田舎教師ときどき都会教師

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三浦瑠麗、乙武洋匡 著『それでも、逃げない』。だいじょうぶ(?)職員室。

 三浦 今までに、主戦場となる場所はなかったんですか?
 乙武 ゼロではないですよ。テレビでコメンテーターを務めたり、スポーツライターとして選手の思いを読者に伝えたり、それぞれやりがいはあったし、楽しかった。ただ自分の使命を全うできているのかと考えると……どうかなあ。あ、唯一「ここが俺の主戦場だ」と思えたのは、教員時代の三年間だったかもしれない。あんなにつらかったのにね。
(三浦瑠麗、乙武洋匡『それでも、逃げない』文藝春秋、2019)

 

 乙武さんは政治家になるよ、きっと。もとスポーツライターだし、その本に書いてあるように東京都で小学校の先生をしていたこともあるから、都知事に立候補する可能性もある。オリンピックやパラリンピックのときに『五体不満足』の乙武くんが、車椅子に乗ったまま「みんな違って、みんないい」なんて叫んだら、世界中から拍手が巻き起こるんじゃないかなぁ。多様性について、乙武さんよりも説得力のあるメッセージを出せる人はいないと思うから。

 

五体不満足 完全版 (講談社文庫)

五体不満足 完全版 (講談社文庫)

  • 作者:乙武 洋匡
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2001/04/04
  • メディア: 文庫
 

 

 4年前、乙武さんの『だいじょうぶ3組』を読んでいたクラスの子(5年生)にそんな話をしたところ、数日後に「自民党から出馬」というニュースが流れ、タイムリーな話に「先生、すげー」となりました。「何でわかったんですか?」。尊敬のまなざしに鼻高々。しかしその後の展開はみなさんご存知の通りです。他人が口を挟むことではないのに、陰口のように外野がワーワーと騒いだ結果、乙武さんはだいじょうぶではなくなってしまいました。

 

だいじょうぶ3組 (講談社文庫)

だいじょうぶ3組 (講談社文庫)

  • 作者:乙武 洋匡
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2012/10/16
  • メディア: 文庫
 

 

 それでも、逃げない。

 

 陰口って、いやですよね。乙武さんは、小学校の教員をしていたときに、人生で初めて「受け入れられていない」と感じたそうで、とてつもなく苦痛だったそうです。教室ではなく「職員室が」です。朝、出勤のために電車を待っているときに、このまま飛び込んだら楽になれるのかなって、例の騒動のときでさえ思わなかったことを考えてしまうくらい苦しかったとのこと。日本中から叩かれて家族も散々な目に遭っているのに、そのときよりも酷い職場って、相当です。だいじょうぶ(?)職員室。当事者ではないのでよくわかりませんが、県をまたいでいろいろな職員室を経験しているので、なんとなくの想像はつきます。

 

乙武 教員の世界は、改善しようとする人間が目障りなんです。~中略~。私はいろいろ言われるのが面倒くさいと思い、職員室ではなく教室で仕事していました。ときにはわざわざ同僚の教員が教室までやってきて、「いま、みんなが職員室であなたの悪口言ってるわよ」なんて言ったりするんです。

 

 みんな?

 

 戦っている人が好き、といつも口にしていた師匠(♂️)が、年配の先生に「あなたのやり方はおかしい。みんなそう言っている」と批判されたときに、「そういうことは個人の言葉として口にすべきであって、みんなっていう表現はダメなんじゃないですか」と返していて、さすが師匠だぁと思ったことを思い出しました。他人が陰で何を言おうとそれはそいつの問題だって、全く意に介していなかった師匠。カッコいい。

 

 もうひとつ。

 

 以前に勤めていた自治体の小学校で、初任の子(♀)が「職員室にいると右からも左からも悪口が聞こえてきて、H先生(♂)にそのことを相談したら、その悪口を別の人に絶対に伝えないこと、同調しないこと、って言われて感激しました」と話していて、さすがH先生(一匹狼的なベテラン)だぁ、と思ったことを思い出しました。ついでに、その悪口って俺のことか、と思ったことも思い出しました。学校にもよりますが、わたしも基本的に職員室ではなく教室(と自宅)で仕事をするタイプです。単純に、その方がはかどるし、そうしないと定時に帰れないし。

 

 定時に帰らないから(帰れないから)職員室が陰口の温床となる。

 

 定額働かせ放題の問題点は、そういったところにもあります。何時間も同じメンバーで同じところにいたら、考え方の多様性も失われていくだろうし、教室と同じで、そりゃ、陰口を言いたくなる人間も出てきます。定時で終わる業務にするとか、午前5時間制にして午後はとっとと子どもを地域に帰すとか、そうでもしない限り、ある一定の割合で「誰かの悪口を言わずにはいられない」大人や子どもが必ず出てきます。誰かっていうのは、乙武さんも書いているように、改善しようとする人間や他の人と違うことをする人間、或いは目立つ人間のことです。だから教員の世界の働き方はなかなか変わらない。変えようとしているのに「あなたのやり方はこれまでの常識と違う」って足を引っ張られるからです。

 

 常識って、何?

 

 昨日、本屋で見かけて購入した、三浦瑠麗さんと乙武洋匡さんの共著『それでも、逃げない』を先ほど読み終わりました。同世代ということもあって、乙武さんの本はついつい気になって手にとってしまいます。乙武さんと一緒に働いてみたかったなぁ。

 対談相手の三浦さんのことは全く知りませんでした。東大卒の国際政治学者で《その部分で功利主義に断固反対したのが、イマヌエル・カントのように「一人も犠牲にしてはならない」という考え方です。日本でいま一番足りないのは、実はこのカント型のリベラリズムです》と、西川純さんの『学び合い』を彷彿とさせるような言葉をサラッと述べていて、陰口を言われる側の人だなぁ、と直観。「一人」に対する優しさがあふれているからです。読むと確かに、そういう側の人でした。陰口を言われる側、或いは言われてきた大人の方が、「一人」に対する想像力を働かせることができるだろうし、常識や普通にとらわれることなく「一人も見捨てない」っていう学級づくりができるんじゃないかなぁ。

 

 あんなにつらかったのに、逃げない。

 

 二人とも、強いなぁ。