日本の場合、集合意識の範囲の指標の一つは、お祭りが開かれる神社と、小学校の校区である。明治期に小学校が設立された際には、明治政府に予算がなく、地元社会の寄付で建てられることが多かった。寄付が集まる範囲は、仲間意識のある範囲と深い関係があり、それはしばしば一つの神社の氏子の範囲と関係していた。
~中略~
逆にいえば、小学校が廃校になり、神社がさびれることは、その地域社会の衰退の反映である。
(小熊英二『地域をまわって考えたこと』東京書籍、2019)
こんにちは。昨日、三社参りを終えて家に帰ってきたら、漁師町にあった初任校のときの教え子から「もう26歳。日に日におばちゃんになってきました」という年賀状が届いていました。26歳がおばちゃんだって(?)。それが田舎のリアルなら、こちらはもうおじいさんだよ。先人に倣って、山へ柴刈りにでも行きたくなります。ちょっと気になったので調べてみたところ、桃太郎のおじいさんとおばあさんはわたしと同じ「アラフォー世代」に属するらしく、26歳おばちゃん説もあながち間違いではないということがわかりました。グッタリ。時代によっては、或いは地域によっては、わたしはすでにおじいさんの部類に入っているようです。おむすびころりんすっとんとん。山へ行くときにおむすびでも持っていったら、もしかしたらたくさんの小判をもったネズミたちが歓迎してくれるかもしれません。ようこそ、🐭の世界へ🎵
小熊英二さん(歴史社会学者)の『地域をまわって考えたこと』を読みました。移住希望者向けの雑誌『TURNS』(第一プログレス)に書いた連載がもとになった一冊です。
大晦日の過ごし方が違ったり。
お雑煮のつくり方が違ったり。
地域って、おもしろいですよね。例えば、三つの神社を詣でる「三社参り」(福岡県を中心に九州や中国地方に根づいている風習)なんて、知らない人が聞いたら「えっ、二股どころか三股なんて、神様に失礼じゃない?」と思うかもしれません。私の両親は福岡育ちなので、正月には三社参りをするというのが私にとっての「普通」です。
行ってみなければ、住んでみなければわからない、違いにもとづくおもしろさ。神社や小学校の校区をその範囲の指標とする小熊さんの「地域」めぐりには、「地域振興」や「持続可能な地域」などの社会学的な視点に加えて、そういった違いを味わう「ダーツの旅」的なおもしろさが含まれています。
なぜ地域をまわるのですか。
なぜ山に登るのですか、みたいな話ですが、ジョージ・マロリーが答えた「そこに山があるから」という有名な答えは実は誤訳で、「好きだから」くらいがちょうどいいという話を聞いたことがあります。しかしまぁ、美しい誤訳なのでそのまま援用します。
Because it's there.(そこに地域があるから)
何かをすることに理由を求めるのは、教員の悪い癖のひとつかもしれません。登りたければ、登ればいい。まわりたければ、まわればいい。とはいえ「おじいさんは山へ柴刈りに」のように、それが仕事の場合には目的が必要となります。おじいさんは山登りに、おばあさんは川遊びにでは、昔話とはいえ、牧歌的に過ぎます。突然やってきた若者と獣に両親や親族をボコボコにされた鬼の子どもたちだって浮かばれません。
小熊さんの目的は2つ。
いろいろな地域をまわることによって、一つの地域にとどまらない、日本の地域一般がおかれている状況を構造的に理解すること。そして移住者を訪ねながら、その地域と移住者の特性を把握すること。地域を学校に、移住者を保護者や子どもたちに置き換えると、それらの目的は、田舎教師ときどき都会教師であるわたしとも重なります。
持続可能な地域について。
持続可能な教育について。
日本全国にある地域をまわることで、状況を構造的に理解することができるのであれば、教員も、いろいろな学校をまわった方がいい。そう思います。地域も教育も「問題と構造」という視点から考えない限り、なかなか持続可能なものにはならないからです。著者曰く《地域社会の最大の存在意義は、その地域に生きている人々の幸福や人権が、持続的に守られることであるはずだ》云々。学校だって、同じです。
福井県鯖江市。
東京都桧原村。
群馬県何牧村。
静岡県熱海市。
宮城県石巻市。
東京都板橋区高島平団地。
日本のシリコンバレーとの異名もある鯖江市からはじまり、東京都心にありながら高齢化が進む集合住宅の高島平団地まで続く、小熊さんの地域めぐり。この順番でトラベルティーチャーとして働くことができたら楽しいだろうなぁ、という感想はさておき、働き方の面で学校に変化を起こしたい「移住者」であるわたしには、次のような文章が印象に残りました。
つまりはこうだ。移住する側と受け入れる側が、ともに「夢」や「理念」を持っていないと、変化は起きてこない。なぜなら「夢」や「理念」がなければ、変化に耐えられないからだ。人間は変化のために着実に努力するよりも、現状に安住しながら文句を言っているほうが楽である。
教員の働き方がなかなか変わらない理由は、こういったところにもあるのだろうなと思います。職員間における「夢」や「理念」の熱量の差です。
3学期には、多くの学校で「本年度の学校評価と新年度計画」について話し合う場が設けられます。令和2年は、学習指導要領が変わる節目の年です。この機会に変わることができなければ、持続可能な学校はもはや望めません。働き方改革もかたちだけのものになるでしょう。現状に安住しながら文句を言っているおじいさんにならないように、夢や理念を共有する仕方を徹底的に考え続けたいと思います。なぜかって?
Because it's there.(そこに学校があるから)