人を年齢で割らない。何歳の人が来てもいい。子どもも、親も、地域の高齢者も。人を所得で割らない。年収いくら以下の人は無料とか、いくら以上の人は500円とか、割らない。そういう「タテにもヨコにも割らない」場所だから、上下がない。上下はないが、役割はある。
そのような場が、私たちの社会から減った。減っても、人々はそれを求める。
ないなら、つくればいい。
だから「こども食堂」が生まれた。そして広がった。
(湯浅誠『つながり続ける こども食堂』中央公論新社、2021)
こんばんは。勤務先の小学校のわりと近くに、わりと有名なこども食堂があります。クラスの子どももときどき行っているとのこと。貧乏な子ではありません。どちらかといえば裕福な子です。
こども食堂って、何?
こども食堂のことは、西智弘さんの『社会的処方 孤立という病を地域のつながりで治す方法』で知りました。こども食堂は「貧困家庭の子どもに食事を食べさせてあげるところ」ではないということ。公的な定義はなく、実際は「多種多様な人たちが集まる交流拠点」になっているということ。
職業柄、知ると、興味がわきます。
興味がわくと、呼びたくなります。6年生の担任になったら、呼ぼう。学区にある、そのわりと有名なこども食堂を立ち上げた〇〇さんに、ゲスト・ティーチャーとして来ていただこう。今年、6年生の担任になって、そろそろあたためていた想いをかたちにするときだなって考えていたところ、タイミングよく湯浅誠さんの新刊が発売されたので、早速ポチッとして予習しました。
湯浅誠さんの『つながり続けるこども食堂』を読みました。湯浅さんといえば、ちょっと古いかもしれませんが、私にとっては「年越し派遣村の村長」です。行動の人です。ヒーローを待っていても世界は変わらない、って思っている人です。弱きを助け強きを挫く、
クラスにいたら頼もしい存在。
社会にいても、もちろん頼もしい存在。ちなみに母親は小学校の先生だったそうです。あぁ、素晴らしき子育て。湯浅さんのように「損得よりも正しさ」に反応しまくるカッコいい大人を育てるにはどうすればいいのか、という問いに対する答えは、以下。
「東京大学まで行きながら、なぜホームレス支援なんかを始めたのか」「官僚とか商社とかに勤めようと思わなかったのか」とよく聞かれてきた。以前はうまく答えられなかったが、こども食堂に関わるようになって、あさひちゃんのような子どもたちを見ていて、思う。障害を持った兄のおかげでいろんな人たちと出会い、それが多様性をおもしろがる私の根っこをつくったのではないだろうか。
あさひちゃんのような子どもたちというのは、こども食堂に来て初めて、親や保育士以外の大人と関わるようになった、もともとは「よその大人に慣れていなかった」子どもたちのことです。
兄が身体障害者だったことから、湯浅さんの自宅にはボランティアの人たちが頻繁に出入りしていたとのこと。大学生だったり、クリスチャンだったり、料理を作る男性だったり。そういった様々なタイプの大人とのかかわりを通して、湯浅さんは《世の中には親と学校の先生以外にもいろいろな大人たちがいて、その人たちとつきあうことはなんとなく楽しいことなのだという感覚》を育んだそうです。だからこそ、多世代交流拠点としてのこども食堂に「ときめいた」のでしょう。そして湯浅さんだけでなく、多くの人がこども食堂というコンセプトにときめき、こども食堂は、
その数、5000箇所。4年で16倍に増えた。
営利目的ではないものが短期間に5000箇所(2020年12月時点)まで増えるなんて、びっくり。それくらいのニーズがあったということです。多世代交流拠点としてのこども食堂がもっている価値は、主に5つ。
① にぎわいづくり(地域活性化)
② 子どもの貧困対策
③ 孤食対策
④ 子育て支援、虐待予防
⑤ 高齢者の健康づくり
それらの価値を確かめるべく、湯浅さんは全国津々浦々のこども食堂をルポした上で《方向はこっち》と書きます。行政サービスも、いずれ必ず追いついてくる、と。教育行政の中にある学校も、こっち、なのではないでしょうか。哲学者の苫野一徳さんが、これからの学校の在り方を「ごちゃまぜのラーニングセンター」と表現していますが、まさにそれはこども食堂が体現している「今」です。
みんなちがって、みんないい。
多様性をおもしろがる根っこをこども食堂で植える。根っこが成長すると、多様性はややこしいけど、そこに「配慮」を加えるとおもしろいなって、そう思えるようになる。具体的には《歩くのがちょっとゆっくりな人とは、自分もゆっくり歩くじゃないですか》というような配慮が自然とできるようになる。ゆっくり歩けば「みんなちがって、みんないい」社会の実現に近づく。だから学校も、こども食堂に倣ってもっといろいろな大人を教室に呼んだ方がいい。そうすれば、格差社会という不幸にも、正社員が没落する未来にも、そして無縁社会やそれによって生じる生きづらさにも、抗えるかもしれないから。
こども食堂の〇〇さん、来てくれるといいな。
おやすみなさい。