放浪が好きで、車上生活をライフスタイルとして選んでいるノマドの一群もいます。一方で、主流の社会からはじき出されて、放浪を余儀なくされている人たちもいます。そういう人たちは、新しい暮らし方と安息の場所を路上に見つけようとしています。私はファーンを精神的なノマドと捉えています。ロマンチックな意味ではありません。彼女はずっと同じ暮らし方をしていて幸せでしたが、それを失ったことが悲劇にもなり得ました。しかし、彼女はそれを、自分を再発見するチャンスにし、車上生活をすることを選びました。簡単なことではありませんが、そこに生きがいを見出します。
(劇場用プログラム『ノマドランド』ムービー・ウォーカー、2021)
こんにちは。以前に働いていた自治体でお世話になった師匠は、コロナ禍になっても変わらず放浪を続けています。放浪といってもリアルなそれではなくオンラインのそれですが、哲学者の苫野一徳さんらと鼎談したり、自身で場をつくったり。まるでファーンみたいだな、と。昨夜も、そう。
精神的ノマド。
ファーンと師匠との違いはといえば、それはハウスをもっているかもっていないかの差でしょうか。家族の住む、ハウス。師匠は、異動1年目の本年度もまた、教務主任と6年の学年主任を兼務するという罰ゲームのような人事をものともせず、家族を軸にしたノマドライフを謳歌しています。
ノマドライフ。
ノマドランド。
ハウスがあればノマドライフ。ハウスがなければノマドランド。特に手つかずの大自然が残るアメリカでは、ハウスを手放して放浪を始めた途端にランド(大地)の存在感が際立ちます。そのランドを背景に、ホームたるRV(レクリエーショナル・ビークル)に乗って車上生活をするのが、オスカー女優フランシス・マクドーマンドが演じるファーンです。
クロエ・ジャオ監督の話題の映画『ノマドランド』を観ました。原作は、ジェシカ・ブルーダーのノンフィクション『ノマド:漂流する高齢労働者たち』(鈴木素子 訳、2018)です。サブタイトルからわかるように、本田直之さんが『ノマドライフ:好きな場所に住んで自由に働くために、やっておくべきこと』で描いたような、キラキラ系のノマドの話ではありません。リーマンショックなどの経済的な苦境が「ノマド」と結びついた、シワシワ(?)系の人たちの話です。
だから漂流。
しかも高齢。
工場が閉鎖した。経済がダメになった。社会もダメになった。長年暮らしてきた町そのものが閉鎖することになった。学校で臨時教員をしていた60代のファーンも、そのあおりでハウスを手放すことになった。だから仕方なく、ヴァンガード(先駆者)と名付けたRVに引っ越した。
ファーン曰く「ホームレスではなく、ハウスレス」。
つまり不動産ではなく、動産。そんな風に表現すると『モバイルハウス』の坂口恭平さんみたいですが、ファーンはRVに亡き夫との思い出を含む最低限の家財道具を積み込んで、全米各地を流浪する旅に出ます。誤魔化さない生き方をすべく、新しい暮らし方と安息の場所を求めて。
極上のロードムービー、スタート。
旅ですからね、出会うんです、人と。そしてアメリカですからね、出会うんです、自然と。そしてこの「人」と「自然」が魅力的に過ぎることから、ネタバレですが、家族と共にキレイなハウスで過ごすという、絵に描いたような老後を送っているファーンの姉との対比が際立つんです。ファーンとちょっとした恋仲になるデイブが、お子さんの呼びかけに応じてノマドランドを去り、孫の相手をしながら絵にかいたような老後を選択するという展開も際立つんです。一緒に住もうという、姉の誘いも、デイブの誘いも断わるファーンの精神性とともに。
老いは敵ではない。
だから老いて旅するのも悪くない。
ファーンの精神性は尊い。
とはいえ、やはり沢木耕太郎さんの『深夜特急』に引用されている「カーブース・ナーメ」(ペルシャ逸話集)の《老いたら一つの場所に落ち着くよう心掛けよ。老いて旅するは賢明でない》という一文が頭にちらつきます。師匠や藤原章生さんがぶらっとどこかへ出かけて、そこで「アイデアと移動距離は比例する」的な充足感を得られるのは、不動産たるハウスが確固たるものとして存在しているからでしょう。マズローの欲求5段階説でいえば、物質的欲求が満たされない限り、精神的欲求を満たすことはできません。だからランドの美しさをフレームにしてファーンの精神性が際立てば際立つほど、ちょっと待って、と思ってしまいます。そしてその「ちょっと待って」に映画のメッセージが隠れているのではないか、と。
精神性を豊かにするためにも、社会と家族を大切にしよう。
そういったシンプルなメッセージです。翼を持つこと、根を持つこと。見田宗介さんの言葉でいえば、根を持つことの大切さです。原作者であるジェシカ・ブルーダーは、アメリカでの原作の反響は(?)という問いに対して、次のように答えています。
「何千といるノマドの存在と実態はこれまで知られておらず、シャドーエコノミーに隠されていました。いまのアメリカは経済のために社会が存在している。本来は真逆であるべきなのに。この本をきっかけに、より多くの人が格差問題に目を向けてくれればと願っています」
今日は母の日です。
コロナ禍というか五輪禍というか、とにかく直接訪ねることはできないので、昨夜、師匠がそうしてくれたように、私もまたオンラインで会いに行こうかと思います。
家族や社会のために経済が存在する。
五輪を削って、家族と社会に盛ろう。