田舎教師ときどき都会教師

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角幡唯介 著『極夜行』より。極夜の果てに昇る最初の太陽を見たとき、人は何を思うのか――。太陽と、出産と。

 しかし私は極夜にひきつけられたのだった。気になってしょうがなかった。太陽のない長い夜? いったいそこはどんな世界なのだろう。そんな長い暗闇で長期間旅をしたら気でも狂うのではないか。そして何よりも最大の謎、極夜の果てに昇る最初の太陽を見たとき、人は何を思うのか――。
(角幡唯介『極夜行』文藝春秋、2018)

 

 こんばんは。小学6年生の国語の教科書に「時計の時間と心の時間」という説明文が載っています。

 ゾウの時間とネズミの時間がイコールではないように、時計が表す時間と私たちが体感している時間は、違う。例えば太陽のない「極夜」で体感する時間と、時計が表す時間が同じだったら、おかしい。

 そんな極端な事例は出ていませんが、内容としてはそういった説明文です。著者は心理学者の一川誠さん。一川誠さんといえば、『大人の時間はなぜ短いのか』が有名でしょうか。

 

 

 なぜならば、大人になると、ほとんどの出来事が経験済みになっていくから。この「経験済み」に抗うべく、すなわち短くなっていく「時間感覚」に抗うべく、空白の五マイルだったり太陽が昇らない極夜だったりに、いったいそこはどんな世界なのだろう(?)って、真面目に不真面目に、否、真面目にユーモラスに挑んでいるのが、探検家の角幡唯介さんです。もしかしたら角幡さんの時間感覚は、生活科の授業で学校を探検する「ドッキドキの1年生」のそれに近いかもしれません。

  

 

 あとがきにて、角幡さん曰く《この本を書き終えた今、私のなかでは、デビュー作である『空白の五マイル』の続編をようやく書くことができたとの思いが、とても強くある》云々。

 

 空白の五マイルから、極夜行へ。

 

 現代社会システムの外側へ。

 

 

 

 角幡唯介さんの『極夜行』を読みました。2018年の本屋大賞(ノンフィクション本大賞)を受賞している、角幡さんの代表作です。

 闇に向かった冒険ノンフィクション。ひとり極夜を旅して、四ヶ月ぶりに太陽を見た。太陽が昇らない冬の北極を、一頭の犬とともに命懸けで体感した探検家の記録。

 本の帯にはそうあります。眩しいくらいの傑作だったので、国語の授業に絡めて、子どもたちにも紹介しました。

 

 まずは文章構成について。

 

 説明文でいうところの「はじめ」「中」「おわり」でいうと、「はじめ」のところに出産シーンが置かれています。そしてざっくりいうと、その出産シーンの回想が「おわり」のときに再び登場します。つまり第一子が極夜にも似た子宮から産道を通り、命懸けで現代社会システムの内側へ降りてきて、眩しい(!)って目を細める場面と、父親の角幡さんが極夜、すなわち現代システムの外側から命懸けで生還し、四ヶ月ぶりに太陽を見て「※△〇◇※✕〇☆(秘密🤫)」と声を漏らす場面がシンクロする構成をとっているというわけです。

 

 出木杉英才です。

 

 ちょうど説明文「時計の時間と心の時間」の学習をしていたので、「はじめ」と「おわり」に置かれた出産シーンが「中」にあたる極夜行の冒険を価値付けている、というようなことを6年生にもわかるように話しました。文章構成って、大事。

 

太陽光と出産の関係に気付いたことで、図らずとも今回の探検は、家族の形成という私生活上の変化をもまきこむ旅となったのだ。

 

 次にユーモアについて。

 

 極夜行の後半、妖艶な月の光に導かれ、フラフラと「極夜の内院」に迷い込んだ角幡さんは、宇宙の一角と感じられるような場所に足を踏み入れます。

 

 雪で塗りつぶされた広大な湿地帯の谷間が、闇夜の中、天空から照射される月の薄光により遠くまで白く発光して浮かび上がっていた。雪原はどこまでも奥につづき、闇の向こうで朧気に消えている。それは壮絶なまでに美しい、美しすぎる、美しすぎる八戸市議みたいな光景だった。あまりにも幻想的かつ眩惑的な様子に私はしばし見とれた。あきらかに地球上の風景のレベルを超えており、地球以外の惑星ですと言われても、ええそうですかと、とくに疑問もなく受け入れられる展望が広がっていた。

 

 美しすぎる八戸市議?

 

 何となくはわかります。でも、あきらかに地球上の風景のレベルを超えていると書いているのに、そのピンポイントな言葉の選択はどうなのでしょうか。ひっかかります。アクシデントが続いて食料がなくなりかけて、パートナーのウルミヤック(犬)を殺して食べなければいけないかもしれないというシリアスな展開に100パーセント引き込まれていたのに、意識が現代社会システムの内側に戻ってきてしまいました。脱システムなのに固有名詞を出すなんて、ええそうですかと、受け入れられません。疑問です。疑問過ぎてすぐに画像検索してしまったほどです。

 

 月のやり口はまるで夜の店の女と同じだった。

 

 しかし、そこはやはり出木杉英才です。読み進めていくと、極夜の月を女性に見立てた上で、過去に騙されかけたことのある《群馬県太田市のクラブOのナンバーワン・キャストA》とのエピソードが登場します。そしてそのエピソードの途中、Aの美貌を褒め称える下りで《八戸市議どころの騒ぎではなかった》と、八戸市議が効果的に使われるんです。あっ、このためか。

 

 角幡唯介、おそるべし。

 

 説明文「時計の時間と心の時間」にもユーモアというか、子どもたちが親しみやすい話題(例えばゲーム)が取り入れられています。親しみやすい話題をフックにして、或いはアクセントにして、筆者の主張を効果的に伝えるというテクニック。教室でもそうですが、シリアス一辺倒ではないって、大事です。ユーモアの配分が絶妙な「角幡本」のオススメは、以下。 

 

www.countryteacher.tokyo

 


 最後に、あとがきより。

 

とくに子供ができたことは自分史的には革命と呼んでもさしつかえのないほど大きな出来事で、人生の意味を問い直すきっかけにもなった。

  

 現代社会システムの外側から「やってくる」我が子が、現代システムの外側にある「極夜」と同じくらいのインパクトを探検家に与えたっていう事実は、興味深く思います。男性の3人に1人、女性の4人に1人が結婚できないといわれている時代。結婚してもしなくてもいいから、教え子たちにはできれば親になってほしいなぁ。角幡さんの『極夜行』を読み、そんなことも改めて思いました。

 

www.countryteacher.tokyo

 

『極夜行前』も読んでみたくなりました。

 

 おやすみなさい。 

 

極夜行前

極夜行前