土にクワを入れた。クワを持ったのも初めてだった。でもクワともなぜかウマがあった。どう耕せばいいかということがすぐにわかったのだ。わかったというか、土から受ける何かを感じた。土を耕しているのは僕だけじゃなくて、土もまた、何か別のものに変わろうと動いてくれているのを感じた。
坂口恭平『Pastel』(左右社、2020)
おはようございます。先日、代官山の蔦谷書店で坂口恭平さんの『Pastel』を購入しました。サイン入りです。初のパステル画集です。本の帯には「僕は毎日、発見している。」とあります。さて、坂口さんは何を発見しているのでしょうか。
おはようございます。毎日、発見。坂口恭平さんに倣って、今日も何かを見つけましょう。 pic.twitter.com/v3ZgboYdkH
— CountryTeacher (@HereticsStar) October 29, 2020
僕は毎日、発見している。風景を。
画集『Pastel』の巻末に掲載されている「畑への道」というエッセイより。正解は、風景です。坂口さんは、風景を毎日発見しているんですよね。それをパステルで描いている。教員が、子どもたちの知らなかった一面を毎日発見してメモに取るのと同じように。
例えば《晴れた日にも暗い色が入っている。光と影がそこら中に満ちている》なんて、まさに教室的な文章です。子ども=明るい、ではない。明るいときもあればそうでないときもある。子どもはもっと繊細で複雑で、たくさんの矛盾した感情を抱えている。いわば、
まとまらない子。
冒頭に引用した「土」も教室的です。「土」を「子ども」に置き換えると、教室で私たちが毎日のように感じていることと重なります。風景も、子どもも、そして私たちも日々変化している。鴨長明が「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」と謳いたくなるのも頷けます。久しくとどまりたるためしがないからこそ、風景も子どもも自分自身のことも、よりよく見ていく必要がある。
何のために?
僕はこの現実を描こうと思った。よりよく見るために。つまり、よりよく生きるために。
坂口さんの『Pastel』に触発されて、というわけではないですが、友人との再会を兼ねて、昨日は県を跨ぎ、土を感じられる場所に足を運んできました。長野県です。
旧友と久闊を叙することもできたし(23年ぶりの再会!)、風の歌を聴くこともできたし、ちょっと満足。今週は、普段の解像度よりも高いレベルで、子どもたちを発見することができるかもしれません。
坂口さんが風景を発見するようになったのは、畑がきっかけだそうです。エッセイに《畑を終えたあと、僕には色がもっと鮮明に感じられた。僕にはそれが嬉しかった。風景に対して、ぐんぐん興味が湧いてくることに気づいていた。微細な変化を、自分の体が、皮膚が、網膜が、耳が感じている。あっ、僕はこれを描くんだ、とその時思った》とあります。畑を始めるようになってから、風景が見え始めた。風景を発見できるようになった。
教員も、何かを始めればいい。
そうすれば、もっと子どもが見えるし、もっと子どもを発見できる。そのためにも労働環境を何とかしたい。残業が月に50時間とか100時間とか150時間とかあったら、何もできませんから。すなわち子どもたちを発見できないということです。発見できなければ、まともな指導や支援はできません。なぜ私たちは、こんな働き方を止められないのでしょうか。このままだと、いつか本当に苦しくなって、坂口さんに電話をかけてしまうかもしれません。
苦しいときは電話して。
それにしても、坂口さんのパステル画、いいなぁ。どうやったらこんなふうに描けるようになるのでしょうか。
ちなみに私のお気に入りは94の「有明海と夕方の光」と95の「宇土から有明海を見る」です。126の「餌を待つノラジョーンズ」も捨てがたいのですが、初任校が漁師町にあったとうこともあって、95の青の色合いが、何だかとっても懐かしくて、よい。
画集『Pastel』の巻末には、収録されている126作品の全てについて「解説」が載っています。例えば94は《空と雲が融合した状態で書けている。海を物体として描くことで、空が抽象になる。海面はシンプルに、ほとんど触れずに》とあり、95は《霧の中の色の諧調の違いに気付いて、紫を混ぜ始めた。現象、気象、光がレイヤーになっている》とあります。小学生の図工の作品カードとは比べものにならない文章。当たり前か。パステルを使って風景画を描く授業、やってみたいなぁ。坂口さんの作品を見せたら興奮するだろうなぁ。子どもたちも、坂口さんと同じまとまらない人ですから。
まとまらない人である坂口さんは、教育者でもあった。
心を耕してくれる坂口さんの画集『Pastel』、ぜひ。