田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

中原淳 監修、脇本健弘・町支大祐 著『教師の学びを科学する』より。Think different !!

 「異動は最大の研修である」という言葉がある(例えば、大阪府教育委員会2008)。つまり、異動は、職能成長につながりうる最大の機会、という意味である。この言葉を聞いて、「その通りだ」とストレートに受け止められる教師はどの程度いるであろうか。というのも、少し考えてみれば、事はそんなに単純でないとわかるはずである。異動とは、言うまでもなく配置転換のことであり、それは、単に勤務校が変わることにとどまらない。管理職や同僚、児童生徒、学校文化や価値観等を含め、多くの環境因子が一度に変わることを意味している。それらへの適応が簡単なものでないことは想像に難くない。
(中原淳 監修、脇本健弘・町支大祐『教師の学びを科学する』北大路書房、2015)

 

 おはようございます。先週に引き続き、今週も容赦のない暑さが続いて、教室への適応が簡単なものではないというか相当に困難な月~金でした。マスクを着用しているため、疲労の度合いが前年比170%くらいになっているような気がします。異動1年目で単学級40人を任され、コロナで強制終了するまでずっと全力疾走していた去年よりも、しんどい。クラスをそのまま持ち上がったので叱る場面もほとんどないのに、しんどい。これはいったいどういうことなのでしょうか。文部科学省の報告書によると《精神疾患により休職している教師の約半数は、異動後2年以内にそのような状況に陥っている》とのこと。教師の疲れを科学する。データから見えるミドルの疲労と回復のモデル。「大人の学びを科学する」をテーマに、人材開発・組織開発について研究している中原淳さんに、そんな一冊も期待したいところです。

 

 

 中原淳さん監修、 脇本健弘さん&町支大祐さんの『教師の学びを科学する』を再読しました。横浜市教育委員会と東京大学・中原淳研究室が2011年から2013年の3年間にわたって行った「教職員の育成に関する共同研究」をまとめた一冊で、副題にあるように「若手の育成と熟達のモデル」を科学的に探ったものです。構成は、著者である脇本さんと町支さんが一人で、或いは二人で各章を担当し、中原さんもときどき顔を出すという全16章。冒頭の引用は、町支さんが担当している第8章「初めての異動」からとったものです。

 

 異動は最大の研修である。

 

 これは名言です。県内だけでなく、田舎から都会へ、都会から田舎へと県を越えての異動(再受験)も複数回経験した身としては、実感をもってそう思います。異動っていうのは要するに「越境」みたいなもの。中原さんの『働く大人のための「学び」の教科書』を引けば、《自分の慣れ親しんだ場所を離れて、違和感を感じる場所に行き、気づきを得る》ということになります。ちなみに「越境」は、中原さんの教科書に「大人の学びを支える7つの行動のひとつ」として挙げられています。他の6つの行動については、以下のブログに書きました。バックパッカーが多くの国を経験することによって旅慣れていくのと同じように、客死することがなければ、精神を病むことがなければ、教師もまた多くの学校を経験することによって力をつけていくというわけです。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 越境、すなわち旅、すなわち多比。

 

 万葉集では旅を「多比」と表記していたそうですが、県を越えての異動を繰り返していると、学校毎あるいは自治体毎に、教師の学びの質を左右する「働き方」に関してかなりの違いがあることに気づきます。以下のツイートにそれなりの反響があったところをみると、そういった情報への需要があるのでしょう。もっと詳しく書いて note にまとめてもらえたら「買います」なんていうリプライもあったほどです。

 

 

 職員会議は毎月開かれるもの。職員会議の前哨戦である教務会も毎月開かれるもの。どちらも定時を過ぎるもの。そう思っていたのに、職員会議が3回しかないなんて。しかも定時どころか15時前に終わるなんて。越境のいちばんの効用は「思い込み」を相対化できるところでしょう。一度そういった世界を体感すると、以前までいた世界に戻って、スティーブ・ジョブズよろしく「Think different !!」って叫びたくなります。

 

 キミたちは、間違っている!

 

 15時前に終わると、その後の時間を「教師の学び」に使えるようになります。例えば今週は、若手が授業を観に来てくれてその授業を肴に30分ほど1on1で話し合うなんていう贅沢な時間をとることができました。1学期にも同じような時間を何度か取りました。非日常の研究授業ではなく、日常に埋め込んだ継続的な学びの機会です。

 ちなみに若者が授業を観に来ることができるのは、専科の先生が多いから。専科の先生がゼロの学校は、すべての教科を教えることができるという喜びを得られる一方で、日常的に授業を見合う機会からは遠ざかります。フルコマはめちゃくちゃハードで体に悪いし。また、出張が馬鹿みたいに多い自治体では、放課後の時間をとることができず、残業をしない限り授業のことを話し合う機会は得られません。

 専科の先生がゼロの学校も、出張が馬鹿みたいに多い自治体も経験しました。専科の先生がたくさんいて、出張が必要最小限に抑えられている自治体も体験しました。会議の少ない学校も経験しました。だから思うのですが、『教師の学びを科学する』のテーマである若手の育成と熟達のためにも、

 

 専科の先生を増やすこと。
 出張や会議を減らすこと。

 

 これらはマストなのではないでしょうか。お金の問題や教員定数の問題があるので専科の先生を増やすことはできないかもしれませんが、出張や会議くらい減らせますよね。『教師の学びを科学する』にデータを提供している横浜市も出張が多いようで、横浜市の小学校で働いている友人曰く「初任研や10年次研ならまだしも、毎週のようにある校外での研修は負担でしかない。税金から出ている交通費も馬鹿にならないはずだけど、このことを市民は知っているのか。効果はあるのか。そんなお金があるなら専科を増やせばいいのに」と憤っていました。中原さんが講師を務める研修(第15章に掲載)なら覿面に効果が表われそうですが。

 

 時間があれば放っておいても学ぶ。

 

 本来、教育者ってそういうものですよね。普段から残業がゼロに近くてゆとりがあるのであれば別ですが、過労死レベルで働いていて「# 先生死ぬかも」なんて言われているのに、なぜ出張や会議(や行事や部活)を減らそうとしないのでしょうか。職員会議が年に3回しかなくて、しかも5時間授業の後であっても15時前に終わる学校がある。そのことを「知ることができた」だけでも、異動した甲斐があったなぁと思います。こうやって発信して知ってもらうこともできるし。

 

 知れば、変えたくなる。

 

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 中原さんは第15章「教員研修の変革」に次のように書いています。

 

  多くの企業における人材開発研究を実施していく中で、筆者に蓄積された実践知であり、確信に近いことの1つは「現場の人々に刺さる内容とは、その現場のデータである」ということである。しかし、現場のことをそのままフィードバックしても、「現場の人々」には刺さらない。みずからが仕事を行い、関わっている現場を、研究方法論という眼鏡を通して見たとき、何が見えてくるのか。ふだん「見てはいるけれど、気づいていないもの(Seen but not noticed)」をデータとして提示されたとき、現場の人々はオーナーシップを示す可能性が高い。

 

 見てはいるけれど、気づいていないもの。
 異動すると、多比をすると、気づきます。

 

 がんばろう、現場で。

 

 Think different !!

 

 

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