田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

小西貴士、河邉貴子 著『心をとめて 森を歩く』より。親は親を、子どもは子どもを生きられる社会を。

重い  とか
軽い  とかも
大切かもしれませんが

誰もが
背負うことがあるのだ

想うことが

生きる者の
根っこの  根っこです

「芽吹きのささやき」


(小西貴士、河邉貴子『心をとめて 森を歩く』フレーベル館、2016)

 

 おはようございます。昨年の夏、都会教師時代の師匠に声をかけてもらって、小西貴士さんが登壇するイベントに参加する機会がありました。場所は東鎌倉にあるちょっとお洒落な保育園です。

 小西貴士さんは、八ヶ岳南麓の清里高原を舞台に「子どもをめぐるうまく言葉にならない素敵なこと」を撮り続けている「写真家」兼「森の案内人」として知られています。写真も、言葉も、そして生き方も、『森へ』や『旅をする木』などで知られる星野道夫さん(故人)に負けないくらい格好いいおじさんです。

 ちなみに、小西貴士さんと昔からの仲良しで、イベントの企画から運営までを華麗にプロデュースしていた師匠も、二人に負けないくらい格好いいおじさんです。応え合うおじさんたち。おっさんずラブってやつです。

 


 写真を通して、自然を通して、子どもたちとずっとかかわってきた小西貴士さん。その日、「育ち」をテーマにした応え合いの中で、当時入院中だった娘のことを相談したところ、2冊購入した著書の見返しに次のような言葉を添えてくれました。

 

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『心をとめて 森を歩く』

 

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『子どもは子どもを生きています』

 

 命のことは ひとつずつ

 

 胸にこみ上げてくるものがありました。相手に応じた言葉を、それでいて汎用性のある言葉を、サッと紡いでギフトのように贈ることができる力。誰もが背負うことがあるのだ、と想い続けている人にしか授からない力なのだろうなと思います。

 
 うまくゆくもゆかぬも 抱きしめて “育ち”

 

 そんな小西貴士さんがかかわっている「学校」が清里にあります。四方を富士山や秩父連山、南アルプス連峰などに囲まれた「キープ自然学校(清泉寮自然学校)」です。師匠に勧められて、私も5年前に家族で行ってきました。自然体験プログラムが豊富に用意されていて、特に小学生以下のお子さんのいるご家庭にはイチオシです。

 

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小西貴士さんの写真が飾られている、キープ自然学校(14)

 

 家族でキープ自然学校を訪れたのは2014年の12月末です。「ゆるゆるキャンプ」と呼ばれるプログラムに参加しました。

 小学校のイベントと同じように「はじまりの会」でスタートし、「終わりの会」でさようならとなる「ゆるゆるキャンプ」。はじまりから終わりの間には、門松づくりや森へハイキング、氷のリースづくりやパパママルネッサンス交流会、夜の牛舎見学やキャンプファイヤー de ホットワイン🎵など、自由参加でのメニューがたくさん用意されていて、家族とともに、存分に自然やコミュニケーションを満喫することができます。長女も次女もとっても楽しそうで、リピーターがたくさん生まれるだろうな~、という内容でした。娘二人がもう少し小さかったら、我が家も繰り返し足を運んでいたかもしれません。

 

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清里高原 & 氷のリースづくり(14)

 

 誰もが背負うことがあるのだ、と想うこと。

 

 生きる者の根っこの根っこが腐っていなければ、過労死レベルで働いている人たちをさらに追い詰めるような法律の改正案が閣議決定されるなんてことはなかっただろうに、と思います。1年単位で労働時間を調整する「変形労働時間制」の導入を可能にする法律の改正案のことです。

 過労死レベルで働いているパパやママの帰りを待っている子どもがいて、睡眠不足のためにイライラしているパパやママの機嫌をうかがっている子どもがいて、パパやママは忙しそうだからと甘えることを必死に我慢している子どもがいる。日本のあちこちに、五万といる。中には病んでしまう子どももいる。

 

 パパはパパを生きられず。
 ママもママを生きられず。


 子どもは子どもを生きたいのに、そんなパパやママを見て、子どもは子どもを生きられなくなっていく。共働きで、パパもママも「先生」をしている家庭は、実家の助けでもない限り、程度の差こそあれそのような「生きられず」という困難にぶち当たっているはずです。

 

 繰り返します。

 

誰もが
背負うことがあるのだ

想うことが

生きる者の
根っこの 根っこです

 

 変形労働時間制の良し悪しを臨時国会で議論する前に、政治家さんや官僚さんには、心をとめて、学校を歩き、根っこの根っこを現場に下ろしてほしい。誰もが背負うことがあるのだ、と、気づきますから、きっと。

 

 心をとめて。
 ひとつずつ。