志)による『なぜ日本人は働きすぎるのか』を読みました。初版は1988年、今から34年前の作品です。タイトル等からわかることは、日本人の長時間労働の問題が四半世紀以上も続いているということ。目次は以下。

 

 第一部 なぜ労働時間は短縮できないのか
 第二部 日本と西洋、双方の誤解
 第三部 働き過ぎ日本の行方

 

 第一部では、猪瀬さんが「労働時間短縮における日本的課題」というリポートを提出し、問題提起をしています。日本的課題云々の前に、労働時間の異なる職種を「日本人」としてひとくくりにするのはおかしい(!)というもっともな見解から書かれたリポートです。教員については次のように書かれています。

 

[類型6]
 一般公務員。公営企業職員。生産性とは縁遠い世界。教師の場合もあてはまる(ただし小学校はかなりいそがしい。中、高、大になるにしたがって拘束時間が少ない。もちろん例外もあり、”聖職” 意識や使命感がある場合は別)

 

 さすが猪瀬さんです。引用の《ただし小学校はかなりいそがしい》というところと「拘束時間」という表現に主体的・対話的で深い学びを感じます。2013年に亡くなったゆり子夫人は小学校の教員だったんですよね。だから、

 

 小学校の教員の労働実態がよくわかっている。

 

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 猪瀬さんにリツイートしていただいたツイートです。34年前には約1000人だった「精神疾患で休職する教職員」の数が、教職員の総数は減っているのにもかかわらず、現在では5000人を超えて高止まりしています。休憩ゼロで、おまけに残業代もゼロで働きすぎていることが原因でしょう。

 

[類型6]の「公務員」もまた、「近代的」である。なぜなら、彼らは国内「ソビエト社会」の住人であり、日本の伝統とも現代資本主義とも無縁に暮らしている。その労働時間は、充分に「欧米水準並み」を達成しているからである。
 こうして見てくると、働きすぎについての考究が求められるのは[類型1]になるようだ。

 

[類型1]というのは、会社員(ホワイトカラーのビジネスマン)のことです。なぜ彼ら彼女らの長時間労働が考究すべき問題になったのかといえば、それは総合商社に代表されるサラリーマンが働きすぎると、国際間の経済摩擦や文化摩擦が起きて、西洋から非難されるからです。

 

 つまりは外圧。

 

 ちなみに猪瀬さんは日本人の伝統としての労働観を江戸時代の武家的忠誠心や農民的勤勉さに求めることには懐疑的で、むしろ士農工商でいうところの「工商」に注目すべきだとして、よくある「士農史観」ではなく「工商史観」を推しています。興味のある方はリポートの一読をぜひ。

 いずれにせよ、今となっては[類型1]のビジネスマンよりも[類型6]の教員の方が働きすぎているのではないか(?)と思えてしまって、猪瀬さん発「労働時間短縮における日本的課題  令和 version」も期待したくなります。総合商社で働く保護者も、その他どんな職業の保護者も、メディアで見聞きする「#教師のバトン」などのニュースをもとに、口をそろえてこういいますから。

 

 先生も大変ですね。

 

 先生が大変なのは、私たち教員が国内「ソビエト社会」の住人ではなく、日本の伝統と現代資本主義に何かしら縁があったからでしょう。そうとしか思えません。だからこそ令和の今は[類型6]についても働きすぎについての考究が求められます。

 

 なぜ教員の労働時間が増えたのか。

 

 1971年に制定された給特法(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)が原因のひとつというのが目下の「なぜならば」であり、この給特法を改正して労働基準法を公立学校の教員にも適用しようというのが、現職教員の斉藤ひでみさんらがリードするムーブメント(働き方改革)の最先端です。とはいえ、本当に敵は給特法なのでしょうか?

 

 労働基準法は万能なのでしょうか?

 

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というのも、労働基準法の改正、改悪という議論もありますが、とりあえず経済摩擦の理由のひとつにあげられている労働時間を短縮する姿勢を見せて、批判をかわそうという面が目についてしまうからなんです。その結果、いわゆるグレイゾーン時間帯が温存されたままになる、あるいは拡大するという予想もできるんじゃないかと思うんですね。このグレイゾーンという言葉はたしか猪瀬さんが最初に使いはじめたんだと思いますが……。

 

 第二部「日本と西洋、双方の誤解」より。加藤薫さんの発言です。この本が出版された1988年に労働基準法が改正されているんですよね。Wikipediaには《それまで労働基準法の中で週48時間と書かれてあった法定労働時間が変更され、改正後の本則には「使用者は、労働者に、休息時間を除き1週間 について40時間を超えて、労働をさせてはならない」(32条1項)と記されたのである》とあります。素晴らしい。現在の教員の週あたり平均労働時間は62時間56分(日教組、2021年)ですが、労働基準法が適用されれば、40時間で仕事が終わるようになるのかもしれません。否。電通の高橋まつりさんの件を思い出すまでもなく、

 

 なるわけがない。

 

 だから給特法が改廃されても、教員の働き方が変わるとは思えません。働きすぎが改められるかどうかは、私たち教員が「グレイゾーン」をいかに少なくしていくかにかかっています。

 

 早出・残業・休日出勤などの時間外労働は、形式的には、業務命令に従っておこなわれるタテマエであるが、実際には、労働者の自発的ないし恣意的な考えによっておこなわれる場合も多い。

 

 笹本六朗さんの「グレイゾーンの時間外労働」というリポートより。教員の場合は形式すらありませんが、自発的ないし恣意的というところはまさしく学校です。このグレイゾーンという日本的な慣習が[類型1]のビジネスマンから[類型6]の教員にも広がった結果が、現在の『先生を、死なせない。』ということなのでしょう。猪瀬さんいうところの《結局、労働は苦痛だと思っているんですね》という、プライベート中心のライフスタイルを主とする西洋には発生し得ないゾーンです。日本と西洋では、

 

 ライフスタイルを規定する文化が違いすぎる!

 

 長々と書きましたが、ここがポイントです。日本は、企業中心のライフスタイルだから、労働観そのものが西洋と異なり、何のために生きるのかという人生観も異なっている。だから長時間労働に歯止めをかけるためには、働きすぎのカルチャーを踏まえつつ、私たちのライフスタイルを捉え直すところから始めなければいけない。第三部「働き過ぎ日本の行方」の最後に、猪瀬さんがそう結論づけています。

 

猪瀬 ―― 日本人は豊かになったけれど、どこか余裕がない。もともと自然や季節とともにあった日本人特有の祝祭や慣習が、生活のなかから消えて久しい。それに代わるなにかがつかめないでいるわけですが……。探してみる、ということになるのかもしれません。僕たちのライフスタイルを捉え直すということは、意外とそんなささいなところから始まるのかもしれません。

 

 

 今日は出張だったのですが、お盆直後のこんな時期に各校の教員を何人も集めて研修だなんてどうかしている(!)と訴えている先生がいました。それです、それ。それこそが長時間労働の解決の糸口です。

 

 ほんと、どうかしてますから。

 

 働かせすぎ。