田舎教師ときどき都会教師

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ヨーラン・スバネリッド 著『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む』&「マル激(第1012回)」より。変わらなきゃ。

 そのため、日本ではメディアの教育と言えばもっぱら「どうやって有害な情報から身を守るか」が重視されているように思われます。これに対して、スウェーデンの教科書では「どうやって有益な情報を発信できるか」が重視されています。そして、その先にあるのは、メディアが「民主制の道具」であるという発想です。
(ヨーラン・スバネリッド 著、鈴木賢志+明治大学国際日本学部鈴木ゼミ 編訳『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む』新評論、2016)

 

 こんにちは。エアコンの効きの悪い教室でマスクを付けながら話したり聞いたり動いたりしていると、頭の中が日向のアイスクリームのようになっていきます。暑さの厳しいところからは偉人は出ない。中国にそんな格言があるそうですが、さもありなん。スウェーデンにでも行って、周りの目を気にすることなくノーマスクで過ごしたいものです。

 

 マスクよりもソーシャル・ディスタンスを。 

 

 ロックダウンをしていないスウェーデンでは、油断を招いてしまうマスクよりもソーシャル・ディスタンスの徹底を呼びかけているそうです。そして調子が悪ければ自宅待機をするように促す。スウェーデンのコロナ対策の陣頭指揮を執っている感染症医のアンデース・テグネルさんが日本の小学校の教室を目にしたら卒倒するのではないでしょうか。なにせ40人近い子どもたちが狭い教室にひしめいているわけですから。ソーシャル・ディスタンスもへったくれもありません。スウェーデンは集団免疫作戦をとっているという間違ったニュースが過去に流れていましたが、小学校の状況を見るに、その路線をとっているのは日本なのではないかって、そう見えてしまっても仕方がないように思います。

 ちなみにスウェーデンがとっているのは集団免疫作戦ではなく、医療体制を維持するという当たり前の作戦です。それが至上命題。昨夜マル激でそのように話していました。日本の医療体制は大丈夫でしょうか。

 

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 昨夜のマル激トーク・オン・ディマンド(ジャーナリストの神保哲生さんと社会学者の宮台真司さんがゲストを招いて行っているインターネットのニューストーク番組)は、スウェーデンの話でした。タイトルは「感染が拡大してもスウェーデンが独自のコロナ対策を貫ける理由」です。ゲストは元駐スウェーデン特命全権大使の渡邉芳樹さん。サウナのような教室で溜め込んだ、月~金の5日分の疲れが残っていたものの、思わず見入ってしまいました。それはちょうど『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む』を読んでいたからかもしれません。

 

 なんてタイムリーなんだ。

 

 

 ヨーラン・スバネリッドさんの『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む』(鈴木賢志+明治大学国際日本学部鈴木ゼミ 編訳)を読みました。本の帯には「投票率85.8%の国では、小学生に何を教えているのか」と書かれています。

 投票率が50%前後しかない日本との違いは、教育によるものなのではないか。日本をよりよい国にしていくためのヒントが見つかるのではないか。そういった問いをもとに出版された一冊です。

 

 違いは明白。

 

 スウェーデンの小学校社会科の教科書(4~6年)は、総論に続く第2章が「メディア」となっています。冒頭の引用はそこからとったもの。政治体制とメディアをつなげているところが「さすが」というか「大人」です。第2章には、他にも例えば、次のように書かれています。

 

ソーシャル・メディアによって国をより民主的にするためには、どうすればよいでしょうか?

 

 なんてタイムリーなんだ。

 

 一昨日の夕方、8月28日の安倍首相の辞任会見のときに、神保さんが同じようなことを質問していました。具体的には、神保さん曰く「こいつ何を言い出すんだ」と周囲のメディアがドン引きしていたという、以下の内容です。

 

  • 徹底したメディア対策をした政権だったと思う。例えば、個別のメディアに一本釣りのようなかたちで出演したり、事前に質問をとりまとめて、それを出した社にしか記者会見で質問をあてなかったりしていた。
  • そういったことは総理御自身の指示によるものだったのか、それともワーキングレベルで行わていて、総理は知らずにやっていたのか。
  • 仮に知らなかったとしても、記者会見で質疑の場面なのに、なぜか質問と答えが目の前のメモに書いてあるという状況を御覧になって、何か違和感を覚えなかったのか。
  • メディアと政治という関係において、民主主義において、総理はそのような状況をどのようにお考えになっているのか。

 

 安倍首相の回答がズレていたのでそれを修正しようと神保さんがさらに問いを重ねようとしていましたが、記者会見では「さら問い」禁止というルールがあるらしく、神保さんは司会者に注意を受けていました。日本の小学校国語科の教科書にも「きいて、きいて、きいてみよう」という「さら問い」を学ぶ単元があるというのに、問い続けることができないなんて、いったいどういう理屈でしょうか。

 スウェーデンの場合は、記者の質問がなくなるまでずっと会見が続くそうです。なぜロックダウンをしないのか。なぜコロナ対策において独自の路線をとるのか。国民が納得するように、不安にならないように、理屈を述べ続けるというわけです。だからこそ独自のコロナ対策を貫くことができる。西田亮介さんいうところの「不安のマネジメント」ですね。辻褄の合わない説明にはとことん質問して、何が合理なのかを双方でつきつめる。宮台さん曰く「スウェーデンがうらやましい。ちゃんとした理屈をいえる人間が高いポジションについている。日本も昔は理屈が通らない奴は馬鹿だという時代があったのに」云々。

 

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 昔は、今よりも学校でキリスト教についてずっとたくさん学ばなければいけませんでした。また昔は、綴りを正しく、きれいに書く練習、そしてみんなの前で大きな声で読む練習をたくさんしていました。そしてまた、宿題をきちんとやってくることが、もっともよいこととされていました。従わない子どもは、指示棒で叩かれることがありました。
 今日では、しつけのために子どもを叩くことは禁止されていますが、100年前には認められていました。ですから、多くの子どもたちは「先生を怖い」と思っていたはずです。
 先生のことは、「あなた(du)」と呼んではならず、「~さん(fröken、magister)」と呼ばなくてはいけませんでした。また、先生が質問したら、起立してから答えなくてはなりませんでした。

 

 スウェーデンの社会科教科書より。こういうのって、考えさせられますよね。と同時に、勇気づけられます。宿題に対する見解も、起立なんてしなくてOKという話も、以前からそう思っていたからです。そう思って周りとは違うことをし始めると、スウェーデンと同じように、自分のやっていることを説明する必要があります。なぜ全員一律の宿題を出さないのか、とか、なぜあまり黒板を使わないのか、とか。隣のクラスもやっているからという理由で学級づくりをしていると、理屈を説明する必要には出会えません。つまりは思考停止。独自路線でいくからこそ、考え、そして言葉を尽くして説明するというわけです。スウェーデンのコロナ対策と、同じ。

 

 どうやって変わっていくのか、それはなかなか難易度が高い。

 

 今回のマル激のゲストだった渡邉芳樹さんが、番組の最後にそう話していました。GDPなどのデータを見る限り、日本はもうすぐ先進国ではなくなってしまいます。日本が変わるには、教育を変えるしかない。小学校から、変わらなきゃ。スウェーデンの社会科教科書を読み、ますますそのように思いました。とはいえ、

 

 暑さの厳しいところからは偉人は出ない。

 

 厳しいなぁ。

 

 

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