田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

山極寿一 著『スマホを捨てたい子どもたち』より。スマホをラマダンし、本をじっくり読みましょう。

 サルやゴリラの世界から見ると、人間は、とてつもなくおせっかいな生き物に違いありません。子どもがやろうとしていることに手を貸すだけではなく、まだやろうともしていないことに対しても、「こうなったらいい」「あれを見て。君もいずれあのようになる」などと言って、背中を押したり、子どもの手を引いたりする。こんなことはほかの動物は絶対にしません。共同保育が人間のおとなをおせっかいにしました。そして教育を生みました。人間はおせっかいになったからこそ、子どもは目標というものをもつようになったのです。
(山極寿一『スマホを捨てたい子どもたち』ポプラ新書、2020)

 

 こんにちは。おせっかいというとピンク・フロイドの「Meddle(おせっかい)」が頭に浮かんできて「あのアルバムは風の音ではじまってさぁ~」なんて誰かに教えたくなります。一度聴いてみたほうがいいよ。ついでに教科書は読めるようになったほうがいいし、かくれんぼもできるようになったほうがいい。それから音楽でも読書でも何でもそうだけど、集中できるようになったほうがいい。

 そんなふうに思って「教える」のは人間だけだそうです。サルやゴリラなどのほかの動物は絶対にしない、とのこと。サルやゴリラは叱られて、学ぶ。ゴリラ研究の第一人者として知られる、京都大学総長の山極寿一さんがそう書いているのだから間違いありません。しかも人間の場合は「教える」だけでなく、それがうまくいかなかったときには、教科書が読めない子どもたち(By 新井紀子さん)とか、かくれんぼができない子どもたち(By 杉本厚夫さん)とか、集中できない子どもたち(By 榊原洋一)とか、わざわざ本までつくって社会に警鐘を鳴らし始めるからやっかいです。おせっかい極まりない。サルやゴリラの世界から見ると、人間の学校なんて、

 

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青年求職家・インクさんのブログ「ツイートの3行目」より

 

 このひとことに尽きるでしょう。実際、学校はおせっかいに過ぎます。とはいえ、教科書が読めない子を目にすると、かくれんぼができない子を目にすると、そして集中できない子を目にすると、気になってしまい「こうすればいい」って教え始めてしまうのが教員です。ケースバイケースとはいえ、何もしないで放置というわけにはなかなかいきません。スマホに振り回されている子どもたちを目にした山極さんの心境も同じでしょうか。曰く《AI時代に生きる若者が、スマホで人とつながることに漠然とした不安を感じているのだ》云々。

 

 

 山極寿一さんの『スマホを捨てたい子どもたち』を読みました。最近、高校生の長女が「眼鏡を買ってくれ」なんて言いだしたのは、中3の学年末にスマホデビューしたからに違いなく、猛スピードで視力は。あぁ。そんな風に思っていた矢先に、書店でこの本が目にとまったので、思わず買って読んでしまいました。まえがきとあとがきにサンドイッチされた章立ては以下の通りです。

 

 第1章 スマホだけでつながるという不安
 第2章 ぼくはこうしてゴリラになった
 第3章 言葉は人間に何をもたらしたのか
 第4章 人間らしさって何?
 第5章 生物としての自覚を取り戻せ
 第6章 未来の社会の生き方

 人間が安定的な信頼関係を保てる集団のサイズは150人程度であり、それ以上のサイズが「可能」のように思えてしまうスマホは子どもたちに漠然とした不安を与えている。実際、高校生や小中学生と話をして「スマホを捨てたいと思う人は?」と聞くと、結構多くの子どもたちが手を挙げる(まえがき、第1章)。文明をもつ前の人間の暮らしを知りたいと思っていた著者は、以前にサルやゴリラと一緒に生活を共にしたことがあり、日本を離れることによって日本の良し悪しを知るのと同じように、人間の世界を離れることによって人間特有の不思議さを発見することができた(第2章)。例えば、人間はサルやゴリラと違って身体よりも言葉を信じるようになったという不思議。だから対面でのコミュニケーションを必要としないスマホがこんなにも普及している(第3章)。例えば、親以外の大人たちも子育てに参加するという共同保育の不思議。だから人間は皆でトゥギャザーして食べ、育て、そして踊る。ダンスダンスダンス(第4章)。

 

 共同保育によってつながった社会こそ、人間だけがつくりえたものであり、それゆえ、ぼくたちは同じ社会で暮らし、さまざまな集団を遍歴することに生きる意味を見出すことができるようになったのです。

 

 そう考えると、学校って根幹だなぁ。

 

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対面まみれの旅。みんなで育てる。カンボジアにて(01)

 

 第4章に《人間の社会性は、食物を運び、仲間と一緒に安全な場所で食べる「共食」から始まった》とあります。オンライン飲み会なんて言葉が流行るのも、コロナ禍における無言給食が殺伐としたものに思えるのも、生物としての自覚(第5章)にもとづくものなのかもしれません。

 対面でのコミュニケーションが後退し、スマホ依存(情報化)が進んでいくと、人間は考えることをやめるかもしれない。著者はそう危惧しています。未来をディストピアにしないためにも、スマホ・ラマダンを試みたり、もっと移動したり遊動したり、拠点を複数もつ生活をしたりして、テクノロジーへの傾倒から抜け出し、いわゆる「創発」が起こるような、新しい「つながり方」を探ってほしい。第6章には、人間がユートピアに行き着く可能性への期待を込めて、そのようなことが書かれています。

 

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 あっ、間違えました。第6章に書かれている「こうなったらいい」は机上の空想なのではないか。そう思えてしまうのは、もちろん、今がコロナ禍の真っ只中だからです。移動も遊動もままなりませんからね。著者は「あとがき」に《この本の執筆を終えた頃、新型コロナウイルスが突如として来襲しました》と書いています。人間社会の起源まで遡って「対面コミュニケーションの大切さを説いてきたのに」と、おそらくは頭を抱えたのではないかと想像します。

 

 ただ、この本でも述べたように、スマホに頼りすぎてはいけません。~中略~。そのかわりに、この機会に本をじっくり読みましょう。

 

 台風が近づいています。秋も近づいています。もちろんコロナ禍はまだまだ続きます。晴耕雨読、読書の秋、そしてコロナ禍を転じて福となす。

 

 スマホを捨てたい大人たち。

 

 今日はこれからスマホ・ラマダンをして、ミシェル・クオさんの『パトリックと本を読む』の続きを読みます。めちゃくちゃおもしろいです。紹介してくださったブロガーの本猿さんに感謝です。

 

honzaru.hatenablog.com

 

www.countryteacher.tokyo

 

 サルやらゴリラやらバッタやら。

 

 人間って、おもしろいなぁ。

 

  

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