田舎教師ときどき都会教師

テーマは「小学校教員の働き方と生き方」&「本、旅、人」

変形労働時間制を「問題と構造」という視点から考えてみた、給食を例に。

 あなたは旅人だ。旅の途中、川に通りかかると、赤ん坊が溺れているのを発見する。あなたは急いで川に飛び込み、必死の思いで赤ん坊を助け出し、岸に戻る。

 安心してうしろを振り返ると、なんと、赤ん坊がもう一人、川で溺れている。急いでその赤ん坊も助け出すと、さらに川の向こうで赤ん坊が溺れている。

 そのうちあなたは、目の前で溺れている赤ん坊を助けることに忙しくなり、実は川の上流で、一人の男が赤ん坊を次々と川に投げ込んでいることには、まったく気づかない。

 これは「問題」と「構造」の関係を示した寓話だ。問題にはつねに、それを生み出す構造がある、そしてその構造に着手しなければ、真に社会問題を解決することはできないのだ。
駒崎弘樹『「社会を変える」を仕事にする』ちくま文庫、2011)

 

 田舎の小学校の給食の話。

 

 私が最初に赴任した田舎の小学校では、教育長の発案で、子どもも大人も毎日ご飯を持参することになっていました。子どもたちは登校するとすぐに、廊下に設置してある暖飯庫にご飯を入れます。給食に出てくるのはおかずとデザート、それから牛乳だけ。

 

 教育長の意図は(?)というと。

 

 子どもが毎朝ご飯を持っていくとなれば、朝夕、各家庭で必ずご飯を炊くようになります。結果、夕食や朝食を抜いてくる児童が少なくなります。また、毎日ご飯を炊くことから、お米だけでなく、ご飯のおかずになる和食材の需要も増え、地元の農家やお店にお金が回るようになります。田畑が荒れることもありません。風が吹けば桶屋が儲かる的なロジックではあるものの、素敵な「構造」でした。

 

 都会の小学校の給食の話。

 

 とある自治体のY小学校には、エレベーターがなく、給食室まで食缶をとりに行くというシステムでした。給食当番の子どもたちを引き連れて4階から1階まで行き、食缶を持ってまた戻ってくるという毎日の苦行。当然、ごちそうさまの後にも同じ苦行が待っています。途中で汁物や残飯をこぼす子がいたり、教室に残してきた子どもたちがトラブルを起こしたり。駒崎さんの寓話でいうところの、大小さまざまな「問題」を生み出す「構造」でした。

 一方、とある自治体のT小学校には、エレベーターがあり、ワゴンに乗せられた給食が教室に横づけされるというシステム。廊下や階段が汁物で汚れることも、担任不在の教室でトラブルが発生することもありません。廊下や階段が汚れないため、T小学校では、週に2、3回、掃除カットの日がありました。掃除がカットになると、放課後の時間が15分くらい増えます。また、給食室までの2往復がないので、Y小学校よりも毎日10~15分、子どもたちの下校が早まります。過労死レベルで働いている私たちにとって、この15分や10~15分の積み重ねは、想像以上にでかい。

 

 エレベーターの有無。

 

 たったそれだけの「構造」の違いで、働き方にかかわる「時間」についても大きな差が出てきます。ちなみにY小学校の職員会議で「給食室に給食当番の子どもたちを連れて行くときに、担任は列の先頭に立つべきかうしろに立つべきか」というどうでもいいことについて長時間にわたって侃々諤々の議論をされたときには、あまりのくだらなさに途中で席を立ち「帰ります」と言って職員室を出てしまいました。退勤時間を過ぎているし、卒園したとはいえ、まだ子育て中(当時、小学生2人)ですから。

 

 もしもあのとき変形労働時間制が導入されていたとしたら。

 

 きっとあのままくだらない話を聞き続けなければいけなかったのだろうな。だって「構造」が変わって10時間労働(退勤は19時!?)になったりするんでしょ(!?)。ゾッとします。っていうか、川の上流で何やってんだ、いったい。英語にプログラミングに変形労働時間制にって、次々と投げ込んでくる「一人の男」はとびっきりのSなのか。

 

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国境の町、タイのノーンカーイにて。対岸はラオス!(01年)

 

 写真は、チベット高原に源流をもつメコン川です。中国、ミャンマー、タイ、ラオスカンボジアベトナムと流れ、南シナ海に抜ける国際河川

 まとめると、上流に位置する大国の中国が「赤ん坊」を次々と投げ込んだら、下流に位置する小さな国々は大変だってこと。

 

 小さな国々が団結しないと、大変だ。

 

 万国の~、団結せよ!

  

 

「社会を変える」を仕事にする: 社会起業家という生き方 (ちくま文庫)

「社会を変える」を仕事にする: 社会起業家という生き方 (ちくま文庫)